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「フェアレディZ」がスーパーGTに帰ってくる! 実は半世紀に及ぶ意外と熱い「Z戦記」を振り返る

2022年のスーパーGTに参戦するフェアレディZ

国内外で数々の栄光を手にした「Z」

 国内モータースポーツの最高峰で、世界的にも注目を集めているSUPER GTシリーズは、11月の末に富士スピードウェイで行われた第8戦をもって今シーズンのプログラムを終了。日産がシリーズに投入していたNISSAN GT-R NISMO GT500も、同レースをもって現役から退くことが以前から発表されていました。

 その1週間後、12月5日には同じ富士スピードウェイを舞台に、次期参戦マシンとなるNISSAN Z GT500のお披露目会が行われました。GT-Rとともに日産のモータースポーツをけん引してきたZのモータースポーツ史を振り返ってみました。

レースに参戦してラリー仕様を開発

 フェアレディZの初代モデルが登場したのは1969年11月のことでした。同年2月にはスカイラインにGT-Rが追加設定され、そのGT-Rと同じS20エンジンを搭載するZ432がトップモデルに位置づけられていました。ですが、やがてL20エンジンの排気量を拡大したL24エンジンを搭載するフェアレディ240Z(輸出名はDATSUN 240Z)が登場。スカイラインGT-Rと2トップで、日産のモータースポーツをけん引することになりました。

 もっとも、当初はサーキットレースでの活躍が目立っていました。ですが、そのうちにサーキットレースは、ラリー仕様の開発の実戦テストの場としてとらえられるようになり、海外の高速ラリーに参戦するワークスZを開発するためにさまざまなパーツがテストされています。

 それまでラリーの主戦マシンだったブルーバードとフェアレディ240Zは、メカニズム的に見ても“兄弟分”的なところも多く、ブルーバード用L型4気筒のL16エンジンを6気筒にしたのがL24とは広く理解され、4輪独立懸架のサスペンションも4輪ストラットと基本設計は同じと考えられています。ですから、ブルーバードから240Zへの移行はスムースに行われたのかもしれません。

 240Zのラリー実戦デビューは、70年のRACラリー(現ウェールズ・ラリーGB)でした。ディーラーチームからのエントリーでドライバーを務めたのはラウノ・アルトーネン選手で、これはワークスチームとしてのデビュー戦となる71年のモンテカルロ・ラリーに向けてのテスト参戦の意味合いが強いものでした。

 じつは70年の初頭にはアルトーネン選手を起用して、モンテカルロで実走テストを行ったところ好感触を得ることができ、年末のRAC、そして翌71年のモンテカルロに繋がっていったのです。70年の初頭と言えば、国内ではZ432Rが北野 元選手のドライブで鈴鹿300kmにレースデビューを果たしていましたが、ほぼ同時期にラリーでもワークス活動が開始されたいたのです。

 クルマはZ432Rではなく240Z。以後もラリーでは240Zが主戦を務め、一方で国内レースにおいてもZ432Rは活動がプライベートに託され、ワークスチームは240Zに主力を移していくようになりました。そしてプライベートでも有力どころはトルク特性に優れた240Zに移行し、最終的に高回転高出力のS20エンジンを搭載したZ432Rはサーキットから姿を消すことになりました。

サファリラリーで大活躍

 海外ラリーにおける240Zの活躍は、とくにワークスが力を入れていたサファリラリーで顕著でした。71年にはエドガー・ヘルマン選手とシェッカー・メッタ選手が1-2フィニッシュ。ヘルマン選手は前年のブルーバードでの優勝に続く2連勝となりました。また、73年にはメッタ選手が優勝を飾っています。

 その後、海外ラリーではバイオレット(PA10)や240RS(BS110)などが後継として活躍するようになり、240Zは海外ラリーから引退することになりました。その一方で国内ラリーでは初代モデルでプライベートが参戦した記録もありますが、ワークスチーム(NISMO)による参戦としては85年、神岡政夫選手を擁して3代目(Z31)の300ZXターボで参戦。Cクラスでチャンピオンを獲得したことが思い出されます。

 当時はレギュレーションでチューニングが厳しく制限されており、市販モデルでハイパワーを発揮していた300ZXターボが威力を発揮。ライバルに比べて大柄なボディのハンディを跳ね返し、ツール・ド東北で2勝目を挙げたことが戴冠の大きな要因となりました。また87年には同じ3代目の200ZR-Iでも参戦していました。近年では5代目のZ33が三好秀昌選手のドライブで、全日本ラリー選手権の2輪駆動部門に姿を見せていたことが思い起こされます。

初代モデルは国内レースで活躍するも2代目以降は北米に活路

 国内でのメジャーレースデビューとなった70年の鈴鹿300kmで、ポテンシャルの一端を見せたフェアレディZ432R。前にも触れたように半年後にワークスから高橋国光選手と黒沢元治選手のコンビで富士1000kmにデビューし、見事なデビューウィンを飾ってからというもの、主力は240Zへと移行していきました。

