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平凡な4ドアセダンだったはずの「プリメーラ」が後世に語り継がれる名車になったワケ

プリメーラはツーリングカーレースシーンでも大活躍した

R32 GT-RやZ32フェアレディZと同時代の日産の傑作車

 とびっきりなパフォーマンスを備えていたわけでもなければ、完璧なスーパースポーツカーを目指したのでもない。また社会現象となった高級リムジンとも違っている。本当に平凡な4ドア・セダンだったのですが、クルマファンから高い評価を得ていた日産車が初代「プリメーラ」です。その実態を振り返ってみると、平凡なというよりも「真っ当な」4ドアセダンということになります。今回は、そんなプリメーラを振り返ります。

日産の「901運動」から誕生した初代プリメーラ

 プリメーラが誕生した裏にあるのが日産の「901運動」でした。これは日産が「1990年代までに技術の世界一を目指す」とした中期的技術目標のことで、90年代までに、つまりは実質80年代に開発される全車種を対象にシャシーやエンジン、サスペンション、ハンドリング、さらにはデザインや品質までさまざまな技術開発を続け、その開発した新技術を新車開発のなかに組み込んでいこうというものでした。

 そしてその成果として誕生したモデルが、R32型「スカイラインGT-R」やZ32型「フェアレディZ」です。さらには初代「シーマ」(FPY31型)や初代の「インフィニティ・Q45」(G50型)といった高級リムジンから、8代目(U12型)から9代目(U13型)にかけての「ブルーバード」や初代「セフィーロ」(A31型)、3代目「マキシマ」(J30型)といったミディアムセダンにも投入。

 そして6代目(B12型)から7代目(B13型)にかけての「サニー」や、3代目(N13型)から4代目(N14型)にかけての「パルサー」、初代「マーチ」(K11型)などのコンパクトカー、さらに5代目「シルビア」(S13型)などのミディアムスポーツーカーまで、まさにありとあらゆるカテゴリーで、日産の力作が投入されることになりました。そしてこのなかでも多くのファンを呼び起こし、後世まで語り継がれる1台となったたモデルがプリメーラでした。

901運動は「アテーサ」「ハイキャス」「RB型エンジン」など先進技術を輩出

「901運動」についてもう少し紹介しておきましょう。これが提唱された背景としては、80年代に日産自動車の販売シェアが20%を切るところまで落ち込んだことがありました。危機感を持った日産の内部では、新たな技術を開発していくことを掲げてこの「901運動」を始めることになったようです。

 こうして開発され、磨かれたさまざまな新技術を盛り込み登場したニューモデル(そのなかでも主要なモデル)は先に示した通り。個別な技術アイテムとしては「ATTESA(アテーサ。Advanced Total Traction Engineering System for Allの頭文字を繋げて命名。4輪駆動力最適制御の意)」と命名されたフルタイム4輪駆動システムや、「HICAS(ハイキャス。High Capacity Actively Controlled Suspensionから命名)」と呼ばれる電子制御4輪操舵システムなどのハンドリング技術。

 そして、マルチリンク式サスペンションや油圧のアクティブサスペンションなどのサスペンション技術、さらには1.6Lから2Lまでをカバーする直4の「SR型」や、2Lから3Lまでをカバーする直6の「RB型」などの新世代エンジンなどが含まれていました。

 ちなみに、RB型の最上級と位置付けられたのが、R32型スカイラインGT-Rに専用開発された「RB26DETT」ユニットですが、同車には「ATTESA E-TS」(後輪駆動用のATTESA)や「Super HICAS」など、エンジン以外でも最高レベルの技術が数多く盛り込まれていました。というところで、「901運動」から誕生したモデル、数多くの傑作モデルのなかの1台で、今回の主人公であるプリメーラに話題を戻しましょう。

ハイパフォーマンスなスポーティセダンだったプリメーラ

 プリメーラは、1989年の東京モーターショーに「PRIMERA-X」の名でコンセプトカーとして出展されたのち、90年の2月にデビューしています。当時の日産車の多くが採用していたプレスドアを持つ4ドアセダンで、サイズ的にも重量的にもブルーバードとサニーの中間に位置していました。搭載されるエンジンはSR型の1.8Lのシングルカム&ツインカムと2Lのツインカムで、ブルーバードの最上級モデルが2Lのツインカム・ターボを搭載していたのを除けばブルーバードとプリメーラはオーバーラップしていました。

 ちなみにサニーは、最上級モデルにSR型の1.8Lツインカムを搭載していましたが、主力はGA型の1.5L~1.6Lの直4ツインカムでしたから、こちらはほぼオーバーラップしていませんでした。

 サスペンション形式で見ていくと、ブルーバードやサニーが4輪ストラット(リヤはパラレルリンク式)だったのに対して、プリメーラはリヤのパラレルリンク式ストラットは同様だったものの、フロントにはマルチリンク式が奢られていました。つまり基本的なパッケージングやスペックを見ただけでも、プリメーラは高いパフォーマンスを持ったスポーティセダン、ということが分かると思います。

 ただし、サスペンションの味付けが固すぎると厳しい評価が下されてしまいます。クルマの基本コンセプトを、適度にコンパクトなスポーティセダンと割り切ったなら、そのままブレずに行けばいいものを、とお気楽なクルマ好きは考えるのですが、大メーカーとなるとそうも言ってられないのでしょう。マイナーチェンジの度にソフト方向にシフトされていくことになりました。その反面で「ヨーロッパ車のような」という惹句で売り続けていたのですから何をかいわんや、です。まあ大メーカーの論理はお気楽なクルマ好きには理解不可能、としておきましょう。

2代目はキープコンセプト、3代目で大型化

 もうひとつ、プリメーラの立ち位置が明確でなかったのはその系図。バブル期を迎えたところで販売チャネルのマルチ化が進んだこともあって、兄弟車が増えてきたことにも一因があるのですが、プリメーラの前身は「オースター」と「スタンザ」、とされています。さらにプリメーラ自体も、1995年のモデルチェンジで登場したP11型ではキープコンセプト。一見しただけでは従来モデルかニューモデルか分かりにくいほどのキープコンセプトぶりでしたが、2001年の2回目のモデルチェンジではスタイルだけでなくコンセプトも変わってしまいました。

 こうなると、クルマ好きに愛され、今でも人気の高い初代と2代目プリメーラと、3代目プリメーラはまったく別物。同一線上で語ることは出来なくなってしまいました。これはもうクルマ自体の責任ではありません。誤解のないように言い訳をするなら、3代目プリメーラの出来が悪いと言っているのでは決してありません。エンジニアの皆さんが、一生懸命考えて造り出したものだけに、駄作であるはずがありません。それは試乗会でチョイ乗りしただけでも十分に納得できるものがありました。

 ただ、プリメーラを名乗るならば、2代目から3代目への変身、とくに3ナンバーボディの採用は、なかったんじゃないか。いちファンとしてはそう思っています。ツーリングカーレースの様変わりもありましたが、初代モデルと2代目は2L級の4ドアセダンをベースにしたニューツーリングカーのレースで活躍していましたが、3代目は参戦することもありませんでした。

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