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「ルート66」の旅路で知った「311」の悲劇! 途方に暮れる日々をモーテルの人々が支えてくれました【ルート66旅_42】

ノルウェー出身でアメリカに移住して50年というリサ。バイクの免許を取ったのは50歳を過ぎてからとのことだが、80歳を目前にした現在も毎日のように乗りまわしている

あの日を過ごしたアリゾナのわが家、ステージコーチ66モーテル

広大なアメリカを東西2347マイル(3755km)にわたって結ぶ旧国道「ルート66」をこれまで5回往復した経験をもつ筆者が、ルート66の魅力を紹介しながらバーチャル・トリップへご案内。イリノイ州シカゴから西に向かい、見どころの多いアリゾナ州へ。今回は、「アリゾナのわが家」となっているモーテルでの出来事を振り返ります。

たまたま泊まったモーテルで故郷の悲劇を知る

ルート66復活の地として知られるセリグマン。私が初めて西から東までの全線走破にチャレンジした2011年、この街でたまたま泊まったモーテルでとある事件が起きた。といってもアメリカでの話ではない。忘れもしない3月11日の東日本大震災だ。

サンタモニカから東を目指し旅を始めた序盤、セリグマンに到着したのは夕方の16時ごろ。街はずれに建つモーテルの看板があまりにもカッコよく、道端にクルマを停め写真を撮影させてもらっていた。それに気づいてオフィスから出てきた女性に声をかけられ、日本から来てルート66を走っていることなどを話し込んだ。どうやら彼女がオーナーで看板に記された「NORWEGIAN OWNED」という表記どおり、ノルウェーからの移民でほとんど廃墟だったモーテルを買い取って再生させたらしい。

いつしか太陽はだいぶ西へ傾き、若干ながら小腹も空いてきた。敷地内に同じく彼女が経営するレストランもあり、宿泊したい旨を伝えるとなんと今日がバースデーで、夜にパーティーをするからアナタも参加しなさいと。いわゆる社交辞令かと思ったが食事をしようとレストランに行くと、昼間も会ったエンジェルさんの一族をはじめとするセリグマンの人々、そして私たちと同じような宿泊客が集まっており宴の始まる直前だ。

いわゆる個人旅行で泊まるような日本人は少ないらしく、遅くまでテキーラを飲みながら話に花を咲かせ解散。部屋に戻ってシャワーも浴びず寝ようとしたところ、インターネットで衝撃のニュースが飛び込んでくる。

私の自宅から近い仙台空港に津波が押し寄せる映像で、当然ながら家族や友人とはまったく連絡が取れない。さらに原発事故の報道やSNSで飛び交うデマも多く、生まれて初めてどう行動すればいいのか途方に暮れた。本来は1泊だけでシカゴに向けて発つはずだったが、セリグマンから帰国便に乗るロサンゼルスまで約6時間、おまけに宿泊代も食事代も大都市よりリーズナブルだ。

モーテルや街の人々みんなが親切にしてくれた

滞在して情報を集めつつ身の振りかたを考えようと、朝イチでオフィスに行き延泊させてほしいと伝えた。するとオーナーのリサは「分かってる。どうするか決めるまで泊まりなさい。宿泊代も食事代も不要だ」と。

ありがたい言葉だけど昨日の夕方に会ったばかりの方で、職種は違えど同じ自営業だけにお金を稼ぐ苦労も分かる。お金は払わせて下さいと話したところ、リサは「日本に帰ってから家族や友達など、困っている人のために使いなさい」と言う。必ず別の機会にお礼をしに来ようと心に誓いながら、1週間ほど気持ちの面でも支えになってもらった。

セリグマンの人々やモーテルの住人(アパートのような月単位の契約)にも何かと気を配ってもらい、気分転換に街を散歩すればコーヒーをご馳走になったりお土産をもらったり。なかでも印象に残っているのはベトナム戦争からイラク戦争まで従軍し、落ち着く先が決まるまでリサのモーテルで暮らしている通称「少佐殿」だ。

レストランで食事をしていたところ「こんにちは」と日本語で話しかけられ、聞けば母親が日本人だったおかげで会話には不自由しないレベルとか。最初はどんな手段を取ってでも帰らなきゃと考えていた自分に対し、彼は

「今は自衛隊やアメリカ軍といったプロの力が必要なとき。キミが帰っても支援しなきゃいけない人が増えるだけだから、状況を見極めて自分が役立てる時期が来たら帰るべきだ」

とアドバイスしてくれた。結論としてはそのとおりで、成田空港から仙台までの高速バスが復活したタイミングで、家族や友人から聞いた不足している物資をスーツケースふたつに詰め込んで帰国した。

* * *

なお翌年は同じ3月11日(現地は10日)にお土産をたっぷり持ってリサを訪ね、コロナ禍でアメリカに入国できなくなるまで毎年セリグマンに1週間ほど滞在し、セミリタイアしたりリサが宮城県へ遊びに来てくれるなど交流を続けている。彼女から受けた見返りを期待しない数々の親切こそが、私をアメリカに駆り立てる最大の理由といっていい。

次回は恩人であり歳は親子ほど離れているが大切な友人である、リサの「ステージコーチ66モーテル」を詳しく紹介しよう。この出会いがなかったとしても名宿であることは確かであり、私にとっては紛れもなく「アリゾナのわが家」なのだ。

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