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90年代の日産「パルサーGTI-R」のワークスマシンが復活! ステッカーに至るまで完全復元されたクルマを前に、開発ドライバーだった頃の記憶が蘇る【Key’s note】

日産 パルサーGTI-R:1991年アクロポリスラリーに出場したD・ルウェリン/P・デュークマン組のマシン

当時の仕様そのままに復元

レーシングドライバーであり自動車評論家でもある木下隆之氏が、いま気になる「key word」から徒然なるままに語る「Key’s note」。今回のキーワードは「懐かしのマシンが復活」。NISMO FESTIVAL(ニスモフェスティバル)で久々に対面した日産「パルサーGTI-R」のお話です。

開発ドライバーは僕が担当していた

まさか蘇るとは夢にも思わなかった。1991年にWRC世界ラリー選手権を戦った日産「パルサーGTI-R」が、当時のグループA仕様のまま、フルレストアされたのだ。モータースポーツにことさら強いこだわりを持つ日産が、「技術の日産」の威信をかけて投入したスーパーウエポンである。

フルレストアを成功させたのは、日産車内の任意団体である「名車再生クラブ」だ。仕事を終えたクルマを愛する仲間たちが夜にガレージに集い、コツコツと仕上げ完成させた。

パルサーGTI-Rは、5ドアバッチバックボディに直列4気筒2Lインタークーラーターボを搭載する。駆動方式は4WDだ。そもそもパルサーは日産の主力的ファミリーカーだが、そのコンパクトなボディがラリーを戦うには最も相応しいと白羽の矢が刺さり、半ば強引にハイパワーエンジンが押し込まれた。

たとえばR32型「スカイラインGT-R」がグループA仕様を前提に開発されていたのとは異なり、市販後にラリー参戦プロジェクトが立ち上がったことが仇となり、アクロポリスラリーなどで表彰台には輝いてはいるものの、世界チャンピオンにはなれなかった。いわば悲劇のラリーカーである。ただ、それだけに同情と愛着は深い。

フルレストアされたパルサーGTI-Rのドライブが許されたのは僕だった。というのも、1993年当時の僕は日産とレーシングドライバー契約をしており、このマシンの開発ドライバーを担当していたのだ。

当時開発に携わったOBたちからの記憶を頼りに復元された

僕の記憶では、1992年〜1993年にかけて、日本のとある極秘の林道を閉鎖して、昼夜を問わず限界走行していたのだ。壊しては直し、改良しては壊した日々。世界転戦するラリー部隊からのリクエストに応えるべく、徹底的にテスト走行を繰り返したのだ。

実際に世界ラリー選手権を走ったのは、ワールドチャンピオンのスティグ・ブロンクビストだったが、僕らは彼らが勝てるマシンを作るために懸命に開発に没頭した。そのマシンが蘇ったことで僕にドライブが許された。

それにしても、とても忠実に復元されていたことに驚かされた。搭載するエンジンやコンピュータなどはもちろん当時の仕様そのままに復元されている。それは細部に及んでいた。参戦した証であるステッカーまでもあらたに復元されていたほどである。

日産車内に眠っていた仕様書をひも解き、当時開発に携わったOBたちからの記憶を頼りに復元しているのである。それは日産だから可能なことだろうが、それだけで完成するはずもない。深い愛情がそうさせたのである。

ちなみに、名車再生クラブはこれまで数十台の名車を復元している。神奈川県座間市にある「日産ヘリテージコレクション」にその数々が動態保存されている。ぜひ見学に行ってみてはいかがでしょうか。

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