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究極の後席VIPのために…… 天皇御料車も存在したメルセデス・ベンツを代表する歴代超高級モデルたち

メルセデス自らが誇る特別なモデル

 ドイツの自動車メーカー「メルセデス(ベンツ)」は「高級乗用車に秘められた顧客満足度を高める仕掛け」を常に盛り込んでクルマを世に送り出してきた。安全対策やモノ作りへのこだわりの現れであるメルセデス・ベンツ車だが、なかでも「メルセデスが誇る歴代の特別モデル」があるので紹介しよう。

770K グロッサ-・メルセデスは偉大なり

 当時のダイムラー・ベンツ社は1930年、世界最古の自動車メーカーとしての名に賭けて、7.7リッターのスーパーチャージャー付きの超高級リムジンである「グロッサー・メルセデス・シリーズ」を世に送り出した。

 この年代に本格的なリムジン構想が実現され、メルセデスの頂点に立つ最高級モデルが登場。1932年ごろから、最後は1969年まで実に37年間に亘って世界各国で愛用された。

 このグロッサー・メルセデスは770Kのコードナンバ-で造られ、直8、95×135mm、7655cc、自社製のダブルチョ-ク・キャブレタ-とコンプレッサ-の組み合わせで30/150/200(課税馬力/通常出力/過給出力)という出力。ホイールベースは3750mm。2.5トン以上もあるボディを160km/hのスピードで引っぱった。

 そもそもリムジンとはドイツ語でLimousine(リムジーネと発音)、セダンのこと。そしてグロッサー・メルセデスとはドイツ語で「Grosser Mercedes」、日本語に訳すると「大きなメルセデス」。しかもこの「大きなメルセデス」の本来の隠された意味には「偉大な」という意味もある。文字通り、世界中の元首や大富豪のために造られた超豪華大型リムジンである。

 

グロッサー・メルセデスは日本の皇室御料車に

 そして、我が国と深い関係もあったことも事実。筆者が自動車業界の会社に入社3年目頃、当時の上司に連れられて宮内庁の車馬管理課に行ったところ、メルセデス車両があった事を記憶している。当時、300cが4台、770が3台あった。日本の皇室御料車としてこのグロッサー・メルセデスは昭和6年から10年にかけて7台輸入された。1932年型が3台と1935年型が4台だった。

 スリーポインテッドスターの代わりに16花弁の菊の御紋を横向きにセット。グリルセンターの御紋はメルセデス・ベンツのマスクに合わせて中央で折り曲げられて付いており、リアドア両側にも菊の御紋が取り付けられていた。

 ボディカラーはいうまでもなくロイヤル・マルーンの溜め色でトップとフェンダーが黒色に塗装。ちなみにこの16弁の菊の御紋は天皇家の御紋で門外不出なので、メルセデス・ベンツミュージアムに展示されている菊の御紋は15花弁になっている。また、リアコンパートメントの内装は、宮内省支給の西陣織で仕上げられていた。

 この皇室御料車としてのグロッサー・メルセデス7台は第2次大戦を生き抜き、最後は1969年まで、実に35~36年に亘り、昭和天皇とともに歩んだ。参考までに、初代の天皇御料車は大正天皇時代の英国・デイムラー、二代目の天皇御料車は英国・1920年式ロールス・ロイスで、そして3代目の天皇御料車としてドイツのこのグロッサー・メルセデスとなった。

 これら歴代の御料車は御役目を果たした後、そのまま世に出たのでは畏れ多いということで解体されるのがしきたりであったが、この1935年型のグロッサー・メルセデス1台はメルセデス・ベンツミュージアムに寄贈され1972年以来、展示されている。これには当時のダイムラー・ベンツ社の熱心な懇請があり、ついに宮内庁側が折れて昭和天皇の御料車1台をシュツットガルトのメルセデス・ベンツミュージアムに寄贈することになったという経緯がある。

 また1932年には、1台のプルマン・カブリオレFが、オランダに亡命中の旧ドイツ帝国最後の皇帝・ヴィルヘルム2世の元に送られたと記録されている。ちなみにこの車は当時のメルセデス・ベンツミュージアムで、昭和天皇の御料車と並んで展示。

 他の顧客名簿には著名人が名を連ねており、ドイツのヒンデンブルク大統領、スウェーデン王グスタフ5世、エジプトのファルーク王、ブルガリアのツァー・ボリス、ユーゴのパウル摂政宮、それに作曲家のリヒァルト・シュトラウスなどが愛用したと記録が残っている。

 

世界の要人を乗せた大型高級リムジン600

 1963年のハイライトとして、「グロッサー・メルセデス」の再来といわれた「大型高級リムジン600(W100)」が登場した。ボディの種類も全長が6240mmのプルマン・リムジンが特注生産され、4ドア・5ドア・6ドアにもなるし、室内でも好みのレイアウトが可能だった。

 加えてランドウ・タイプのボディも造られた。とにかくウッドの見本だけでも4種類、20数色の本革、同種の最高級ベロアーが用意されどんな注文にも応える用意ができていた。

