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相場より1億円以上リーズナブルだったフェラーリ「F40」の理由とは? アップグレードしているのにマイナス査定の理由を解説します

「F40」の落札価格が近年の相場より100万ドルほどリーズナブルだった理由とは(C)2023 Courtesy of RM Sotheby's

フェラーリのアイコニックな1台「F40」

業界最大手の一つであるRMサザビーズの北米本社は、2023年で第24回目となる“AMELIA ISLAND”オークションを大々的に開催。総額にして実に7000万ドルを超える売り上げを達成した、と喧伝しているという。3月4日の競売では、素晴らしいクラシックカーやスーパーカーに対して、日本円にして億越えとなるビッグプライスでハンマーが落とされたようだが、今回はそんな珠玉のクルマたちの中から、最もアイコニックなフェラーリの一つ、「F40」についてのおさらいと、最新のオークション結果についてお話しさせていただくことにしよう。

開祖エンツォが切望した、真のフェラーリとは?

フェラーリの創業40周年を記念して開発され、1987年のフランクフルト・ショーで世界初公開されたF40は、今日に至るまでフェラーリで最も魅力的で印象的なスーパーカーのひとつ。もともとFIAグループBへの参画を意識した伝説の「288GTO」から発展したものである。グループBによるレースが棚上げとなったあとにも開発が続けられたことは、自動車史にとって福音となった。

「288GTOエボルツィオーネ」の延長線上にあるストラダーレ、フェラーリF40はエンツォ・フェラーリの命によって開発された最後のストラダーレとなったのだ。

F40は、レース基準で開発された鋼管スペースフレームのシャシーに、4輪ダブルウィッシュボーン式サスペンションや4キャリパーのベンチレーテッドディスクブレーキを装備するなど、同時代のグループCカーにも近いレース用パーツで構成されていた。

レオナルド・フィオラヴァンティの指揮のもとにデザインされたボディワークは、ピニンファリーナ本社の風洞で空力的に完成されたもの。ケブラーやカーボンファイバーを織り込んだパネルで構成され、車体重量を約20%削減すると同時に構造剛性を3倍に向上させた。

エクステリアは、当時のレーシングカー開発で培われた技術を反映したもので、軽量なボディに加え、インテリアにも多くの配慮がなされている。ケブラー製シェルを持つバケットシートは軽量な布張りとされたほか、プルストラップ式ドアリリース、ドリルドペダル、パースペックス樹脂製ウィンドウなどが採用され、さらなる軽量化が図られていた。

いっぽうランチアのグループCマシン「LC2」用に端を発するV8ツインターボ「ティーポF120 040」エンジンは、288GTO用から2.9Lにスケールアップしたもの。IHI製ターボチャージャーとベーア製インタークーラーを装着し、478psをマークした。

そして5速MTを組み合わせ、静止状態からわずか3.8秒で60マイル(約97km/h)に到達。最高速度はポルシェ「959」をも凌ぐ324km/hという、驚異的なパフォーマンスを発揮した。

この記念すべきスーパーカーは当初ヨーロッパを中心にデリバリーされ、初期生産分は触媒コンバーターや調整可能なサスペンションを備えてなかったが、1990年ごろから触媒コンバーターを備えた後期型へと暫時発展。北米仕様も少数が生産された。

当初400台の少量生産が予定されていたが、顧客のオーダーは後を絶たず、最終的には1315台(ほかに1311台説などもあり)が生産されたといわれる。

フェラーリ・クラシケはあえて申請しなかった……?

AMELIA ISLANDオークションに出品されたF40──シャシーNo.#89121は、この種のコレクターズカーにはありがちな静態保存ではなく、これまで大切にメンテナンスを施されながらも順当に走行距離を重ねてきた一台といえるだろう。

フェラーリのオーソリティとして世界に知られるマルセル・マッシーニ氏の調査によると、このF40は1991年3月に組み立てが開始され、速度計がキロメートル表示となるヨーロッパ市場向けモデルとして完成した。走行状況に応じて車高を変更できるアジャスタブル式サスペンション、ガラス製巻上げ式サイドウィンドウ、触媒仕様のエンジンを搭載した、F40としては最終期のモデルである。

1991年4月にマラネッロ工場からラインオフしたこの個体は、ドイツ・ヴィースバーデンの“フェラーリ・ドイチェランド”社にデリバリー。そして保証書に記載されているように、1991年7月1日にニュルンベルク在住のファーストオーナーのもとに納車されたという

サービスマニュアルに記載されている内容から、1990年代にはドイツ国内の愛好家のもとを渡り歩いたことが判明しており、1996年10月に1万1709km、1997年9月に1万6245kmの走行距離を記録している。その後、2006年2月にイタリアの“GTOモーターズ”社で整備され、この時の走行距離は3万9244kmだったとのことである。

ちなみに、メーカー発行の保証書にはエンジン番号が“26512”と記されているのだが、これは現在この個体に搭載されているエンジンと同じものである。

現オーナーは2017年にF40を購入し、この6年間はスポーツカーのコレクションに収まっていた。つい最近の2023年2月には、カリフォルニア州オレンジの“フェラーリ・テクノロジーズ”社による大規模なエンジンサービスを受けている。

しかしこの個体でもっとも注目すべきは、燃料タンクがアップグレードされたアルミ製のものへと交換されたことだろう。現在ヨーロッパで流通している燃料は、F40純正タンク内のフォームコアを早々に劣化させてしまう特質があるため、これは実用的には理に適ったアップグレードとされてはいる。しかし、現在の国際マーケットで最重要視されるオリジナリティの点では、マイナス材料となってしまう可能性もある。

また、オークションカタログ作成時にオドメーターは約4万5400kmを示し、サービスブックレットに加え、純正レザーポーチ付きのオーナーズマニュアル一式が添付された上での出品であると謳われていた。

お買い得だった理由とは

ところが、このカタログをなんど読み返してみても、近年出品されたフェラーリでは定石となっているはずの“Ferrari Classicehe”ないしは“Red Book”という単語が出てこない。それはすなわち、この個体が燃料タンクの改造をはじめとするなんらかの理由で“フェラーリ・クラシケ”の認定を申請していない可能性が高いことを物語っている。

走行距離がF40としては多めのことや、たとえ安心して維持するためのアップデートとはいえ、オリジナリティが損なわれていることなどの要因が相まってだろうか、競売では187万5000ドル(邦貨換算2億4800万円)という、近年のF40のセールス実績から比較すれば、100万ドル近くもリーズナブルな落札価格に終わった。

それでも1990年代の日本にて、バブル時代の象徴となったころの価格を大幅に上回っているのだから、やはり昨今のマーケットの高騰状況は、かなり異常な状態が恒常化してしまっているといわねばなるまい。

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