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なぜ「M1」は「ランボルギーニBMW」と呼ばれるのか? 7880万円で落札された個体の元色はオレンジでした

この時代はリトラクタブルライトがスポーツカーやスーパーカーの象徴であった(C)Courtesy of RM Sotheby's

BMW「M」のシンボルとなった「M1」

現在まで続くBMWのスペシャルモデルの名称が「M」。M社が手掛けるモデルに与えられる称号で(BMWとは別会社扱い)、サーキットも得意分野の「M2」や「M3」などのほか、現在でSAV(SUV)にも「M」を冠したモデルが設定されており、端正な4ドアセダンやSAVでも走りに妥協しないBMWのシンボルにもなっている。

また、「M」までの性能を必要としない方に向けたMスポーツは、BMWの中の一つの仕様として人気が高く、幅広いモデルに設定され人気となっている。

そんな「M」(当時はBMWモータースポーツ)の始まりは「M1」(E26型)で、実は非常に難産で生まれたモデルだった。その経緯と、現在のオークションマーケットでのプライスを調べてみた。

ポルシェの対抗するために開発スタート

そもそもBMWがこのモデルの開発に取り掛かったのは、同じドイツのメーカーであるポルシェにツーリングカーレースで対抗するためであり、そのレースに参戦するために400台以上作らなければならないことから、ミドシップに慣れていたランボルギーニと提携して作る予定だった(フォーミュラーカーでも活躍したダラーラの創業者である、ジャンパウロ・ダラーラが携わっていた)。

ところが当時のランボルギーニの経営状況もありこの提携は上手くいかず、1976年にスタートした計画は、1977に試作車が誕生したにも関わらず、BMWは他のサプライヤーの手を借りて発売することにする。

結果デザインを担当した、ジョルジェット・ジウジアーロ率いるカロッツェリアである「イタルデザイン」などに委託することになるのだが、紆余曲折した時間のために、期間内に生産台数が規定を満たせなかった。1976年に開発がスタートしてほどなく発売される予定だったが、間に合わなかったのだ。

そこでBMWが取った手段が面白い。なんとF1のサポート・レースとして当時のF1ドライバーがM1に乗ってワンメイク・レースを行なうという「プロカー・レース」を開催したのだ。1979年から1980年にかけて行なわれたこのレースは、トップドライバーのニキ・ラウダやネルソン・ピケらが参戦したことから好評を博して、M1は短期間にその存在を確立。BMW M1の名はレースファンを始め多くの方に認知されることになる。

そして本来のツーリングカーレースだが、こちらは決まった期間内(連続した24か月間)に400台を達成できなかったものの、1981年に特例が認められて参戦。ところが1982年からのレースの規則変更に伴って(グループCの誕生)、サーキットから姿を消すことになるのである。

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評価が年々上がっていくM1の落札額は

こうした紆余曲折があるものの、F1ドライバーがワンメイク・レースを行なった車両であること、そしてBMWのM88/1型3.5L直6エンジンを縦置きしたミドシップ・マシンとしての評価は高く、399台の市販車と59台作られたレース専用車は現在では希少な歴史の証人となっている。

そんな中、アメリカのフロリダ州で行われたオークションで落札された「M1」は、58万ドル(邦貨換算約7880万円)であった。価格の理由はおそらく、1980年から2019年までワンオーナーで大切にされていたことだろう。

当初のオレンジ色から現在のホワイトへとオールペンが行なわれたほか、BMWの手によって、エンジンをはじめとしたオルタネーターや燃料システム、サスペンションやブッシュ類、さらには内張りやシート、ワイヤーハーネスまで交換されていることで、新車同様の個体に仕上げられている。まさに極上のM1というわけだ。

温暖とも台風の通り道とも様々な形容がされるフロリダ州ながら、屋根付き保管されていたというこの「M1」。時代を作った名車の価格は、この先、下がることはなさそうだ。

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