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1985年のル・マン出走車両が富士を走った! マツダ「737C」のシンプルなカラーリングには理由がありました

まだナラシ中とのことで、全開走行ではなかったがロータリーらしい甲高い音を奏でていた

ル・マン デビューでクラス優勝を飾った“そら豆”

ロードゴーイング・モデルの「サバンナRX-3/RX-7」をベースにグループ5のシルエットフォーミュラに仕上げた25xシリーズの集大成モデルとなった「サバンナRX-7 254」は、1982年のル・マン24時間で悲願の初完走(総合14位)を果たしています。この年からグループCが主役となったル・マン24時間では、翌83年からはグループ5の参戦が認められなくなって、グループCとグループBの2カテゴリー車両のみの参戦が認められることになりました。

FRP製のボディカウルを被せた純レーシングカー

そんな状況のもと25xシリーズのプロジェクトは終了し、次なるプロジェクトとなるグループCによるル・マン参戦計画がスタート。ただしグループCとは言うものの1982年にデビューして即王者となっていたポルシェ「956」はフラット6の2650cc+ターボで650psを捻り出すのに対して、マツダが保有していたエンジン・ラインアップの中で最も高出力だった13Bは2ローターの654cc×2=1308cc(実際にはロータリーエンジン係数の2を掛けて2616ccとされる)で最高出力は300psに過ぎなかったから、まともに戦いを挑んでも無理がありました。

そこでマツダでは1983年から新設されるグループC Juniorカテゴリーに適合した新型マシンを製作することになりました。それがマツダ「717C」です。アルミパネル製のツインチューブでモノコックを構成し、そのミッドシップ部分に13Bロータリーエンジンを搭載、FRP製のボディカウルを被せた純レーシングカーでした。

ボディカウルを担当したのは、それまでの25xシリーズでカウルワークを担当してきたムーンクラフトの由良拓也さんで、空力……とくにリアのホイールハウスをフルカバードするなど最大目的のル・マン向けに空気抵抗の低減を最大限に追求した結果、丸っこくて愛らしいシルエットが完成。“そら豆”のニックネームが与えられていました。

その“そら豆”は1号車が1983年の4月に完成、富士でシェイクダウンテストの後に都内でル・マン出場発表会を済ませるとイギリスに空輸されてデビュー戦となったシルバーストン1000kmに出場。212周のレース序盤、僅か32周を走っただけでリタイアしてしまいました。

それでもプライベートテストから公式練習、公式予選、そして決勝と様々なトラブルに見舞われたことで、のちに日本から到着した2号車にも対処を済ませてル・マンに向かい、公式予選では期待したほどのタイムアップは果たせなかったものの、結果的には片山義美/寺田陽次郎/従野孝司組が総合12位でグループC Juniorでクラス優勝。外国人トリオがドライブした方も総合18位/クラス2位と望外の成績を収めることになりました。

そして翌1984年には、717Cを正常進化させた「727C」を開発。最初に完成した1号車は4月の鈴鹿1000km、シルバーストン1000kmに参戦、様々なデータを採って後追いで合流した2号車に反映してル・マンに臨む展開は前年の717Cに倣ったものでした。

そのル・マンで727Cは2台揃って完走を果たしたものの、同じ13Bを搭載するBFグッドリッチチームのローラ「T616・マツダ」も2台揃って完走、1台がクラス優勝を果たしていたことで、マツダスピードにとっては完走の喜びよりも同胞に負けた敗北感の残るル・マンとなりました。

13Bを搭載したC2カテゴリー競技車の集大成となった737C

マツダオート東京からマツダスピードへ、そして東洋工業からマツダへ。前年までにそれぞれ社名も変わり、ル・マン参戦を最重要テーマとするモータースポーツへの体制がより一層強化された1985年のル・マンに向けて開発されたモデルが「737C」。ちなみにこの年からグループC Junior はグループC2に名を変えていました。

717Cから727Cへの進化と同様に、727Cから737Cへの進化も、正常進化と呼べるものでしたが、その進化の度合いは随分大掛かりなものとなりました。開発のコンセプトとしては、空気抵抗の低減を追求した717Cと、ベンチュリー効果でダウンフォースを追求した727C、それぞれの利点を伸ばして両立させた「欲張り」なモデルです。

シャシーに関してはホイールベースが80mm延長されたことが大きな違いとなっています。ボディの全長や基本シルエットが変わっていないから、ちょっと見ただけでは分からないかもしれませんが、直進安定性を高めるための変更でモノコックを延長して実現していました。

フロントサスペンションのジオメトリーも変更されていて、こちらはブレーキング時の安定性を求めたもの。さらにモノコック自体の剛性も引き上げられていましたが、いずれも効果は大きかったようです。ただし5月に富士で、渡欧後にイギリスのスネッタートンで、都合2度も車両火災を起こすなどル・マン入りの前にトラブルも多く、ル・マンでも様々なトラブルに悩まされることになりました。

それでも何とか2台揃って完走を果たし、日付の変わったころから日曜の11時前までクラストップを走ったゼッケン86のデビッド・ケネディ/ジャン-ミッシェル・マルタン/フィリップ・マルタン組はレース終盤の数時間をピットで過ごしながらも総合19位/クラス3位。スタート直後にエンジン補器類のトラブルから3時間近くピットで修復していたゼッケン85の片山義美/寺田陽次郎/従野孝司組が総合24位/クラス6位を得ていました。

2023年10月29日に富士スピードウェイで開催された「箱車の祭典2023」で快走したゼッケン85号車は、シャシーナンバー737C-001。1985年のル・マン24時間レースで総合24位/クラス6位入賞を果たした片山組のゼッケン85号車そのものです。その経歴を紹介しておくと1985年4月の鈴鹿500kmでデビューし総合8位、5月の富士1000kmに参戦予定でしたが直前のテストでエキゾーストからリアカウルに引火して火災を起こすトラブルでレースを欠場。

モノコックを交換して渡欧し、シルバーストン1000kmに出場もミッショントラブルでリタイアに終わっています。そしてスネッタートンのテストで車両火災を起こしたものの、日本から届いていたスペアパーツなどを使い、英国の基地となっていたアラン・ドッキング・レーシング(ADR)において僅か3日間でマシンが再生され、シャシーナンバー737C-001として蘇ってル・マン24時間に参戦しています。

白いボディのノーズにラッキーストライクの大きなステッカーが貼られていて、何か急ごしらえな印象がありますが、じつはこれも3日間で再生された証拠です。ラッキーストライクはこのシーズンから新たにサポートが決定した新スポンサーで、当初はレッド&シルバーのカラーリングとする契約となっていたようですが、突貫工事でクルマは仕上がったものの、カラーリングを施すまでの時間的な余裕はなく、大きなステッカーを貼ることで代用した、というのが正直なところだったようです。

いずれにしても、ル・マン24時間を戦った後に国内に戻ってきた737Cは国内の耐久レース数戦と秋のWEC in Japanに参戦しています。そしてその後に、シャシーナンバー737C-001は静岡マツダに譲渡され、同737C-002はモーターショーに展示された後ADRに譲渡されています。そして静岡マツダに譲渡されたシャシーナンバー737C-001が、数人のオーナーの手を経て現在のオーナーの下でレストアされて今回の快走に繋がっています。まさに縁は異なものです。

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