主を亡くした2丁の拳銃が夜な夜な彷徨う?
広大なアメリカを東西2347マイル(3755km)にわたって結ぶ旧国道「ルート66」をこれまで5回往復した経験をもつ筆者が、ルート66の魅力を紹介しながらバーチャル・トリップへご案内。イリノイ州シカゴから西に向かい、見どころの多いアリゾナ州へやって来ました。今回は華やかさや賑わいとは真逆の、人の気配のないゴーストタウンの名所を紹介します。
まことしやかな怪談話の背景には、もっと血なまぐさい事件
隕石の衝突で作られたメテオ・クレーターから、10kmほど北西に位置するルート66の名スポット。とはいっても美しい景色や味のある宿ではなく、人の気配すら皆無の寂しいゴーストタウンだ。その名は「ツーガンズ」、2丁の銃を意味する。アメリカ合衆国が成立するよりも遠い昔から先住民が暮らしていた地域で、ツーガンズとしての始まりは1920年代に建設された交易所だったとか。ルート66が完成すると旅人のオアシスとして繁栄、レストランやガスステーションなどが次々と作られ、さらには動物園までオープンし観光地と化していった。
西部開拓時代にネイティブアメリカンと入植者のガンマンが撃ち合いとなり、ふたりとも命を落としてしまい2丁の銃が今も主人を探して彷徨い歩く、なんて背筋が冷たくなるようなエピソードを耳にしたこともあるが、実際にはもっと血なまぐさい事件が起きた場所でもあるのだ。
それは1878年のこと。当時ナバホ族とアパッチ族が抗争を繰り広げており、あるとき劣勢なアパッチ族の一団が追い立てられ、ツーガンズにある小さな洞窟のなかへ逃げ込んだ。するとナバホ族は入り口で草木を燃やしアパッチ族を窒息死させ、逃げ出そうとした相手は待ち構えて弓矢で射殺し42人が犠牲になった。
街としてのカタチができる40年ほど前ということで、事件は風化しておらずイメージが悪いのは当然のこと。先住民と入植者が戦った話は、実際に起きた殺戮をカモフラージュするため誰かが作ったような気もする。また前に紹介したビリー・ザ・キッドが近隣に潜伏していたとか、列車強盗で奪った金品や宝石を隠していたなんて話もあり、呪われた土地でありゴーストタウン化したのもそれが原因だ、と信じてツーガンズに近寄らない人も少なからずいるそうだ。
荒れ放題で人気もないので訪れるなら安全の確保を
オカルトの類はまったく信用しない私だが、ここは別の意味でも危険なスポットといえる。1971年に起きたガスステーションの焼失をきっかけに衰退し、ルート66が廃線になってからは足を止める人も瞬く間に減り、荒れ放題のゴーストタウンと化して早くも数十年の月日が経過した。建物や洞窟の崩落やさまざまな野生動物との遭遇、また危険な「人」がいる可能性も否定できない。
助けを呼んだところで声は誰にも届かないうえ、近隣の街から警察が来るにしても時間がかかる。それらのリスクを踏まえて訪れるときは必ず明るい昼間、ひとり旅のときは奥まで踏み入らないのが自分のルールだ。2015年の旅では同行者がいたのであちこち探索し、件の洞窟だと思われる小さな入り口を発見。しかしここで起きた陰惨な事件のことを思うと、どうしても興味本位で入る気は起きなかった。
ちなみにツーガンズは何度か再開発の話が持ち上がったようで、2013年に訪れたときは入り口にロープで規制線が設けられ、ガスステーション跡に大型のトレーラーが何台かあり人の姿も確認。でも翌年には再び元の状態になっていたので、採算が合わないか何かで立ち消えしたのだろう。ルート66と同化したインターステート40号線が目の前で立地は悪くないが、近くにフラッグスタッフという約7万人を擁する大きな都市があるため、わざわざツーガンズで給油や食事をする人は少ないと判断したのかもしれない。
私は全線走破のときを含め8回ほど足を運んだが、やはり年を追うごとに荒廃しているように思う。ナバホ族によるアパッチ族の大量虐殺があり、ルート66が繁栄にも衰退にも影響したツーガンズ。余談だがこの街はキャニオン・ディアブロ(悪魔の峡谷)と、不穏な名前を与えられた谷の南端に位置している。はたして今後ここに人が戻ってくることはあるのだろうか?
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