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日産「R32スカイラインGT-R」で日本一周車中泊の旅! 2度めの挑戦は愛車との最後の思い出づくりでした

日本一周を二度も経験したR32スカイラインGT-Rは希少な存在である

GT-Rが人との出会いを作り思い出が積み重なる日本二周目!

平成29(2017年)に124日間かけ、愛車BNR32と共に下道日本一周に出掛けた鞆 憲明さんとひろ子さんご夫婦。その鞆さんが再び全国を旅することを決意した2022年。今回も下道だけの気まま旅、しかも一人旅だ。予定を決めずのんびりゆっくり。楽しさと寂しさと一つの決意を胸に走り続けるゴールに待っているのは相棒との別れの予感だった。

(初出:GT-R Magazine 166号)

仕事人間の心の隙間を埋めたR32で夫婦日本一周

2017年5月、鞆 憲明さんは「高速道路や有料道路を使わず、下道だけで日本一周する。しかも車中泊で」という目標を叶えるべく、妻のひろ子さんと愛車のBNR32で広島の自宅を出発した。2016年に前立腺がんと胃がんが立て続けに見つかり、それまで仕事の鬼だった鞆さんは、さすがに引退すると決めた。それまでがとにかく忙しい毎日だっただけに、胸にポッカリと穴が開いてしまった。67歳のときである。

何もやることがない。クルマの運転が大好きだった鞆さんは、ここで日本一周しようと決めた。それまでも夫婦で各地の温泉に出掛けていたので、遠出することに何の抵抗もなかった。九州~四国~近畿~静岡と太平洋側を北上。北海道を一周して帰路は日本海側へ。124日間という大冒険だった。GT-R Magazineがこの愛すべきチャレンジャー夫婦を取材したのが2019年のこと。

その取材の最後に鞆さんは「日本一周はわたしの旅好き人生の集大成のつもりでした。でも、正直に言えばまだまだこれから。じつはいつ2周目に出発するか、密かに考えているんですよ」とコメントしている。まさかとは思ったが、その鞆さんが2周目をスタートさせたと知ったのは本当に偶然のことだった。

二周目は同じルートを気ままな一人旅で決行する

最初の旅から5年。2022年5月11日に2周目の旅をスタートさせた。出発して度々更新されるブログを見ると、1周目とほぼ同じルートを辿っているようだ。違いは助手席にひろ子さんがいないこと。やはり車中泊メインということで、断られたらしい。出発から1カ月もすると、鞆さんは北海道に上陸していた。下道でも30日ちょっとで日本縦断できるのか、と変なところで感心してしまった。毎日が充実しているようだ。愛車と共に今度はどのような旅を楽しんでいるのか、きっとみんなも知りたいだろう。わたしはすぐに鞆さんに連絡した。

「稚内で会いましょう」という取材の依頼を鞆さんは快く引き受けてくれた。待ち合わせはキャンプ場。軽自動車のレンタカーでは上っていくのが大変なほどの急勾配。どんどん緑が深くなり、突然現れたキャンプ場の駐車場に、いた! 3年前に見たのと変わらぬ真っ白なBNR32。傍らには旅先で知り合った仲間と談笑する鞆さん! 真っ黒に日焼けして、とてもお元気そうだ。

「このキャンプ場が気に入って、もう2週間くらいいます。静かでのんびりしていて、山を下りれば町にはスーパーもコンビニもあって。もうここに住民票を移したいくらいですよ」と笑顔の鞆さん。

旅先での素敵な出会いが毎日の活力になる!

今回は先の予定は決めない気ままな旅。気に入った場所があれば、飽きるまでそこで過ごす。同じようにクルマで旅する人たちとの交流が楽しい。

「旭川では大阪から自転車で旅している21歳の若者に会いました。とても気持ちのいい方でした。わたしも若いころにこんな旅がしたかったなと考えましたよ。名前は忘れちゃったけれど、どこかの道の駅では毛ガニをもらったんですよ。キャンプ場に泊まった朝、地元の運送会社の方がわたしのGT-Rを見て話しかけてくれて。その方はジャパンに乗っているようでした。夕方またそのキャンプ場を訪ねてきて、毛ガニを2杯。翌朝一人でムシャムシャと完食しました。

