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1億7600万円の最後の後輪駆動マシン世界王者! ランチア「037」はニュルブルクリンクでは宿敵アウディ「クワトロ」より速かった!?

現在マルティーニ・カラーに戻されたシャシーナンバー#319

貴重なワークスカーが出品

 1980年代中盤のFIA世界ラリー選手権(WRC)は、今なお「狂乱のグループB」として語られる怪物マシンたちがしのぎを削った伝説の時代。その時代を彩ったマシンたちは、ホモロゲート車両として最少200台が生産された市販ロードバージョンであっても、現在では極上のコレクターズアイテムとなっている。

 しかし2022年11月上旬、クラシックカー/コレクターズカーのオークショネア最大手であるRMサザビーズ社が開催した「LONDON」オークションにて、さる著名なコレクターから出品されたのは、さらに希少なワークスカーの「ランチア037ラリー」であった。最も重要なグループBモデルのひとつにして、WRCにおける最後の後輪駆動チャンピオンマシンである。

後輪駆動では史上最後となった世界王者マシンとは?

 1982年シーズンからWRCがグループB規約で戦われることになると、フィアット・グループはグループBに適応したニューマシンの開発を決定。「131アバルト・ラリー」で確固たる実績を挙げたアバルト技術陣に開発を委ねた。彼らは、ランチアのミッドシップ2座スポーツカー「ベータ・モンテカルロ」をすでに実績のあるメカニズムで再構成し、ラリー競技向けに仕立て直すことにした。

 並み居るグループBラリーカーの中でも群を抜いて美しい037ラリーのボディデザインは、ベース車たる「モンテカルロ」と同じく名門ピニンファリーナによるもの。モンテカルロのセンターモノコック前後に鋼管製のサブフレームを組み上げ、そのサブフレームに各メカニカルパーツと新規デザインの専用カウルを組み合わせる成り立ちとされた。

 いっぽう組み合わされるサスペンションは、よりチューニングに適したパラレルリンク式ダブルウィッシュボーンに変更。アーム類は、市販型ストラダーレでも純レーシングカー譲りの「ピロ足」とされていた。ちなみにこのシャシー開発には、イタリアのスーパーカーおよびレースカーのレジェンド、ジャンパオロ・ダラーラ氏が密接に関与したという。

 そしてパワーユニットは、じつはフィアットの小型トラック用ディーゼルエンジンから派出したブロックに、131ラリーにも採用された専用のDOHC 16バルブヘッドを組み合わせたもの。くわえて「コンプレッソーレ・ヴォルメトリコ」と称する機械式スーパーチャージャーが組み合わされ、パワー/トルクはストラダーレでも205ps/23kgmに達していた。また、競技車両では300ps超のパワーを得ていた。

 かくして、ランチアとアバルト、そしてピニンファリーナ。3社の歴史的コラボレーションによる賜物、ランチア037ラリーは1982年4月に発表。同年からイタリア国内戦のラリーへと、試験的に投入される。

 そしてグループB規定でのフルエントリーが開始された1983年シーズンは、宿敵アウディ「クワトロ」との熾烈なタイトル争いを展開。伝説のグループBが年間チャンピオンシップの最上クラスとして完全規定された最初のシーズンで、WRC製造者部門タイトルをみごとに獲得した。

 そして、国際および国内のグループBで合計13件のチャンピオンシップを獲得したランチア037ラリーは、ラリーカーの後輪駆動時代の終わりを告げる素晴らしき「スワンソング」となったのだ。

「お気に入りのラリーカーはたくさんあるけど、ほかのマシンよりも際立っているのはランチア037ラリー。とても美しいクルマであるとともに、ある意味、フォーミュラ・レーシングカーのようでした」

 これはラリー界のレジェンドであるマルク・アレンの、ランチア037ラリーについてインタビューされた際の返答である。彼がランチア・ラリーに初めて会ったのは、1982年の「ラリー・コスタ・ズメラルダ」にてワークスドライバーとして搭乗した時。そのマシンは、シャシーナンバー#319だった。

