渋谷区のポイ捨て罰則化に賛成! ドイツの制度から環境美化のヒントを探る
レーシングドライバーであり自動車評論家でもある木下隆之が毎週発信しているのが、人気連載コラムの「Key’s note」だ。前回はみなさんにも身近な「税金」がテーマだったせいか、多くの人に読んでもらえたようだ。そして今回のテーマは、渋谷区で導入されるゴミのポイ捨てに対する罰金(過料)制度について。環境美化の先進国であるドイツやスウェーデンの事例を交えながら、日本のポイ捨て問題の解決策や、失われかけた日本人の美意識を呼び覚ますためのヒントについて考えてみたい。
「犯罪者にする」ことが目的ではない「過料」という仕組み
渋谷区でゴミのポイ捨てに対する罰金制度が導入されるという。私は大いに賛成である。いや、むしろ「もっと厳しくてもいい」とさえ思う。条例による過料だけでなく、場合によっては民事的な責任を問う仕組みがあってもいいくらいだ。
少し整理しておこう。条例による罰金制度と聞くと、多くの人は刑事罰を想像するかもしれない。しかし両者は異なる。刑事罰は法律違反に対して国が科す処分であり、懲役や禁錮、罰金などが含まれる。
一方、自治体の条例で定められるものの多くは「過料」である。これは行政上の秩序維持を目的とした金銭負担で、前科が付くような刑事罰ではない。
つまり今回の制度は、「犯罪者にする」ことが目的ではない。「街を汚す行為にはコストが伴う」という当たり前の認識を社会に定着させるための仕組みなのである。
もちろん理想は、こんな制度が必要ない社会だ。日本人の民度もここまで落ちたかと悲しくなる。かつての日本には、誰に言われるでもなくゴミを持ち帰る文化があったと思う。祭りの後も、花見の後も、比較的きれいな状態が保たれていたような気がする。
それが最近は様子が変わってきた。観光客の増加もあるだろうし、人々の価値観の変化もあるだろう。ロードサイドの分離帯や垣根に、無遠慮にコンビニ袋やペットボトルが投げ捨てられている様子を見ると、情けなくなるのだ。
驚くほど街がきれいなドイツの「デポジット制度」
私はたびたびドイツを訪れるのだが、そのたびに感じることがある。ドイツの街は驚くほどきれいなことだ。とくに郊外は、まるで映画のセットであるかのように綺麗に保たれているのである。
もし仮に、道沿いに捨てられているペットボトルを探そうとしたら、数日かかるのではないかと思えるほど、ポイ捨てがないのである。
もちろんドイツにもポイ捨てを禁止する法律や条例は存在する。自治体によって金額は異なるものの、道路への吸い殻やゴミの投棄には高額の罰金が科される。地域によっては数十ユーロから数百ユーロに及ぶことも珍しくない。
そもそもペットボトルには購入時に数セントのデポジットが加えられている。飲み干したペットボトルを返却すれば、25セント(約40円)が返金される。
サーキットでレースをしていると、驚くほど多くのドリンクが消費される。日本では、空になったペットボトルはそのままポイッとゴミ箱に捨てられるが、ドイツではそれを保管して換金させるのが一般的だ。これはポイ捨ての抑止になるのである。
この制度は、日本にも取り入れてほしい。ペットボトル1本に対して、仮に100円のデポジットが課せられれば、ポイ捨ては激減することだろう。
ゴミは資源であるというスウェーデンの常識と日本の未来
さらに興味深いのはスウェーデンだ。私が訪れたときも、街の美しさに感心した記憶がある。
その理由のひとつは、「環境保護が道徳ではなく常識になっている」ことだろう。スウェーデンでは学校教育の段階から自然との共生が教えられ、家庭でも地域でもそれが当たり前として受け継がれている。
ゴミのリサイクル率が極めて高い。焼却熱をエネルギーとして利用する仕組みも発達しており、ゴミは「捨てるもの」ではなく「資源」という認識が強いのだ。
つまりドイツもスウェーデンも、単純に罰則が厳しいからきれいなのではない。ルールがあり、そのルールを支える教育があり、文化があり、社会全体の合意がある。
街の美しさとは、行政がつくるものではない。そこに暮らす人々の矜持がつくるものである。
渋谷の条例は、ゴールではなくスタートだろう。まずは罰則によって秩序を取り戻す。そしてその先に、「誰も見ていなくても捨てない」という美意識を取り戻せれば、それが本当の成功だと思う。
海外を見ていると、日本人は本来それができる民族だったはずだと感じる。だから私は悲観していない。渋谷の新しいルールが、失われかけた日本人の美意識を呼び覚ます小さなきっかけになることを期待している。