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オレゴン州の「秘湯」でリフレッシュ! サーモンのためにダム湖でかける放水前の「ひと手間」とは──米国放浪バンライフ:Vol.26

静かなドライサイト。雰囲気、最高でした

アメリカを気ままに放浪3カ月:63日目

これまで2度にわたりアメリカを放浪してきた筆者。還暦を過ぎた2022年4月から7月にかけて、人生3度目のアメリカひとり旅にチャレンジしてきた。相棒は、1991年式トヨタ「ハイラックス」をベースにしたキャンピングカー「ドルフィン」。愛称は「ドル」。ロサンゼルスから北上してきて、今回の最大の目的地であるワシントン州のオリンピック国立公園を満喫したあとは、のんびり気ままに過ごすことにしました。

7月1日 クーガークロッシング・キャンプグラウンド

最大の目的地に行って満足してしまったとはいえ、このままズルズルと南下を続けるだけでは情けない。そんなときに見つけたのが、オレゴンの山中にあるターウィリガー・ホットスプリングスだ。日本でいうところの山奥の秘湯だ。写真と解説を読む限り、かなりよさそうだ。

温泉にキャンプ場はないが、近くにファーストカム・ファーストサーブ(早く到着した人からサイトを取れる仕組み)のクーガークロッシング・キャンプグラウンドがあることが分かった。ふもとの国道から温泉やキャンプ場まではかなりの山道を走るようだが、気持ちを奮い立たせて行ってみることにした。

ダム湖では放水前に水を一旦、貯めて攪拌。その理由は?

登り始めると、山道はダム湖に続いていることが分かった。ダムサイトには興味深い解説パネルが立っていた。それによると、ダムの水を放水するときに、水を一旦、貯める仕組みになっているという。

ダムの底部にある放出口から放水すると冷たい水が流れてしまう。それは川を遡上してくるサーモンによくない。そこで貯蔵庫内で撹拌し、ちょうどいい水温にしてから放水するというのだ。サーモンのために予算をかける姿勢に拍手を送りたい気持ちになった。

12時前に到着すると、11時から12時まではクリーニングのためクローズとのことで、入り口で12、3人が待っていた。20~30歳の若者、それも女性が多い。

ちなみに服を着るかどうかは本人の自由。全裸で入ったほうが気持ちいいと思えば、それが許されるルールになっている。かつてコロラド州で同じルールの温泉にいったときは、ほぼ全員が全裸だった。ここはどうだろう。

山に囲まれた温泉は雰囲気もゆったり

料金は2時間制で7ドル。温泉までは滝が見える5分ほどのトレイルを歩いていく。レンジャーの説明によると、段違いに3つのプールが並んでいて、上のプールから順に温度が高いそうだ。温泉の脇には冷たいクリーク(水路)が流れていて、ほてった体を冷やすのにいいですよ、という説明だった。

クルマの中でランチを済ませ、ひと足遅れで行ってみる。5分ほどトレイルを歩くと温泉に到着。見ると、ほとんどの人は水着を着用していた。全裸で入っているのは、2組の年配のカップルだけだった。ぼくも海パンを着用してお湯に浸かった。

お湯は何ともいえずに気持ちがいい。山に囲まれた雰囲気がいいからだろう。ソルダックの喧騒とは大違いだ。オレゴンに旅行する人には、ぜひダム湖近くの秘湯をおすすめしたい。

2時間のんびりと温泉を楽しみ、山道を歩いて戻ると「日の出もいいですよ」と出口のレンジャーにアドバイスされた。「日の出? 何時ごろ?」と聞くと、「5時過ぎでしょう」という。かなり早い。

翌朝、日の出は逃したが、6時過ぎに出かけてみた。さすがに一番乗りだろうと思ったら、全裸で熱く抱擁している熟年カップルが先にいた。世の中には、いろいろな人がいるものである。

次に目指すは再びカリフォルニアの海岸線

ぼくの放浪キャンプの最終目的地は、AKIRA隊長夫婦(LAで旅行代理店を営む)とのシエラネバダ・キャンプである。シエラネバダ山脈の東側にある町、ローンパインから、2泊3日のバックパッキング・ハイキングにチャレンジすることになっている。

そのためには、I-5(州間高速道路5号線)を下ってカリフォルニアに入り、5月に通った93号線で南東に行くのが便利だ。しかし、ぼくが選んだのは、オレゴン州のグランツパスでI-5を降り、国道199号線でカリフォルニア州の海岸線に入るルートだった。

その理由は、旅の前半でセバストポルのナネッタ(2021年に他界した友人のモータージャーナリスト、デビッド・フェザーストンの奥さん)の家に寄ったときにさかのぼる。家の前に愛車「ドル」を停めて、ナネッタと再会を喜んでいたとき、通りかかったティモシーという男が家のドアをノックした。駐車するときにドルのヘッドライトを消し忘れてしまったのを、彼がわざわざ教えてくれたのだった。

そして、「もし、3カ月後に旅を終えてこのドルフィンを売る気になったら、ぜひ声をかけてください」と言うのだった。ぼくは彼から手渡された電話番号のメモを手帳のカバーの中に押し込んでおいた。

秘湯から降りてカフェでひと休みしているときに、思い立ってティモシーに電話をしてみた。ドニー(LAの中国系インドネシア人)に預かってもらって2、3年はドルとの旅を続けるつもりだったが、大切にしてくれる人がいるなら売ってもいいかな、という気持ちが芽生えていた。電話に出たティモシーは、「電話してくれて本当にありがとう。ぜひ見てみたい」と興奮気味に答えた。

ぼくはカリフォルニアの海岸線を国道101で南下、セバストポル経由でローンパインに向かうことにしたのだった。

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