ハイクオリティなトヨタ独自のテクノロジー集大成
トヨタがスポーツカー市場に参入したのは、大衆車パプリカをベースにしたトヨタ「スポーツ800」からである。この時点で、すでに競合メーカーは高性能スポーツカーを市場に送り出しており、トヨタは完全に出遅れていた。そのトヨタが、高性能エンジンとシャシーを完成させ、スポーツカー市場に衝撃的なインパクトを与えて参入したのがトヨタ「2000GT」である。発売は1967年5月16日のことだった。
厳密にいえばトヨタ2000GTは、トヨタとヤマハの共同開発車である。エンジンはヤマハ、シャシーやサスペンションを含めたその他部品やボディデザインはトヨタが担当した。
流れるような曲面を持つボディライン、マグネシウムのホイール、リトラクタブルヘッドライト、そして、直列6気筒DOHCエンジンと、どれをとっても当時の最高水準のクオリティを誇っており、レベルの高さは現代でも十分に通用するものである。
目指したのはヨーロッパ先進国の高級スポーツカー
トヨタ2000GTが性能のみに特化したレースマシンであったら、メーカーがここまでのクオリティを追及することはなかった。走ることを突きつめて、サーキットでの勝利のみを考えるのであれば、クルマとしてのクオリティよりも、徹底した高い運動性能と動力性能が必要だ。飾りを捨てたレース指向の情熱的なマシンは素晴らしいものがあるが、トヨタ2000GTはその方向とは異なるコンセプトが掲げられた。
目指したのはヨーロッパ先進国の高級スポーツカー。ジャガーやアストンマーティンといった時代の最高峰に君臨する優雅なスポーツカーを意識し、高性能、高品質のグランド・ツーリングカーとして開発されている。
クルマを作るうえで、まず最初に直面するのがシャシーの問題だ。ここで取られる方法はふたつあり、ひとつは量産車用のシャシーを流用し、それを高性能化させていく方法。エンジンを換え、サスペンションは強化されるも、基本的には量産車と共用である。もうひとつの方法は専用シャシーとボディを新たに作ること。
シャシー、ボディ、エンジン、インテリア、などをすべて専用で作るとなると、当然開発費も高くなり、それが販売価格にも跳ね返る。また、生産台数に関しても多くは望めない。だがその半面、量産では作り込みにくいデザイン面でのクオリティの追及ができ、走行性能についても妥協することなくレベルの高い次元に高める設計が可能になる。つまり量産シャシーでは得られない独自の持ち味をそのクルマに与えられるということ。当然だが、トヨタ2000GTの開発は後者の方法が採用され、こだわり抜いた開発が行われた。
レーシングマシンのノウハウが投入されたエンジン
モータースポーツが盛んになりはじめた1960年代半ばから、自動車メーカーは、モータースポーツの場で技術の成果を競うようになった。サーキットを高速で走り、コーナーリングし、ハードブレーキングすることは、それまでの国内メーカーの技術レベルでは解決できない問題が露呈される。
これらを解決することが量産車の走行性能の向上につながった。ディスクブレーキや冷却性能の高いラジエター、剛性の高いシャシー、接地性の高いサスペンションなど、現代ではあたりまえの技術も、この時代にノウハウが蓄積されていった。
トヨタ2000GTには4輪ディスクブレーキをはじめ、4輪ダブルウィッシュボーンのサスペンション、軽量なマグネシウムホイールなどレーシングマシンのノウハウが投入され、エンジンは直烈6気筒DOHCが搭載された。
これを包むボディは、流麗な曲線を使用し、ロングノーズ・ショートデッキのフォルムが与えられた。エンジンをはじめとするメカニズム部分も職人ワザの丁寧な仕上げが施され、まさに欧州の一級スポーツカーと肩を並べるクルマとなっている。
エクステリアのスタイリングデザインはいま見ても十分に美しく、当時のトヨタでは考えられない洗練されたものである。大型のドライビングランプをフロントグリルの両端に埋め込み、ヘッドライトをリトラクタブルとした大胆な発想は全体のシルエットを引き締めるだけでなく、走行時に発生する空気抵抗を考慮したものだ。大きなカーブを持ったフロントウインドウからリアピラーまでラウンドさせるグラスエリアは、後部で跳ね上がり、ドリップモールとつながる処理がされ、よりシャープな印象を与えている。
リアにはハッチゲートが備えられ、2シーターボディのウィークポイントとなるラゲッジスペースの確保につながった。このリアにハッチゲートを設ける手法は、その後のトヨタのスペシャリティカー、セリカリフトバックやXX、スープラへと受け継がれたことはいうまでもない。トヨタがこだわるスポーツカーの原点、それはこの2000GTで間違いないだろう。