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1億4400万円!! 精巧なランボルギーニ「ミウラ・イオタ」はミツワによって輸入され日本にあった個体でした

レプリカである「ミウラ・イオタ」のなかでも、消失したオリジナルのイオタの面影を正確に再現した1台(C)2022 Courtesy of RM Sotheby's

ミステリアスな「イオタ」という1台

2023年に創立60周年を迎えるランボルギーニ。その歴史の中ではさまざまなモデルが誕生していったが、ランボルギーニのファンにこの中で最もミステリアスなモデルを一台挙げよと問えば、多くの人はJ(イオタ)の名をまず答えるのではないだろうか。今回はそのイオタに憧れて製作されたレプリカの物語である。

ボブ・ウォレスの個人プロジェクトだった

Jはそもそも、ランボルギーニにとっては正式な新車開発のプロジェクトから誕生したモデルではない。1963年の創業からすぐに同社のスタッフとしてメカニック、そしてテストドライバーとして活躍した、ボブ・ウォレスが日常の業務が終了した後に個人的なプロジェクトとして開発を進めた一台のプロトタイプである。

そのベースはミウラに見えるが、実際にはミウラと共用するボディパネルはルーフのみで、当然のことながら基本骨格となるスチールパイプによるスペースフレームもJのための専用設計だ。

リアミッドに横置き搭載されるエンジンは、ミウラと同様に4LのV型12気筒だが、チューニングがほこどされており、最終的には440psの最高出力を発揮させることに成功したとランボルギーニの記録にはある。

ボブ・ウォレス、そしてこのプロジェクトにエンジニアとして多くの力を貸したジャン・パオロ・ダラーラが狙ったもの。それはモータースポーツには参戦しないというランボルギーニ社社長、フェルッチオ・ランボルギーニの強い意志を崩すことにあったのかもしれない。

だが結局Jはその目的を果たすことは叶わず、1970年にイタリアのディーラーへと販売されてしまう。そしてそれからわずか1年にも満たない期間で、Jは不運な全損事故により焼失。幻の一台となってしまったのだ。

だがランボルギーニのもとへは、このJの存在を知るカスタマーから、自身のミウラをJ仕様へとモディファイしてほしいというオーダーが、数多く舞い込むようになる。そしていわゆる「ミウラ・イオタ」と呼ばれるランボルギーニ自製のイオタ・レプリカがそれから数台製作されることになる。

こうした、いわゆるイオタ仕様へのモディファイは、ランボルギーニ以外のファクトリーでも人気のメニューとなっていく。より正確に、そしてより美しく。イオタ・レプリカの世界は徐々に華やかさを増していったのだ。

ミツワ自動車が日本に入れたミウラだった

ここで紹介するモデルは、4280のシャシーナンバーを持つ、ミウラSをベースとしたイオタ・レプリカだ。実際にランボルギーニのアッセンブリーラインから出荷されたのは1969年の10月23日。ボディカラーは赤、インテリアは黒というエアコン装備の仕様で、イタリアのディーラー、イタルカーを通じてファーストオーナーに納車された後、ミツワ自動車によって日本に輸入されている。

それから神戸、千葉、福岡のオーナーを経て、その間によりパフォーマンスの高いSV用エンジン(エンジンナンバー30663)に換装。さらに2006年から2013年にかけてイオタ仕様に改造するために大規模なボディワークの改造やレストア作業が行われ、この時の請求額は6100万円以上に及んだとRMサザビーズは報告している。

1億4400万円で落札される

4280のミウラ・イオタが日本を離れたのは2014年のこと。オークションで売却されたこのモデルはスウェーデンに新たなオーナーを得た後にイギリスへと渡り、2019年にはランボルギーニ・バーミンガムでフルードサービスを、また2022年には同センターでインターバルサービスを受け、トータルで約125万円の費用を支払っている。

ランボルギーニが歩んだ60年間で最も印象に残る、そして今は存在しないJ。このモデルはオリジナルJの魅力を余すところなく表現しており、ツアーやラリー・イベントでもオーナーの理想的なパートナーとなることは間違いないだろう。

参考までに今回のRMサザビーズ社によるパリ・オークションでの落札価格は101万7500ユーロ(邦貨換算約1億4400万円)。Jの残像、そしてそのフィニッシュの素晴らしさは確かに高く評価されているようだ。

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