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久留米発「石橋正二郎記念館」がリニューアル! ブリヂストン創業者の偉大な功績を学ぶ記念館

石橋正二郎記念館の外観。2016年に、50mプールの跡地に建設されていた石橋美術館別館を改修し、この記念館がオープンした

あのプリンス自動車の名付け親でもある
ブリヂストン創業者「石橋正二郎」の逸話

乗用車やトラック、航空機、バイクや自転車といった様々な乗り物用のタイヤをはじめ、ベルトやホースといった産業用ゴム製品も手掛ける日本を代表するメーカーが、株式会社ブリヂストンです。同社は石橋正二郎氏によって、1931年3月1日に「ブリッヂストンタイヤ株式会社」として福岡県久留米市に設立されました。「世の人々の楽しみと幸福の為に」という信念の元、事業を成長させ、私財を投じて教育や芸術文化への投資に生涯を捧げたのが石橋正二郎氏でした。その偉大な功績を知ることができる「石橋正二郎記念館」が、2026年2月14日にリニューアルオープンしました。その内容と、石橋正二郎氏にまつわる逸話をご紹介しましょう。

石橋正二郎の功績を紹介する唯一の公開施設
教育・文化・美術など幅広く支援した偉人

福岡県久留米市にある「石橋正二郎記念館」は、久留米市美術館や音楽ホールの石橋文化ホール、久留米市立中央図書館と共に、四季折々の美しい花が咲き誇る庭園に囲まれた総合文化施設「石橋文化センター」内にある。

創業から95周年、150カ国以上に拠点を置き、従業員数も12万人以上。売り上げ収益は約4兆4301億円(2024年12月期)という大企業に成長した株式会社ブリヂストン。その創業者、石橋正二郎氏の功績を紹介する日本唯一の公開施設として、地元・久留米市の住民に親しまれてきた。

この度「石橋正二郎記念館」は、約半年間にわたる改修工事を終え、さる2026年2月14日(土)にリニューアルオープンを迎えた。既存の展示室内のコンテンツをさらに充実させ、その展示内容を子どもからシニア、ハンディキャップパーソン、海外からといった多様な来訪者に対応するように環境を整備。

石橋正二郎氏が携わった事業の歴史や、教育機関や文化施設の建設寄贈。美術品の収集から始まった文化事業への支援などを、映像や字幕だけではなく、視覚的に楽しめるイラスト&タッチなど、55インチ大型タッチパネルディスプレイや最新技術を使って紹介。またそれとは対照的に、模型を使うことで簡潔で理解しやすい展示も両立させ、世代や国籍を問わない、誰でも感覚的にその情報を知ることができる環境を充実させているのが特徴だ。

呉服屋から地下足袋製造に業態変更で成功!
ゴムの将来性を見い出しタイヤ製造を国産化

この展示内容を楽しんでいると、石橋正二郎氏の経営者としての歩みと、想像を超える膨大な量の教育、文化事業への投資。事業と社会貢献に徹した人生であったことを知ることができる。

石橋正二郎氏は、病気療養中だった父の願いにより、進学を断念して兄と共に17歳で家業を継承。しかし、徴兵されてしまった兄に代わって、襦袢、着物の仕立て業であった「志まや」をひとりで背負って奮闘することになった。業務内容の見直しにより足袋の生産に特化。その際に、工場の新設や徒弟制度を廃止して給与制を導入するといった、経営の近代化を促進したそうだ。

その成功をきっかけに、今度はゴムを使った地下足袋の製造販売を開始。ちなみに、この「志まや」は「日本足袋株式会社」、「日本ゴム株式会社」、「株式会社アサヒコーポレーション」と商号を変更しながら、現在は「アサヒシューズ株式会社」として、国内で活躍するゴム靴メーカーとして継続している。

そして、そのゴムの将来性を見出したことで、自動車用タイヤの国産化を計画。これが現在の株式会社ブリヂストンが生まれるきっかけとなったのだった。

石橋正二郎氏が関わった事業は、ゴムを活用したタイヤ事業だけに留まらなかった。ゴルフボール(ブリヂストンスポーツ株式会社)、自転車(ブリヂストンサイクル株式会社)、自動車(プリンス自動車工業 ※1966年8月1日に日産自動車と合併)、オートバイ(ブリヂストンサイクル※1966年に撤退)、座席や寝具に活用されるウレタンフォーム(株式会社ブリヂストンとして業務継続中)、朝鮮タイヤ工業(現在のハンコックタイヤ)など、立ち上げた事業は多岐にわたっている。

この様々な事業のなかで、多くの方に覚えておいてほしいのは「プリンス自動車工業」との関わりだ。「プリンス自動車工業」は、1947年に立川飛行機の出身者によってつくられた「東京電気自動車」と、中島飛行機の東京製作所と浜松製作所を母体とするガソリンエンジン製造業の「富士精密工業」の合併によって生まれた自動車メーカーだ。

当時、「日本タイヤ株式会社」(太平洋戦争激化に伴い、1942年に社名を英語表記であるブリッヂストンタイヤ株式会社からこちらに改称していた)の会長職に就いていた石橋正二郎氏は、自動車製造業への関心もあったことで、「東京電気自動車」への出資を開始。ガソリン不足から電気自動車の発展が予想された時代だったが、1950年の朝鮮戦争勃発による特需により、バッテリー資源の鉛が高騰したことで電気自動車業が失速。その打開策として、「東京電気自動車」は「富士精密工業」のエンジンを使用したガソリン自動車の開発に着手した。その結果、1951年に「たま自動車」へと改称しつつ、同年に「富士精密工業」の株式を石橋正二郎氏が買収して、こちらも会長職に就任。ここで両社の合併の布石が誕生したことになる。

