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「クラウン」より高額だった「コスモスポーツ」はデザインもエンジンも革新的だった! マツダの情熱を振り返ろう

マツダ・コスモスポーツのフロントマスク

ロータリーエンジンは軽量コンパクト高効率エンジン

 ドイツのバンケル博士によって理論が確立されたバンケル型ロータリーエンジンは、世界中で注目を集め、次世代の内燃機関として大きな期待が寄せられた。1950年初頭にバンケル博士が提案したロータリーエンジンは、まゆ型のケーシングの中をおむすび型のローターが回転するもので、それまで主流とされていたシリンダーとピストンによるレシプロエンジンに比べて、高いエネルギー効率を得られることが特徴だった。

 世界の多くのメーカーがこの次世代のエンジンに期待をかけ、生産にチャレンジした。だが、理論上は良くても、作ってみると難題だらけで、結果として実現は難しいとささやかれるようになった。

 国内でもトヨタやマツダが早くからこのエンジンの可能性に着目し、研究開発を行った。ロータリーエンジンは、レシプロエンジンと比べてピストンの往復運動がなく非常に滑らかな回転が特徴。しかしながら、実際に生産することになるとさまざまな問題が発生する。その解決策を模索するうちに国内ではマツダだけが唯一開発を進めた。

新車時の価格はクラウンよりも高い148万円

 1964年の第11回東京モーターショーのターンテーブルに、1台のスポーツカーが載せられていた。参考出品と記されたネームプレートには、コスモスポーツの名前と、ロータリーエンジン搭載の文字があった。そのエンジンは、まさに世界初となる2ローターのロータリーエンジン搭載車であった。

 その東京モーターショーの衝撃発表から3年後の1967年、世界に類例のないロータリーエンジン搭載の量産車としてコスモスポーツがデビューする。

 10A型ロータリーエンジンを搭載したコスモスポーツは、フロントにダブルウィッシュボーン、リアにリジットのサスペンションを持つFR後輪駆動のスポーツカーとしてデビューした。当時の価格は148万円、同じ頃、ホンダS800クーペが68万円、トヨタ クラウンスーパーデラックスが122万円の時代に、コスモスポーツの148万円がいかに高額であったか分かるだろう。

 それだけに、装備や仕上げはじつに上質で丁寧な細工が数多くされていた。例えばフルトリムの室内は、ブラックにカラーコーディネイトされ、ステアリンクホイールは高級ウッドの3本スポーク、大型の丸型メーター、バケットタイプのシートなど、それぞれのパーツのデザイン性も含めて高級スポーツカーとして十分な仕上がりの良さを誇った。

なめらかな回転と高出力が特徴だったロータリーエンジン

 10A型ロータリーエンジンについても、わずか1000cc程度の排気量でありながら、最高出力は110psを発生し、パワーピークも7000回転とまさにスポーツカーのエンジンとして打ってつけの高性能スペックであった。軽量コンパクトなだけでなく振動の少ないロータリーエンジン搭載のコスモスポーツの乗り味に誰もが魅了された。

 このエンジンは、なめらかな回転と高出力が売り物で、その良さはステアリングを握りアクセルを開けた瞬間、体に伝わってくる。スムースに回るエンジンは、アクセルをより踏み込むことでダイナミックな加速となり、ドライバーを心地よく刺激してくれた。新時代のスポーツカーとはこういうものである。そんな未来への道しるべとなる1台がコスモスポーツというクルマであった。

 1967年に登場したコスモスポーツは、2.2mのホイールベースを採用。このモデルを俗に前期型と呼んでいるが、その後すぐに改良が加えられ、ホイールベースを2.35mに延長した後期型が1968年に登場する。

 そして、エンジンにも改良が加えられ、搭載するロータリーエンジンは10B型・128psのものに換装された。この後期型ではフロントのラジエター開口部も大型化され、外観からも見分けがつきやすい。また、サイドウインカーも前期が丸型、後期が横長型といった違いもある。

 後期型は、たった1年の違いしかないが、よりパワフルなエンジンが与えられたことで、初期型よりも加速は鋭くなり、その性能向上に伴って、タイヤは前期型の155HR14インチから155HR15インチに変更され、ハンドリングもより一層高められた。

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 苦労と苦悩を積み重ねる日々を過ごしたからこそマツダは強くなった。物づくりに対する熱い想い。この短い言葉にこそ深い意味がこめられ、その原点といえるのがコスモスポーツなのだろう。情熱のマツダスピリッツはこのクルマの誕生によって世の中に知れ渡ったといえる。

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