ニュルブルクリンク8分切りした伝説のマシン

 今回RMサザビーズ「LONDON」オークションに現れた037ラリーは、同じオークションにフェラーリのスペチアーレ各モデルやブガッティ「EB110」、ジャガー「XJ220」なども売りに出していたプライベートコレクター「グランツーリスモ・コレクション」から、まさしく目玉の一つとして出品されたもの。実質的には旧アバルトが運営するワークスチーム「ランチア・スクアドラ・コルセ」で参戦初期に製作され、かつてマルク・アレン選手が出会ったシャシーナンバー#319そのものである。

 前述のとおり、このマシンは1982年4月の「ラリー・コスタ・ズメラルダ」にて、伝説的なマルティーニのスポンサーカラーに彩られたワークスカー3台のうちの1台としてデビュー。マルク・アレンとコ・ドライバーのイルッカ・キヴィマキはナンバー1で走り、最初の5ステージのうち3ステージを勝ち取るのだが、残念ながらギアセレクターの故障により、シャシーナンバー#319のデビュー戦は不発に終わった。

 しかし直後の「ラリー・デッリゾラ・デルバ」ではアダルティコ・ヴダフィエリに委ねられ、クラス優勝と13ステージを獲得。037ラリーとしては初の成功を収める。その後もイタリア国内戦で試験的な出走を重ねたのち、1983年シーズンを見据えて改良を施した「エヴォリューション」仕様にアップデート。シーズン後半のWRC戦「ラリー・コートジボワール」にも出走しながら、翌シーズンのWRCフル参戦に備えた。

 そして1983年にヴァルター・ロールと契約したことは、ランチアにとって大きな転機となる。彼の契約の一部には、ドイツ国内戦に出場することも含まれていた。

 この037ラリーに搭乗したロール選手の最初のドイツラウンドは、ヴュルトカラーで走った「ADACザールランド・ラリー」。コ・ドライバーのクリスティアン・ガイストデルファーとパートナーを組んだロールは、総合2位でフィニッシュする。

 しかも驚くべきことに、練習中にこの037をニュルブルクリンク北コースのラップに持ち込み、2年後に再びアウディ・クワトロで挑んだ際にも破ることができなかった、8分切りのラップタイムを達成したという。

 その後シャシーナンバー#319は、ワークスのマルティーニ・カラーに戻され、「トゥール・ド・コルス」と「ラリー・アルゼンチン」のWRCラウンドにおいて、アッティリオ・ベッテガ/フランシスコ・マヨルガ組とともに参戦。さらに同年の「ADACラリー・ドイッチュラント」では、再びロールに委ねられる。ここで名手ロールは、第2位のライバルよりも14分以上早くフィニッシュし、すべてのステージで優勝したのだが、この素晴らしい勝利はシャシーナンバー#319のワークスキャリアの終わりを意味していた。

 1986年、この037はプライベーターに放出され、フランス国内戦のラリーに数年にわたって参戦したのち、3人のフランス人コレクターのもとを渡り歩いたとみられている。そして2019年にグランツーリスモ・コレクションに加えられて以来、走らせることなく展示されてきたことが判明している。

1億7000万円越えだけど、考えようによってはリーズナブルか

 今回のオークションにあたり、グランツーリスモ・コレクションとRMサザビーズ欧州本社は、95万~120万ポンドというエスティメート(推定落札価格)を設定。

 そして2022年11月5日に行われた競売では、104万5625ポンド、日本円に換算すれば約1億7600万円で落札されるに至った。

 ランチア037ラリーはその美しさやヒロイックな魅力も相まって、グループBマシンの中でも高い人気を誇りながらも、エヴォリューション仕様の元ワークスカーでさえも退役後には比較的多数が放出されていることから、現在の国際マーケットでも時おり見かけることもある。

 今回のオークションにおける落札価格が、あくまでこのモデルとしては高すぎもせず安すぎもしないのは、おそらくそんな理由と思われるのである。

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