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5億円オーバー! フェラーリの元祖スペチアーレ「288GTO」はなぜ生まれた? 高額落札の理由とは

ボディワークの大部分はコンポジットとケブラーで形成。ドアやデッキリッドは軽量なアルミ製で、その堂々としたフォルムは驚異的なパフォーマンスを予感させる(C)2022 Courtesy of RM Sotheby's

元祖フェラーリ・スペチアーレ

いわゆる“フェラーリ・スペチアーレ”のなかでも、その生産台数の少なさやモータースポーツ志向の強いピュアな成り立ち、そして獰猛な美しさも相まって、もっとも高いマーケット評価が下されることも多いのが、元祖スペチアーレともいうべき「288GTO」である。北米フロリダ州シー諸島の避寒リゾート島、アメリア・アイランドを舞台に毎年3月に開催される大規模コンクール・デレガンスに付随して、今年もRMサザビーズ北米本社の主導によって“AMELIA ISLAND”オークションが大々的に開かれたのだが、その競売に出品された288GTOがたたき出した落札価格は、現況におけるこのモデルの価値を再認識させるものとなった。

ホモロゲモデルとして開発された

1984年、フェラーリの世界では“Gran Turismo Omologata”の文字が再びクローズアップされることになった。その開祖である「250GTO」はフェラーリが生んだ最高のスポーツレーサー。目覚ましいレースヒストリーと、センセーショナルなドライビングダイナミクスで、GTOは伝説のスポーツカーとして語り継がれてきたからである。

フェラーリがその伝説の名を復活させるためには、新型GTOが250のモータースポーツにおける驚異的な記録と同等か、それ以上のものであることが期待された。

1982年から施行されたFIAグループBに参戦するため、フェラーリは新世代のGTOを開発し、同シリーズのホモロゲーションモデルとして200台の生産台数を達成する必要があった。しかし、その直後にグループBは中止され、開発されたホモロゲーションカーには、参戦するシリーズがないという状況に追い込まれる。

それでも、フェラーリ史上最強のスーパーカーを体験してみたいというニーズがあることは明らか。当初は単に「GTO」と呼ばれた288GTOはグリッドに並ばないまでも、フェラーリのファンや顧客の期待を裏切ることはなかった。

発表当時世界最速だった

外観はよりアグレッシブなスタンスで、ボディワークの大部分はコンポジットとケブラーで形成。ドアやデッキリッドは軽量なアルミ製で、その堂々としたフォルムは驚異的なパフォーマンスを予感させる。

レース用に開発された2.8L V型8気筒エンジンは、2基のIHI社製ターボチャージャーとともに400psを発生する。最高速度は305km/hと謳われ、発表当時は史上最速のロードカーとなった。加速性能も素晴らしく、停止状態から時速60マイルまでわずか4.8秒、時速100マイルまで10.2秒と、戦闘機以下のあらゆるものをバックミラーに収めるほどの速さだった。

この性能に加えて、GTOのインテリアには現代的な設備が数多く採用されていた。ケブラーフレームのバケットシートは革張りで、エアコン、電動ウインドウ、AM/FMラジオ/カセットステレオはオプションで選択できた。しかし、それ以外には、ドライバーの集中力を削ぐようなものはなかった。この新型GTOはフェラーリ長年の顧客の共感を呼び、生産終了までに272台が生産された。これはFIAグループBのホモロゲーションに必要な台数を25%以上も上回る数字だったのだ。

北米に正規出荷された貴重な1台

このほど“AMELIA ISLAND”オークションに登場したシャシー56773は、1984年から1985年にかけて272台生産されたフェラーリ288GTOのうちの1台。シャシーNo.は#56773で、1985年5月3日にマラネッロ工場からアメリカに向けて出荷された。

ボディカラーは、このモデルで唯一の選択肢だった“ロッソ・コルサ”。キャビンはブラック・レザーで覆われ、“デイトナ・スタイル”のシートにはオプションで赤いファブリックが挿入されていた。エアコンとパワーウインドウを装備していたが、このモデルのレーシングDNAを尊重したのか、純正ラジオは装備されなかった。

北米のフェラーリ正規代理店による手続きを経て、イリノイ州のディーラー、“レイクフォレスト・スポーツカーズ”社を介して、フロリダに住む最初のオーナーに新車として販売された。付属のフェラーリ保証書により、1985年6月10日に引き渡されたことがわかる。

フェラーリの世界的権威として知られるマルセル・マッシーニ氏のレポートによると、フロリダ時代の#56773は静かな生活を送ったようで、1991年8月にはカリフォルニアの“ウォルナット・クリーク・フェラーリ”から売りに出された際のオドメーターは3388kmに過ぎなかったという。そののち、今世紀初頭まで東海岸および西海岸のフェラーリ愛好家のもとを行き来したものの、2001年に4人目のオーナーに売却された時のオドメーターも、まだ4517kmを記していたとのことである。

そして、今回のオークション出品者でもある4代目オーナーのもと、この288GTOは20年以上の時を過ごすとともに定期的に点検を受け、それに対応する走行距離の記録も残されている。詳細な請求書はファイルにあり、2020年7月31日に完了した大規模なサービスが記載されている。

イリノイ州の“コンチネンタル・オート・スポーツ”で行われた作業では、すべての液体を交換し、タイミングベルトを含む全ベルト類も交換。ウォーターポンプとスパークプラグも新品に換えるために、1万8000ドル以上が費やされた。最後に、新品のピレリPゼロ・タイヤが装着されたのだが、この時のインボイスには整備時点の走行距離が7815kmと記されていた。

そしてシャシー#56773が受けた最新のサービスは、2022年1月31日に同じくコンチネンタル・オート・スポーツにて。この時は、オイルおよびブレーキフルードの交換と油圧計センサーの交換が含まれていた。

この個体で重要視すべきは、すでに“フェラーリ・クラシケ”の認定を受け、完全なマッチング・ナンバーの例であると確認されていること。また、その保存状態の良さと生産時での正しいコンディションを物語っていることである。

アメリカ連邦政府の認定を受ける際に、スピードメーターの文字盤がマイル表示に変更されながらも、オドメーターはキロメートル表示のまま。さらにクラシケ認証プロセスの必須要素として、正しいキロメートル表示のダイヤルを持つスピードメーターユニットが調達・装着されたことも、コンチネンタル・オート・スポーツが2022年8月22日付で発行したインボイスに記載されている。

期待を裏切らない高額落札となる

この1985年製288GTOは、オークションカタログ作成の段階ではわずか7989kmしか走っていなかった。また、正規ルートで北米に輸入された288GTOは非常にレアとされている。

フェラーリ・クラシケの認定に充分なドキュメント、定期的なサービス履歴、オリジナルの書籍やツールキットなど、あらゆる特性を網羅した#56773は、間違いなく最近のフェラーリ288GTOの中でもかなりの好条件であると謳われていたようだ。

そんなRMサザビーズ側の意気込みを裏切ることなく、競売では396万5000USドル(邦貨換算約5億2400万円)での落札という大商い。現状における288GTOのマーケット評価を裏づける結果となったのである。

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