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「GT-R」や「Z」のように名車の称号を継承できず! 「NSX」が世代交代に失敗した理由

初代NSXとアキュラNSX

国産初のスーパーカー「NSX」が2022年末で30年の歴史に幕を閉じる

 2021年を最後にホンダはF1の舞台から去ることになった。しかしホンダ製のパワーユニットは、2022年シーズン以降もHRCのサポートによってレッドブルとアルファタウリの2チームへの供給が続けられている。残念ながらチーム名(レッドブルホンダ、アルファタウリホンダ)からHONDAの名は消えてしまったものの、この世界最高峰のモータースポーツの舞台で、縁の下の力持ち的な存在とはいえ活動が続けられていることは、ファンにとって嬉しい限りである。

 振り返ると1980年代後半〜1990年代にかけて輝かしい戦績と栄光を掴んできた第二期ホンダF1活動とシンクロするように、ホンダは1990年9月14日に初代NSXを発売した。その前年には、トヨタからセルシオ、日産からはR32型スカイラインGT-RやZ32型フェアレディZ、さらにマツダからはロードスターが華々しくデビュー。そのなかでNSXのデビューは世界初のオールアルミ合金製ボディの採用というトピックもあり、国産初のスーパーカーとして多くの話題をさらったのである。

 しかし、ホンダは昨年、2022年12月をもって2代目NSXの販売終了をアナウンス。後継モデルの登場がなければ、初代のデビューから30年の歴史に幕を閉じることになる(※2006年〜2015年まで10年間の空白期間あり)。

ユーザーに寄り添った初代NSXは大成功を収める

 かねてより近年のスポーツカーやスーパーカー、ハイパーカーのビジネスは難しいと言われているが、なぜホンダはNSXブランドを構築することができなかったのだろうか? まず考えられるのは、初代のデキが素晴らしかったこと。NSXのために専用の工場まで新設して生産されたモデルは、高性能な横置き3.0L V6のVTECエンジンの搭載や、前述した量産車世界初のアルミ合金ボディによる軽量化(1350kg)、さらに優れた耐久性も誇った。

 またタルガトップや3.2Lエンジンの追加、タイプSやタイプRなどのスペシャルなモデルも投入したことで、鮮度を落とすことなく次々に魅力的なモデルを世に送り出した。また、高性能なスポーツカーであっても、日常の市街地走行でも普通に扱える素晴らしさは、欧米のスポーツカーメーカーをも慌てさせるほどの実用性も兼ね備えており、4速ながらトルコンAT仕様も設定。日本初の本格スーパースポーツとしては破格の800万3000円(5速MT車、税抜き)というバーゲンプライスも魅力であった。

 その意味では、NSXはスポーツカーの民主化を果たしたモデルとも言うことができる。見た目も走りもスーパーなのに運転がしやすくて扱いやすく、サーキット走行もしっかり堪能できるスペックを誇り、毎日使えるアシ代わりにもなるクルマであった。さらに発売から3年後にはリフレッシュプランが用意されるなど、購入したオーナーを大切にするおもてなしの姿勢が、多くのファンの心を惹きつけたとも言える。

GT-RやZは国内外のファンから根強い人気を誇る

 初代に限って言えば、NSXが後世にまで語り継がれるべき日本を代表するモデルの1台であることは間違いないのだが、ホンダはなぜNSXというブランドを構築することができなかったのだろうか? そこで国内のライバルたちのブランディングを検証してみたい。

 日産のGT-Rはスカイライン時代からの綿々と続く歴史があり、第一世代や第二世代、そしてスカイラインから独立してGT-Rとなったわけだが、1957年に登場したプリンス・スカイラインからの長い歴史がある。

 これはフェアレディZも同様で、昭和の時代からスポーツカーとして北米を中心に海外でも人気が高い。この両者には古くからコアなファンが多く、まさに日本を代表するスポーツカーであった。

 それは現行型GT-R(R35型)も同様で、2007年のデビューから改良が頻繁に行われ、スカイラインGT-Rを含む、歴代GT-Rのなかでもロングライフのモデルとなっている。ちなみに現行型GT-Rの初期モデル(標準仕様)は車両本体価格777万円(税込み)で発売され、初代NSXよりもさらに安い価格で販売された。もちろん、改良が加えられるたびに価格は高額になり、今では1082万8400円〜1463万6600円(特別仕様車を除く、税込み)となっている。しかしスポーツカーは進化し続けることが重要であり、それにともなう価格の上昇は決して批判されることではなく、進化=高性能化に対する正しい対価と考えることができる。

