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真っ赤なマセラティからつながる、イタリアのおいしいもの。パルミジャーノ・レッジャーノにランブルスコ!【はじまりはクルマ】

ボローニャの朝の散歩。マセラティ発祥の地を探していたら、真っ赤なマセラティにめぐり逢いました

ボローニャの空の下、真っ赤なヴィンテージカー現る

早朝、iPhone片手にGoogle mapを見ながら迷路のようなボローニャの街中を散策していました。「この辺りかな」と、細い路地を進んでいくと、だんだん道幅が広がっていって、広場というか、古い建物に囲まれた少しだけ開けた場所(ピロティ)に出ました。そこにはなんと予期せぬ真紅のクルマの姿。

マセラティ「A6GCS/53」。1953年に作られたヴィンテージカーが佇んでいたのでした。

そのクルマの先には、撮影用のクレーンの姿と大勢の撮影クルーたち。間違いありません、目的のマセラティ発祥の地はまさしくここでした。

マセラティ100周年の記念すべき年に

2014年、マセラティは創業100周年を迎える記念すべき年でした。その年に、たまたまボローニャに宿泊する機会に恵まれ、ならばマセラティ発祥の地を訪れてみようと思ったのです。協力してくれたのは、イタリア取材の際にはいつもお世話になっていた野口祐子さん。彼女がマセラティ兄弟が最初に開いた工房の場所を調べてくれて、住所とマーキングした地図をメールで送ってくれたのでした。

この日の朝、宿泊していたホテルを出て、マセラティのエンブレムとなった鉾を持つネプチューン像のあるマッジョーレ広場を抜け、迷路のような路地をまるで宝箱の在り処を探すようにして散策していたのです。

今でこそ、マセラティ発祥の地である建物には、それとすぐ分かるようにプレートが貼られています。しかし、当時はまだ何の目印もなく、住所を手がかりに探すしかなかったのでした。

こんなわけで、マセラティA6GCS/53と撮影クルーの姿を見たときに、すぐにそれが100周年を記念するオフィシャルムービーの撮影だろうと察することができたというわけです。

すでに車両の撮影は済んだようで、A6GCS/53はポツンと広場に“はけて”ありました。広場の先は再び細い路地になっていて、その路地の出口あたりでクレーン(と言っても撮影用のクレーンです)を使って撮影が行われています。どうやらそこがマセラティ発祥の地のようです。

ムービー班が撮影している間は、いずれにせよマセラティの旧工房のファサードの撮影はできないので、ムービー撮影が終わるまでの間、A6GCS/53をじっくりと観察させてもらったのでした。

良縁でつながっていく取材旅行

よく日本では「ご縁があれば」という言い回しをします。多くの人が最初に耳にするのは、就職活動中かもしれません。そしてこの言い回しには、暗に「残念ながら不採用です」的な意味合いが含まれていることが多く、ポジティヴなイメージとつながっていない人も多いでしょう。かくいう私もそうでしたから。

しかし、人生も折り返し地点を越えてしまうと、「ご縁がある」ということが実生活の中で幾度も感じられるようになるものです。そしてそれは大抵の場合、良縁であることが多く、ご縁がある=ポジティブと同意義になります。それは人との縁であったり、仕事や趣味の世界での縁であることもあります。また、絵画や映画、本──作家や監督、著者も含め──などの芸術作品であることもあります。そしてクルマもまた「縁」により人生に関わってくるものです。

マセラティ100周年の記念すべき年に、たまたまボローニャを訪れ、そしてマセラティ発祥の建物を探していたら、たまたまマセラティがムービーを撮影するために用意したA6GCS/53と出会えたというご縁。そしてこの個体は、普段パニーニ家のいわゆる私設ムゼオに保管されているもので、パニーニ氏取材のため数日後にそのムゼオを訪れたときに、まさにこの個体と再びご対面したのでした。

クルマからチーズ、ランブルスコと繋がって

その後、パニーニ氏が展開している「イグゾースト」の取材のために2度取材のために再訪しています。イグゾーストは、クルマのパーツやデザインにインスパイアされたホームスピーカーで、ランボルギーニとも正式にコラボしています。

パニーニのムゼオを訪れるには、入り口の門を抜けて糸杉の並んだ真っ直ぐな道からアプローチすることになります。じつは農場なのです。敷地内には売店があって、パルミジャーノ・レッジャーノをはじめとして、この牧場の完全なるビオで育てられた牛の乳を使って生産されたものなどが売られていました。

正直に言うと、ここで試食させてもらうまで、パルミジャーノ・レッジャーノというか、ハードチーズ全般が苦手でした。騙されたと思って口に入れたら、いままで食べたチーズはなんだった? というほど上品な香りが鼻腔を抜け、すっかりファンに。そこで当時はパニーニ家が経営していたチーズ工場を取材させてもらうことに。こんなに美味しいチーズがどうやって作られているのか、編集者としてどうしても見ておきたいと思ったのです。

そして、こうしたご縁があって、パニーニ氏に同じくビオのランブルスコを生産しているワイナリーを紹介してもらって、急遽、突撃取材することになったこともありました。ランブルスコの試飲の際には、もちろん取材した工場でつくられたパルミジャーノ・レッジャーノと一緒に。

ボローニャの朝の逍遥から数珠つなぎに知らない世界に繋がっていく……。そして、イグゾーストやパルミジャーノ・レッジャーノ、ランブルスコも、じつはその後それぞれ別の何かに繋がっていったのですが、それはここでは割愛。

そして、最後までこのコラムを読んで戴いたみなさまとも、これがご縁になってAMWの世界と繋がってもらえると嬉しいなと思っています。

最後に、1台のクルマから物語が始まるコラムを、世界の都市で活躍している方たちの素敵な写真と文章で展開していく予定ですので、お楽しみに。

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