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西部開拓の原点「ルイス・クラーク探検隊」の足跡をたどる。キャンピングカーの雨漏りは現地の写真家に直してもらいました──米国放浪バンライフ:Vol.21

現在は風景写真などを撮るカメラマンだ

アメリカを気ままに放浪3カ月:44日目~47日目

これまで2度にわたりアメリカを放浪してきた筆者。還暦を過ぎた2022年4月から7月にかけて、人生3度目のアメリカひとり旅にチャレンジしてきた。相棒は、1991年式トヨタ「ハイラックス」をベースにしたキャンピングカー「ドルフィン」。愛称は「ドル」。ロサンゼルスから北上してきてオレゴン州を満喫し、いよいよさらに北のワシントン州へ入ります。

まだ幼かったアメリカ合衆国が初めて陸路で太平洋に到達

ルイス・クラーク探検隊(19世紀初頭)の使命は大陸横断のルートを開拓することだったが、彼ら自身の旅が水路だったというと、意外に感じる人が多いようだ。考えてみれば当然なのだが、当時は陸路が開拓されていなかった。ミズーリ川を西に向かって源流までさかのぼり、ロッキー山脈に着いたら太平洋に注ぐ川を河口に向けて下る、という大ざっぱな計画だった。

カヌーといかだに約40人の隊員が乗り、1804年5月14日、探検隊はセントルイスに近いイリノイ州キャンプ・デュボワを出発した。しかし、川はさかのぼれば細くなる。カヌーで行けないところは、荷物とカヌーを担いで歩いたと記録されている。まさに想像を絶する冒険の旅だ。

任務が成功した背景には、途中から探検隊に加わったサカガウィアというネイティブ・アメリカンの女性の功績が大きかった。旅の途中で出会う部族の人たちとの通訳、交渉に大活躍したのだ。

ルイス・クラーク探検隊が越冬した砦のレプリカを訪問

探検隊が太平洋にたどり着いたのはオレゴン州だった、と以前に書いたが、正確にはコロンビア川をはさんだ対岸のワシントン州ケープ・ディサポイントメントだった。

彼らが到着したのが12月だったため、冬にロッキーを越えて帰るのは不可能と判断、春まで待機することになった。それなら、食糧や気候を考慮して対岸のほうがいいとネイティブからの助言があり、現在のオレゴン州アステリアに渡ってフォート・クラットソップという砦を作ったのだった。

ぼくが訪ねたのは、フォート・クラットソップのレプリカを中心にしたミュージアムだ。ルイス・クラーク隊を尊敬するぼくとしては、どうしても行っておきたい場所だった。キャンプ地のレプリカもさることながら、ネイティブたちに知恵を借りながら、なんとか耐えた真冬の生活の再現ビデオはとくに興味深かった。また、サカガウィアの像が真っ先に展示されている点も印象に残った。

オレゴン州からワシントン州に渡り「失望岬」へ

ワシントン州側に渡り、ケープ・ディサポイントメント(失望岬)も訪ねた。探検隊が何にがっかりしたのか知りたかったが、じつは岬の命名は探検隊ではなく、イギリスの交易船の船長だった。コロンビア川の河口を目指していた船長は、違う場所に着いてしまったと勘違いして失望岬と演歌のタイトルのような名前をつけた。実際は、もちろん予定どおりに着いていたのだが。

なお、現地のネイティブたちは、すでにフランス、ロシア、イギリスの船と交易を行っていた。交易船が求めていたのは動物の毛皮だった。とくにラッコの毛皮は水を弾き保温性に優れ、商品価値が高かった。ネイティブたちは山から来たルイス・クラーク隊には驚いたが、白人に対する免疫はすでに十分にあったわけだ。

友だちの友だちを訪ねてフッド・リバーの町へ

ルイス・クラーク探検隊にまつわる史跡を見学し、ケープ・ディサポイントメントのステートパークに1泊。次に向かった先はコロンビア川に面したフッド・リバーという町だった。当初は訪ねるつもりがない町だったが、雨漏りに悩んでいると知った世話焼きのナネッタ(2021年に他界した友人のモータージャーナリスト、デビッド・フェザーストンの奥さん)が、デビッドの友人のゲーリーがフッド・リバーにいるから修理を手伝ってもらえばいい、とアレンジしてくれたのだ。

デビッドの友人なら、ホットロッドやマッスルカーは専門だろうが、そんな人にモーターホームの雨漏り修繕などさせていいのだろうか? さすがに気が引けたが、雨漏りを心配したまま旅行は続けられない。思い切って訪ねることにした。

美しいふたつの山の異なる運命

直接、家に来てくれというのでナビを頼りに向かったが、家が見つからない。留守電にメッセージを入れて、クルマから出るとリゾート地として有名なフッド山がきれいに見えている。

バシバシ写真を撮っていると、ゲーリーが現れた。挨拶代わりに「フッド山がきれいに見えますね」というと、あれはフッド山ではないという。ワシントン州のアダムス山という山で、東半分はネイティブの居留区になっていると教えてくれた。同じように美しくても、かたや大規模商業開発され、かたや知られざる存在になる。不思議なものだな、と思った。

その後、通りがかったカフェの名がツインピークス・カフェというので、何かと思ったら、そこからはふたつの山が右手と左手に一度に見えるポイントなのだった。

クルマのDIY修理ならアメリカ人の得意技

ゲーリーは気さくな人で、「すぐにやってみよう」と話はまとまった。ハードウェアショップでシーリング用のテープとスプレーを買い、脚立でルーフに上ると手際よく作業を済ませてくれた。

ちなみに彼の父親はホットロッドを題材にしたカートゥニストとして有名なトム・メドレーで、彼自身もプロの写真家だった。ランチにサンドイッチをご馳走しただけで、本当にこんなことをお願いしてよかったのだろうか?

なお、彼の立派なガレージにどんなすごいクルマが入っているのかワクワクしたが、出てきたのは拍子抜けするほど何でもないホンダ・エレメントだった。クルマの趣味はとうにやめて、今は自転車に凝っているのだそうだ。イタリア製のこだわりの1台がうやうやしくメンテナンス・スタンドにセットされていた。

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