 ジョン・レノンのピアノ付きから日本のオーナー向きの下駄箱付きまで、特にプルマン・リムジンでは2台として同じスペックはみられなかった。しかし、この600は大きく豪華なリムジンというだけではなく、優れた車でもあった。

 これまでリムジンというものは、背の高い旧式な大型セダンということが常識とされていた。例えばロールス・ロイスのファンタム6世は全長×全幅×全高が6040×2010×1750mmに対し、600の標準モデルでは、5540×1950×1485mmでスタイリングはまったくモダン。

 しかも十分な貫禄を備えているばかりか、それまで自動車に使われたことのなかった航空機の技術、ハイドロリック・システムのパワーウインドウやパワーシートを採り入れるなど、自動車においては極めて高いレベルのエンジニアリングが盛り込まれた。

 そのうえ、走行性能はまるでスポーツカーを凌ぐほど優れたリムジンだった。気になるリムジン・プルマンの合計生産台数(1963年~1981年迄)は2677台(リムジン=2190台、プルマン=428台、ランドウ=59台)だ。

 この600のオーナーには著名な人も多い。20世紀最大の海運王の息子のアレキサンダー・オナシス、世界的に有名な指揮者のヘルベルト・フォン・カラヤン、フランスの有名歌手のミレイユ・マチュー、時のF1チャンピオンであるジャッキー・スチュアート(彼のは真っ白な600だった)も。

 また、国家や元首用として、ヨハネス・パウル2世法王、パウル6世法王も利用していた。国家の威信にかけてイギリスのエリザベス2世女王と当時の西ドイツ首相、キージンガー氏がともにパレードする600プルマン・ランドウの写真はあまりにも有名だ。

 

1929年誕生のマイバッハが60年ぶりの復活へ

 現在はメルセデスの最高級ブランドとして位置づけられているマイバッハSクラスであるが、そのマイバッハの歴史は古い。

 自動車の生みの親であるゴートリーブ・ダイムラーのパートナ-として活躍した技術者がヴィルヘルム・マイバッハである。1900年にゴートリーブ・ダイムラーが他界すると、1907年にヴィルヘルム・マイバッハは息子のパウル・ダイムラーに会社後継者としてダイムラー社を譲り、自らは去った。

 その後、マイバッハはあのツェッペリン飛行船のエンジンを製作する航空エンジン会社を1909年に設立、こちらは息子のカールが経営を担当し、1921年に自動車生産も始めた。マイバッハ社のクルマはロールス・ロイスに匹敵する高品質、大排気量のエンジンを搭載した高性能車だった。

 事実、父親の才能を受け継ぎ天才的なエンジニアに成長したカール・マイバッハは初の市販モデル「W3」を1921年のベルリン・モーターショーで初披露。独創的なペダル操作の2速ギアボックスで運転の省力化を実現し、当時としては贅沢な4輪ブレーキも搭載。マイバッハが最初から高級車を目指していた事は明白だった。その名声を確固たるものにしたのが1929年に発表した「マイバッハ12」である。 その名の通り、飛行船用エンジンをベースにした7リッターV12気筒エンジンを搭載。翌1930年には「ツェッペリン」と改名され、世界最高級車の1台として君臨した。世界の王室、上流階級、セレブ達に愛用されたが、第2次世界大戦が激化。1941年には乗用車の生産をストップし、その生産台数は20年間で1800台ほどに過ぎなかった。

 その後、船舶や鉄道用の大型ディーゼルエンジンに専念するが、1960年に当時のダイムラー・ベンツ社が筆頭株主となる。以来、会社名は数回変わったがメルセデスとの関係は続き、マイバッハが眠りについた1941年から約60年を経た2002年、遂に最高級モデル「マイバッハ」が復活するのである。 ボディは当初2種類あり、全長が5723mmの「マイバッハ57」と全長が6165mmの「マイバッハ62」。エンジンは5.7リッターのV12気筒に左右Vバンクへターボチャジャーを備え、最高出力は550psを発揮した。メルセデス アドバンスド・デザインセンター・ジャパンの代表作としても有名だ。

 その生産方法だが、かってのマイバッハ同様に細部にわたってユーザーの希望に沿って受注生産され、1台1台手作業で造られた。ユニークなのはその販売方法。商談から受注、納車、サポートの全てを「パーソナル・リエゾン・マネージャー」が専任で行なった。

 なお、気になるインテリアは鏡のように磨かれたウッドパネルと最高級グランドナッパレザーの精緻で豪華な室内装飾。当然ながらすべてが熟練した職人達の手造り仕上げである。1台のマイバッハには、実に8種類におよぶ最高級レザーが使用されたという。 特に「マイバッハ62」のルーフには日本の障子をイメージした格子状の液晶調光パノラマミックガラスサンルーフが備えられていた。その他、リアシートには様々な装備が用意された。携帯電話、600ワット出力を備えた専用設計のBOSEサウンドシステムやDVDなどのエンターテイメント。キャビネットのクーラーボックス内には冷えたシャンパン、そして、銀製のシャンパングラスとコップが用意された。

 しかし、この最高級車である「マイバッハ57」と「マイバッハ62」がラインドロップし、現在のメルセデスマイバッハSクラスに至った経緯は承知の通りだ。

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