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TOYO TIRESが2026年をもってD1活動を休止。木下隆之が考察する名門の静かな幕引きとその先【Key’s note】

トヨタ GR86:ギリギリのラインを攻める一流ドライバーのステアリングワーク

TOYO TIRESの20年に渡るD1活動休止という静かな幕引きに想いを馳せる

レーシングドライバーであり自動車評論家でもある木下隆之が毎週発信しているのが、人気連載コラムの「Key’s note」だ。今回のテーマは、TOYO TIRES(トーヨータイヤ)のD1グランプリ活動休止に関する舞台裏と、そこから見えてくるモータースポーツのあり方についてである。長年ドリフト文化を支えてきた名門タイヤメーカーのあっけない幕引きに対し、木下が率直な胸の内を語る。

SNSの片隅でひっそりと発表された休止に寂しさを抱く

TOYO TIRESが2007年から続けてきたD1(D1グランプリ)活動を2026年シーズンをもって休止するという知らせを聞いた時、母校が閉校すると聞いた卒業生は、きっとこんな気持ちになるのだろうと、そんな種類の寂しさを抱いた。

しかも、その知らせは驚くほど静かにやってきた。プレスリリースはない。記者会見もない。これまでのドライバーの功績を讃える華々しいセレモニーもない。SNSの片隅に、まるで町内会の回覧板に書き添えられたように、ひっそりと置かれていただけだったのだ。

ずいぶんと腰が軽いというか、腰が抜けているというか、長年モータースポーツを支えてきた企業の幕引きにしては、あまりにもあっけなかった。

もちろん企業には事情がある。予算もある。戦略もある。モータースポーツという世界は、情熱を失ったら走れない。だから活動休止そのものを責める立場に僕はない。

効率とは無縁のドリフト競技が放つ人間の熱量を愛する

TOYO TIRESは長い時間をかけてD1という文化と一緒に歳を重ねてきた。白煙の向こうには、いつも青いロゴがあった。タイヤが悲鳴を上げ、ターボが咆哮し、観客席から歓声が湧き上がる。その風景の一部として、TOYO TIRESはずっとそこにいた。だからこそ余計に、その幕引きを寂しく感じたのである。

ドリフトという競技は不思議である。最短距離を最短時間で走る競技ではない。クルマを横に向け、タイヤを煙に変え、効率という言葉とは正反対の場所で勝負をする。合理性だけを追い求める現代社会にあって、ずいぶんと無駄の多いスポーツには思える。

だが、人間は昔から無駄を愛してきた。焚き火を眺める時間。波の音を聞く時間。夕焼けを見送る時間。それらに意味がないからこそ、人の心を豊かにする。ドリフトもまた同じなのだと思う。白煙の向こうに見えているのはタイヤではない。人間の熱量なのである。

一流ドライバーの未来を信じて長い休符になることを願う

その熱量を支えてきたTOYO TIRESが、静かに舞台を降りようとしている。もっとも、現時点で休止するのがワークス活動だけなのか、それともタイヤ供給まで含まれるのか、そのアナウンスはない。将来像は、朝霧のサーキットのようにまだ輪郭がぼやけている。

だが、ひとつだけ確かなことがある。ドライバーたちは一流だということだ。速い。巧い。そして華がある。サーキットに現れただけで空気が変わる人がいる。ヘルメットを脱いだだけで物語が始まる人がいる。彼らは間違いなく、そういうドライバーだった。だから心配はしていない。優秀なストライカーに移籍先が見つかるように、一流のドライバーには必ず次の舞台が待っている。

願わくば、この知らせが終止符ではなく、長い休符であってほしい。ドリフトという競技は、クルマを真っ直ぐ走らせないスポーツである。ならば人生もまた、少し横を向いて走った先で、いつか再び同じ場所へ戻ってくることがあるのかもしれない。そう期待したい。

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