緑の地獄は、今日も誰かを試している
レーシングドライバーであり自動車評論家でもある木下隆之がお届けしている人気連載コラムが「Key’s note」です。今回のテーマは、2026年に開催された「ニュルブルクリンク24時間レース」です。世界一過酷と言われるドイツのサーキットを舞台に、F1王者をも飲み込む「緑の地獄」の恐ろしさと、そこに挑み続けるドライバーたちの姿を、長年参戦してきた筆者ならではの視点で紐解きます。
ル マンが「格式」ならばニュルブルクリンクは「混沌」である
2026年のニュルブルクリンク24時間レースは、例年以上の熱狂のなかで開催され、数え切れないほどのドラマを生みながら幕を閉じた。
毎年のように現地へ足を運んでいるにもかかわらず、チェッカーフラッグが振られるたびに思う。やはりニュルブルクリンクは特別であると。
24時間レースは世界中に存在するものの、ニュルブルクリンク24時間はかなり違う方程式でレースが進行する。フランスで開催される伝統のル マン24時間レースが「格式」ならば、ニュルブルクリンクは「混沌」である。秩序立てられた美しさではなく、自然と人間と機械がむき出しのままぶつかり合う。そこにはモータースポーツという言葉だけでは説明しきれない何かがあるのだ。
2026年は、4度のF1ワールドチャンピオンであるマックス フェルスタッペンの参戦もあり、世界中から注目が集まった。
誰もが勝者を目指す41台のGT3マシンと日本人ドライバーの躍進
その影響もあったのだろうか。参加台数は近年でも際立って多かった。とりわけFIA-GT3規格(市販スポーツカーをベースとした世界的なレース車両規格)のマシンが戦う最速クラスのSP9には、41台ものマシンが集結した。総エントリー161台のうち、およそ4台に1台が総合優勝を狙うトップカテゴリーなのだから腰を抜かしかける。
速いマシンが数台いるだけなら平和だが、41台すべてが優勝を狙っているのだから混沌は必至だ。誰も譲らないし、誰も引かない。それでも24時間後に勝者となるのはたった1台である。考えてみれば、なかなか残酷な話なのだ。
2026年は日本人参加者も20名に達した。その数字を聞くたびに、僕は少しだけ遠い昔を思い出す。僕が初めてニュルブルクリンクに挑んだ1990年ごろ、日本人はおろか、黒髪のアジア人そのものが珍しい存在だった。パドックを歩けば視線を感じた。
「あいつはどこから来たんだ」
そんな空気が確かにあった。
当時、日本の自動車メーカーもまだニュルブルクリンクの価値に気づき始めたばかりだった。そのなかで真っ先に可能性を見出したのが、神奈川県横浜市に本社を置く日産だった。力試しに日産「スカイラインGT-R」を送り込み、そのドライバーとして僕は起用されていたのだ。
当時は「ニュルブルクリンク」と「ニュルンベルク」の区別すらついていない人が少なくなかった。それほど知名度は低かったのである。
それが今ではどうだろう。20名もの日本人ドライバーが参戦し、日本のファンも現地に駆けつける。メーカーの開発拠点が置かれ、日本のクルマが当たり前のように周回している。隔世の感という言葉では足りないほどである。
もっとも、日本人による総合優勝はまだ遠い。SP9クラスにも日本人ドライバーは参戦していたが、表彰台争いには加われなかった。不遜を承知で言うならば、日本人としての総合最高位はいまだに僕が日産 スカイラインGT-R(2004年のR34型ファルケンGT-R)で記録した総合5位が最上位である。あれから長い歳月が流れた。
もちろん、日本人ドライバーの実力が低いわけではない。むしろ高い。問題はニュルブルクリンクのレベルが、当時とは比較にならないほど上がってしまったことにある。世界中のトップドライバーが集まり、メーカーが巨額の予算を投じ、GT3というカテゴリーが成熟し、ドライバーの層も厚くなった。今やポディウム(表彰台)へ上がるだけでも至難の業なのである。
F1王者フェルスタッペンをも飲み込む「緑の地獄」の不条理
今年の結果がそれを物語っている。総合優勝したのはドイツのメルセデスAMG「GT3」だったが、そのマシンは予選25位に沈んでいた。トップ10にも進出できなかったチームである。普通なら優勝候補とは呼ばれない。ところがニュルブルクリンクでは、奇跡が起きる。速さだけでは勝てない世界なのだ。
予選上位の有力車両たちは次々とトラブルに見舞われ、ある者はクラッシュし、ある者はマシンを壊し、またある者は夜の森へ消えていった。
フェルスタッペンも例外ではなかった。序盤からトップグループで戦い、優勝候補の筆頭として存在感を見せていたものの、後半になってマシントラブルが発生した。勝負権は失われた。最後は満身創痍の状態でチェッカーを受けるのが精一杯だった。F1王者であっても、ニュルブルクリンクの前では特別扱いされない。そこがこのコースの恐ろしいところであり、同時に魅力でもある。
2026年の完走率は70%だった。そのなかには長時間ピットで修復を行い、なんとかチェッカーにたどり着いたマシンも含まれている。本当に無傷で24時間を走り切ったマシンは、ごくわずかだろう。
それでも昨年の完走率は66%だった。僕も昨年参戦していたが、チームメイトがクラッシュに巻き込まれ、僕は一度もドライブすることなくレースを終えている。24時間レースに出場して走行距離ゼロ。そんな理不尽も、この場所では珍しくないのである。
ただし、生き残ればいいわけでもない。ペースを落とし、安全運転で24時間をやり過ごしても何も得られない。スプリントレースと同じ勢いで24時間を攻め続けなければ勝てない。速くなければ意味がない。だが速すぎても壊れる。その矛盾を抱えながら走り続ける。だからニュルブルクリンクは美しいのかもしれない。
北コースには「緑の地獄」という異名がある。森に囲まれた山岳コースは、今日も挑戦者たちを試し続けている。勇気だけでは足りない。技術だけでも足りない。運さえあれば勝てるわけでもない。そのすべてを持つ者だけが、24時間後に笑うことを許される。
だから人はまた来年も、この地獄へ戻ってくるのである。