GT-Rで旅していると、いろいろな人が声を掛けてくれます。その一つ一つが思い出になっていますね。わたしはね、今回最後の旅と決意して広島を出てきたんです。本当はR32を手放したくはないんですよ。人と触れ合うことが好きで、だからとにかく旅に出る。でもGT-Rとの旅は今回が最後。旅から戻ったら、このBNR32を手放す。そう約束しました」

ガソリン代高騰も影響しRとは最後の旅と決意

鞆さんは2022年に73歳になった。体力はまだまだ問題ないという。

「でも旅はやはりお金がかかります。アルバイトを含めて、仕事はいっさい辞めました。今は年金暮らしというワケです。そうなるとGT-Rはガソリン代も厳しい。だからR32とはもう旅はできないし、無理して乗り続けるのも違うかな、と思ったんです。つまり今回は最後の思い出作りというわけです」

そんな決意を胸にR32との毎日を送る鞆さんの前に、運命ともいうべき出来事が起こった。

「まさに昨日ですよ。稚内に住むご家族がこのキャンプ場に来たんです。黄色いER34が駐車場に入ってきました。ほかのスペースも空いているのに、すぐ隣に止めました。最初因縁を付けられるのかとビクビクしました。しかしお父さんと息子さんが降りてきて『こんにちは』と礼儀正しく挨拶をしてくれました」

息子さんがR32の大ファンで、街中で走っている鞆さんを何度も見掛けていたそうだ。途中から奥さまもセレナでやってきて、家族総出で鞆さんに会いに来た。どうやらこの虎野さん家族の中で、鞆さんは話題になっていたのだ。

R32第二の人生もおぼろげに考えた奇跡の出会い

「とにかく話していてGT-Rやスカイラインが好きというのが伝わって来るんです。本当はR32が欲しいけれど見つからず、代わりにER34を手に入れたそうです。息子さんが免許を取るまで待っていたら、買えない価格になってしまいそうだから、とお父さんが乗っているそうです。素敵なご家族なんですよ。取材の前日ですよ、取材が終わったらわたしもそろそろここを離れるんですよ。このタイミングで来るかと思いました」

虎野さん家族ならR32を大切にしてくれる、と確信した鞆さんは切り出した。

「来年か再来年か、いつになるかはわかりません。でも手放すことは決めています。あなたがた家族に乗ってもらいたいからそのときになったらご連絡します。もしタイミングが合えば買ってください」

虎野親子に会ったのは運命だったのかもしれない。愛車の行く末を案じる鞆さんを心配させないために、R32自らがご家族と引き合わせたのではないか。ちなみにこの運命的な出会いの前日は、今回の旅で一番苛酷な夜を体験した。

「土砂降りで、タープの下にテントを張っていたのですが、横殴りの雨でファスナーの縫い目から浸水。仲間も助けてくれて大急ぎでトランクに荷物を積み、その日は車中泊しました。もう全身びっしょりで。今回の旅で最も大変でした」

R32との楽しい旅はゆっくりゆっくりと……

これからの予定を聞いてみると、何となく10月くらいに自宅に帰ろうかと思っていると話してくれた。

「でもね、手放す覚悟をしているから帰りたくなくなります。戻ったら終わりですもん。R32はわたしの青春です。悔いのないように無事故無違反で旅を続けます。本当に法定速度でね。気付くと後ろに行列が出来てしまって、止まってみんなに道を譲るんです。急いで行くとそのぶん早く旅が終わってしまうから。それぞれの風景を噛みしめながらのんびり走り続けますよ」

 GT-Rが繋ぐ人の輪はみんな優しい。そろそろ新たな出会いを求めて移動する時期が来たようだ。まだ取材時と同じキャンプ場に数日滞在しようと考えていた鞆さんだったが、撮影当日、われわれが帰った後に近くで熊が出たという。キャンプ場は閉鎖。必然的に次の目的地へ移動することとなったそうだ。夏の間は北海道にいるのもいいかもしれない。でもそれも気分次第。何にも縛られず、ただ気の向くままにR32のステアリングを握る。鞆さんは愛車R32との別れを決めるその日まで、日本のどこかを走り続けているのだろう。

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