そして、1952年に1500ccのガソリンエンジン車「AISH型乗用車」と「AFTF型トラック」を発売開始。さらに同年には、当時の皇太子殿下(現在の上皇陛下)が立太子礼を行うことが決まっていたため、これを記念して同社初のガソリン車の名前を、皇子の意味を持つ「プリンス」と命名したのは石橋正二郎氏だ。さらに同年11月には社名も「プリンス自動車工業」に変更し、1966年の日産との合併まで同社会長職を務めた。なお「プリンス自動車工業」は、市販車では「スカイライン」や「グロリア」の発売。モータースポーツでは「R380」での活躍といった、今でも語り継がれる名車を生み出している。

ちなみに、この初代プリンス「スカイライン」の命名は、当時の経営陣だった石橋正二郎氏も関与しているとのこと(これに関しての詳細は諸説あり)。当時「ブルースカイ」や「スカイウェイ」といった空にちなんだブランドでゴルフボールを販売していたことから、“山並みと青空を区切る稜線”という意味で、この名が授けられたそうだ。

私財を投入し教育や文化、芸術などを支援
石橋氏が貫き通した社会貢献という信念!

1976年9月11日に87歳でその生涯を終えるまで、石橋正二郎氏は様々な事業を展開してきたが、そこには絶対的な信念があった。それが、社会貢献である。“事業”、“教育”、“芸術文化”という3本柱を軸に、「事業を成長させて、世の中のためになることをしたい」、「教育を通して、人々が生きがいをもったゆたかな社会をつくりたい」。そして、「みんなに美術作品をみてもらい、芸術の発展につくしたい」という願いから、学校や福祉、芸術文化の支援を永続してきた。

1928年の九州医学専門学校(現・久留米大学)設立時には敷地と校舎を寄付。1952年には、東京・京橋にあるブリヂストン本社にブリヂストン美術館(現在はアーティゾン美術館へと改称)を開館。また、今回紹介している「石橋正二郎記念館」が設立されている石橋文化センターを1956年に久留米市に寄贈。同年には、イタリアの美術国際交流展覧会ヴェネツィア・ビエンナーレにおいて、日本館建設の資金を援助。1963年には、石橋文化センター内にコンサートホールとして高い評価を得る石橋文化ホールを開館。1969年の東京国立近代美術館の移転と新館開設。久留米市内全21校の小中学校にプール建設などをはじめとして、楽器や設備の寄贈や支援。さらに、ブリヂストンの会長職退任時(1973年)には、退職金を社員の福祉や文化事業のために寄付。このように、記念館の展示内容では、私財を投入し社会貢献を続けてきたその信念にも触れることができる。

また、同じ石橋文化センター内の中核施設である久留米市美術館は、久留米市の文化芸術の発信、創造拠点として発展するようにという願いが込められて運営されている。優れた洋画家を輩出した久留米市の芸術の歴史を中心に、九州全域の洋画コレクションを形成しているのが特徴だ。

現在の久留米市美術館は、当初は1956年の石橋文化センターの開館と同時に、石橋美術館として運営が始まっている。1996年、この年はブリヂストンがF1参入を発表した年となるが、文化センター内のプール跡地に書画、陶磁器類収蔵展示施設として石橋美術館別館を建設し、久留米市に寄贈。2016年には、石橋文化センター設立60周年を機に、美術館の運営が石橋財団から久留米市に移行し、石橋美術館は久留米市美術館へ改称。石橋美術館別館は改装され、「石橋正二郎記念館」としてスタートした。

洋画家「青木繁」の重要文化財は美術館に!
「最高の品質で社会に貢献」を学ぶ記念館

美術品の収集と共に、様々な芸術施設の寄贈支援を続けた石橋正二郎氏の芸術との出会いは、高等小学校時代まで遡る。久留米市出身の画家である坂本繁二郎氏と石橋氏が学校時代の先生と生徒という関係だったのがきっかけだった。その後、「同郷・久留米市出身の青木繁の作品を集めて、美術館を作ってほしい」という坂本氏の願いを叶え、ブリヂストン美術館(現・アーティゾン美術館)を開館したという経緯もある。

現在、久留米市美術館では、「開館10周年記念展 美の新地平-石橋財団アーティゾン美術館のいま」を実施している。印象派や抽象派、現代アートをはじめ、坂本繁二郎氏、青木繁氏といった久留米市を代表するコレクションも展示されており、重要文化財として指定されている青木繁氏の「海の幸」(1904年)も閲覧可能。大漁の陸揚げを青木氏の空想も交えて製作されたという大きな油絵の迫力に、圧倒されることは間違いない。

記念館や美術館、そして石橋文化センターのすべてに触れていると、1968年に制定された「最高の品質で社会に貢献」というブリヂストンの社是は、石橋正二郎氏が捧げた人生そのものであることを実感する。「世の人々の楽しみと幸福の為に」というその信念を学ぶ絶好の機会となる「石橋正二郎記念館」。福岡県久留米市近郊を訪れた際には、クルマ好きはもちろんだが、多くの人にこの施設を体験してほしい。

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