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乗ってりゃモテた狂乱のバブル期! 「女子大生」にバカウケだった「ガイシャ」5選

バブル景気で輸入車が爆発的にヒット!

 今、50歳以上の人が20代以降に経験したであろう空前のバブル景気。それは1986年から1991年に至る5年間に日本を巻き込んだ、まさにシャンパンの泡のような、いつしか消える好景気だった。特に、1987年はガイシャ(当時、輸入車をガイシャと呼ぶのが一般的だった)の登録台数が前年から飛躍的に伸び、86年の6万8357台から一気に9万7750台へと躍進した、ガイシャ元年とも言うべき年だった。

 1988年に筆者が書いた、おそらく日本で初めての外車購入術を1冊にまとめた単行本「ぼくたちの外車獲得宣言」(リヨン社刊)が出版されたのも、そうしたバブル景気によって、ガイシャが当時の若者の神器になった背景がある。カラーページに登場する女の子は、バブル女子を絵にかいたような、お友達のワンレンボディコンの女子大生だったりして・・・・・・。

 思い出せば、バブル期には女子大生の友達も多く、彼女たちの生態をある程度知っている。ここでは、バブル期の女子大生にウケが良かったガイシャをランキングしてみたい。最初に結果を白状してしまえば、バブル期とはいえ、意外に堅実感あるガイシャが人気だったように記憶している。

メルセデスベンツ190E

 当時の女子大生に人気かつ、女子大生本人の愛車であることも多かったのが、メルセデスベンツ初の5ナンバー車でもある、ベンツ最小だったW201と呼ばれる190Eであった。日本ではヤナセが1985年から輸入・販売し、好景気もあって、爆発的にヒット。

 それまで国産車に乗っていた女子大生、若者男子もこぞって買い求めたものだ。たしか、初期の価格は500万円程度だったと思うが、バブルのマジックは、それがお手頃と思わせたのである。男子はブルーブラック、女子はレッドのボディカラーがスタテータスカラーだった。裕福な女子大生の家では、娘に安全なクルマを買い与えたい・・・・・・という想いもあったようだ。

BMW3シリーズ

 女子大生自身の愛車、というより、彼氏に乗ってもらいたいランキングで当時、圧倒的な評価を受けていたのが、六本木のカローラとまで言われるぐらい、東京都心に増殖したE30型BMW3シリーズだった。

 190Eとの違いは、BMWのほうが、プロペラと青空のエンブレムに象徴されるように、爽やかでスポーティーな印象があり、乗っていると、クルマに詳しい好青年をイメージさせたからである。

 実際、ボクも1985年型の325iに乗っていたけれど、女子大生ウケは抜群だった。ガイシャ=ヤバイ人が乗るクルマというイメージがまるでなかったのも、仮に、ナンパという場面でも、そこはかとない安心感を与えていたようだ。

アウディ80

 まさにバブル期の入り口である1986年にパリサロンでデビューした、アウディ80も、女子大生人気絶大なドイツ御三家の1台。ベンツやBMWに対して、先入観にとらわれにくい、繊細でクリーンなイメージ(白紙的とも言えた)もあり、街に溢れた190Eや3シリーズとの距離を置きたい女子大生(若奥様)に支持を得た。

 ただ、男子が乗ると、ちょっと頼りなさも感じさせたものだ。男子が乗るなら車格感がグーンと高まる、フォーマル感ある100シリーズ以上が安パイだったと記憶している。

サーブ900

 男子が乗っていると、お坊ちゃま感がありすぎて、ちょっと頼りなさを感じさせたアウディ80に対して、アッパーな女子大生が「彼氏に乗ってほしいガイシャ」の渋い選択肢として、バブル期に注目されていたのが、サーブ900である。

 バブル期、六本木のカローラと呼ばれた”赤い”BMW3シリーズに対して、六本木ほどギラギラしていなかった、比較的静かで大人の雰囲気があった夜の遊び場、乃木坂あたりで流行り、カタカナ商売人、著名人、芸能人にも愛用者が多く(テリー伊藤さんが輸入1号車のオーナーだったらしい)、クラシカルなスタイルから知的なイメージもあった”黒い”サーブ900なのである。

五木寛之の小説に登場したことも、知性派の若者人気を押し上げたと言っていい。なお、こちらは、助手席指定席の女子大生の憧れとなっていた1台であり、女子大生が愛車として、自らステアリングを握るケースは稀だったと思われる。

VWゴルフ・カブリオレ

 東京、青山、表参道あたりでハイスタイル、ハイライフを謳歌する(六本木ではない)、当時のお嬢様女子大生に密かに人気だったのが、初代ゴルフに加わった、カブリオレである(なんと1992年まで販売継続)。幌はカルマン社(コーチワーク)が制作担当した。

 1985年に1.8リッターエンジンが積まれ、バブル期真っただ中の1989年にはエクステリアをリフレッシュ。そのホワイトボディーが、まさにお嬢様仕様で、イケてる女友達と2人で青山や代官山を流すシーンがよく見られた。男たちからしてみれば、羨望である。

 ボクの女友達(青山の有名大学に通うお嬢様)の愛車でもあり、自宅はなんと表参道の一等地にあった。初代ゴルフ・カブリオレは、今でもVWゴルフのクラシック・カブリオレとして価値ある1台だ。

リアガラスに「YANASE」のステッカーがステータス

 が、190Eやアウディ80もそうだが、ベンツ、VW、アウディがお嬢様系女子大生に不動の人気を誇ったのは、日本の老舗輸入車ディーラーの「ヤナセ」が取り扱っていたことが大きい。当時のヤナセのセールスに何人も学友、友人がいるのだが、みんな好青年のお坊ちゃま。

 顧客の自宅にビシッとスーツでキメて、フラッと菓子折り持参でやってきて、奥様や娘さんと世間話をして帰る・・・・・・そんなセールスと顧客の強い絆、関係性もあった時代なのである。

 だから、次のクルマも、当然、ヤナセである。上記のゴルフ・カブリオレに乗っていた女子大生も、始めてあったとき、「どんなクルマに乗っているの」と聞いたら、フォルクスワーゲン、ではなく、「ヤナセのクルマ」と奥ゆかしく答えたほどである。それぐらい、リヤウインドーに黄色いステッカーが貼られたヤナセで買った”正規輸入車”(当時は並行輸入車も多かった)のクルマにはステータスがあったというわけだ。

 もちろん、当時、3代目となる911、964型ポルシェ911も絶大なる人気を誇っていたが、女子大生より上の年齢層の女子人気が主だったはずである(男子オーナーの年齢層が、190EやBMW3シリーズよりグーンと高かったせいもある)。

 ちなみに、筆者は1985年からBMW325i、1987年からマセラティ・ビターボ、1990年からメルセデスベンツ300Eに乗っていたが、マセラティだけは周りの女子大生にまったくウケなかった。

 理由は、マセラティという車名が、当時の彼女たちの脳内辞書に、まだ書き込まれていず、彼女たちが憧れるスリーポインテッドスターでもなくプロペラマークでもなく、フォーシルバーリングスでもなかったからである。

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