 これはフェアレディZも同様で、新しく発売される新型の特別仕様車「Proto Spec(プロトスペック)」の価格は696万6300円(税込み)となっている。ちなみに2008年発売のZ34型フェアレディZの初期モデルが362万2500円(標準仕様、税込み)であったことを考えると割高な印象を受けてしまうが、やはり進化した分だけ価格が上がるのは致し方ないのだ。

 ちなみにNSX、GT-R、フェアレディZの各モデルのキャラクターは三者三様だ。R35GT-Rはスーパーな2ペダル専用マシンで、強大なパワーとトルクを自慢のフルタイム4WDでねじ伏せるそんなイメージがある。対してフェアレディZは新型にも3ペダルMTの設定がある。販売台数こそ少ないかもしれないが、国内外のファンから根強い人気を誇るピュアスポーツカーだと言える。

継続することで認知され多くのファンを獲得することができる

 そこで、日本が誇るもう1台のスポーツモデルに注目してみたい。それがマツダ・ロードスター(以下ロードスター)だ。このマツダのオープンカーは世界的に安全基準が高まるなかで、オープン2シーターが発売できるのか? という雰囲気のなかでデビューしたのだが、世間の心配をよそに大ヒットモデルとなった。当時、マツダとしては少し改良を遅らせようとか、生産コストの問題、装備の追加と重量とのバランスなど、開発陣は悩みに悩んだことだろう。だがロードスターを作り続けたことで、ロードスターはマツダの文化となった。つまり継続は力なりである。

 またアメリカを代表するスポーツカーとしてコルベットが挙げられるが、欧州や日本勢のクルマに苦しめられながらも、現在でもスポーツカーやスーパーカーがもっとも売れる国だと言われる土壌で熾烈な競争のなか、コルベットの歴史が止まることはなかった。

 これはコルベットが、ライバルたちに対してスタイリングが先進的ではなくても格好良く、誰が見てもコルベットとして認知されるスタイリングに大好きというV8エンジンを載せた、不変の歴史と伝統に裏付けされたルックスとスペック、そして走りがあるからだ。

果たして2代目NSXには初代のような志があったのだろうか?

 あらためてシンプルにNSXには何が足りなかったのか? と考えると、ひと言で言うならば「歴史」と「物語」だ。GT-Rがスカイライン時代から築き上げた、昭和の時代に日本でもスポーツカーが作れることを証明して見せた。フェアレディZは日本よりも北米のファンが多いと言われるほどの数多くのファンに支持されてきた。もちろん初代NSXもルマン24時間レースなど、国内外のレースで優勝を飾る華々しい歴史があるのだが、世界的規模で見るといささかインパクトに欠ける。とくにHV化された2代目NSXは、スーパーカーの三大巨頭であるフェラーリやポルシェ、ランボルギーニと比較すると、そのキャラクターは弱いと言わざるを得ない。

 辛口になるが、2代目NSXには初代と同じ志はあったのだろうかと問いたい。例えば、電動化は時代の要請ではあったが、それをNSXでやるべきことだったのか? と。フェアレディZもコルベットもロードスターもプラスEV(ハイブリッドもしくはプラグインハイブリッド、純粋なバッテリー式の何らかの電動化モデル)ではない。フェラーリはハイブリッドモデルをラインアップしているが、ポルシェは看板モデルの911には電動化モデルの設定はなく、BEVを別モデル(タイカン)で販売している。

 それゆえにNSXは、先駆者として電動化に舵を切ったのだろうが、似たようなコンセプトと言えたBMW i8も短命に終わっている。結果論だが、どうせあと数年しかガソリン車に乗れないのだからと、初代NSXを正常進化させた内燃機関搭載の2代目ではダメだったのだろうか? 初代NSXのファンは2代目NSXどう評価したのだろう。奇しくもNSXの車名はNew・Sports・X(未知数)の頭文字となっている。それは新しいことにチャレンジし続けるHondaイズムにも通じている。その志は素晴らしいものではあるが、そこにブランディングやマーケティングが正しく存在したのかが、いささか不明であるのが残念でならない。

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