 そして72年には柳田春人選手が富士グランチャンピオン(GC)レースで雨のなか、並みいる純レーシングカーを抑えて勝ち“Zの柳田”と評されるようになりました。翌73年にはL型エンジンのカウンターフロー式ヘッドを、同じOHCながらクロスフロー式ヘッドにコンバートしたLY24エンジンを搭載した240ZRが誕生。デビュー戦となったレース・ド・ニッポン6時間は散々な結果に終わりましたが、1カ月後に行われた鈴鹿1000kmでは見事総合優勝を飾っています。

 LY24エンジンはLY26、LY28を経て最終的には3L近くまで排気量を拡大。78年には柳田選手が富士GCサポートレースのスーパーツーリング&GTレースでシリーズチャンピオンに輝いています。しかし、78年のフルモデルチェンジで登場した2代目(S130)は、国内レースでは富士の耐久シリーズにプライベーターの“権田坂280Z”が出場した程度で、活躍の舞台は北米に移っていってしまいました。

 その北米では初代モデルがSCCAのプロダクションカーレースで活躍していましたが、2代目に移行したあたりからはIMSAの人気が高まっていった。先ずは初代モデルのHS30でIMSA-GTUクラスに出場した240Zは、75年、76年とシリーズを連覇して2代目のHS130にバトンを繋いでいます。そのHS130もデビューシーズンの79年にGTUのタイトルを奪還すると翌80年にはGTOにステップアップ。82年には280ZXを駆るドン・デベンドーフ選手が、ドライバーズチャンピオンに輝いています。

 280ZXはL28エンジンをターボで武装して550psを絞り出していましたが、エンジンをプレジデント用の4.1L V12に乗せ換えたダットサン・ターボZXは、さらに大パワーの750psを捻り出し、こちらも大きな存在感を放っていました。そして3代目のZ31、4代目のZ32も引き続きIMSA-GTシリーズで活躍を続けます。そしてGTOからGTSへと名称が変更された92年には全11戦で5勝を挙げ、日産にマニュファクチャラータイトルをもたらすことになりました。その後Zのレース活動は、その活躍のメインステージを北米から、ふたたび日本国内へと移すことになりました。

全日本GTとスーパー耐久。そして2022年にふたたびSUPER GTに

 ふたたび日本国内へと活躍の場を移したZ。参戦カテゴリーは国内最高峰で“最速最強のハコ車レース”と評される、全日本GT選手権(JGTC)でした。Z33をベースにチューニングしたマシンが参戦することになったのですが、じつはそれ以前も、JGTCにはZが参戦していました。国内の有力チームでマシン制作も行っていたチーム・ルマンが、Z32をベースにGT500(当初はGT1)クラス用のマシンを製作して参戦していたのです。

 なかなか結果を残すことができず、アメリカからGTSマシンを輸入して参戦したシーズンもありましたが、それでも好結果を残すには至っていませんでした。Zファンにとっては消化不良のシーズンが続きましたが、いよいよ日産ワークスがJGTCに乗り出すことになりました。

 まずは2003年にGT300デビュー。翌04年にはGT500にも参戦を開始しています。GT300仕様は改造規則も制限が厳しく、ツーリングカー的なマシンとなっていました。

 対して、日産・トヨタ・ホンダの3メーカーが鎬を削っているGT500仕様は、モノコックのキャビン部分を残して前後を切断、新たにパイプでフレームを組むという、ベースとはまったく別物の純レースカーに昇華。もちろんNISMOで製作されたZも車両規則に則って仕上げられていて、エンジンもVQ30DETTを搭載していました。

 そしてこのデビューシーズンに2勝を挙げた本山哲/リチャード・ライアン組がドライバーズチャンピオンに輝くとともに、NISMOがチームチャンピオンとなりダブルタイトルを獲得しています。

 一方、N1耐久シリーズを原点としているスーパー耐久シリーズでも03年にデビュー。初年度はトラブルに悩まされたものの翌04年シーズンには全8戦のすべてでクラス3を制し、4勝ずつ勝利を分け合った星野一樹組と尾本直史組がシリーズ1-2位につけていました。

 当時のスーパー耐久クラス3は、毎戦のように10台前後が参加する激戦区のひとつで、ホンダNSXやマツダRX-7、それにBMW M3とライバルも強力でしたが、フェアレディZは速さと強さでそれらライバルを一蹴していました。NISMOでもそれに応える格好で、07年にはZ33をベースにしたバージョン・ニスモ Type 380RS-Cをリリース。

 2011年にはその後継モデルとしてZ34をベースとしたフェアレディZ ニスモRCを発売し、スーパー耐久に参加するチームをサポートしてきました。

 そんなフェアレディZ……このネーミングは国内専用なので、参戦時のネーミングは世界共通のZとなりますが、来シーズンはいよいよSUPER GTにカムバックしてきます。先日、富士スピードウェイでお披露目会はありましたが、車両の詳細はまだ公表されていません。それでもレギュレーションによる規制も厳しく、今シーズンまでGT-Rとして熟成されてきたシャーシに、新たに新型Zのシルエットを持ったカウルを纏ったものとなるはずです。

 熟成されたシャーシに、よりシャープで空力的に優れたカウルワークが組み合わされるとなれば……。これはもうファンならずとも期待せずにはいられません。来シーズンの開幕が楽しみになってきました。

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