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ポルシェの悲願だったル・マン初制覇!「917」は伝説の王者でした

スパ-フランコルシャンのサーキット博物館で出会った917。ガルフカラーは1970年シーズンの正装だが、テール中央のウィングは70年シーズンには禁止されていたはずで、少し疑問の残るいでたちだ

ポルシェが主役に躍り出た記念すべきマシン

排気量4Lのフェラーリや5~7Lのフォードといった戦後世代の大排気量マシンが続々と登場し激しいバトルを繰り広げるようになった1960年代のル・マン24時間レース。総合優勝を争うこれら大排気量車の後方で、着実な走りを見せていたのがポルシェでした。のちに総合優勝を争うようになるポルシェも、この時点では小排気量のクラス優勝を続けるマイナーな存在でしかありません。そんなポルシェが主役に躍り出た記念すべきマシンが、グループ6(レーシング・プロトタイプカー)の「917」です。今回はポルシェ917を振り返ります。

ポルシェのル・マン初参戦は1951年/第19回大会の356

意外なようですが、じつはポルシェのル・マン24時間初参戦は早く、1951年の第19回大会でした。戦時中の休止期間を終えて1949年に再開してからわずか2年後の3大会目のことで、戦後におけるドイツ車の先陣を切っての参加となりました。1086ccのフラット4をリアに搭載した「356」のSLクーペは快調に周回を重ねて総合20位でチェッカーを受け、1.1L以下のクラスで見事優勝を飾っています。

さらに翌1952年の第20回大会では同じく356のSLクーペが総合11位で24時間を走り切って1.1L以下のクラスで連覇を果たしています。1953年以降もポルシェは、毎年のようにクラス優勝を重ねていくのですが、いずれも1.1L以下、あるいは1.5L以下の小排気量クラスでの優勝であり、排気量が3倍近く、あるいはそれ以上もあったジャガーやメルセデス・ベンツには及ぶべくもありません。

そんなポルシェが初めて総合優勝を争うようになったのは、1968年の第36回大会からです。この年、スポーツカーの世界選手権のレギュレーションが一部変更され、プロトタイプカーの排気量が3L以下、連続する12カ月間に50台以上を生産することが必須とされるスポーツカーの排気量も5L以下に制限され、その両者によって国際メーカー選手権が争われることになりました。レギュレーション変更に合わせて製作されたマシンが、3Lのフラット8を搭載したスポーツ・プロトタイプのポルシェ「908」でした。

この年のル・マン24時間は、五月革命で激化した学生運動や労働者のストライキの影響で9月末まで延期されていましたが、その結果全10戦で争われるシリーズの最終戦に。ル・マン24時間を迎えた段階でポルシェが5勝、フォード「GT40」で戦うJWオートモーティブ・エンジニアリングが4勝をマークしていて、ル・マン24時間で勝った方がチャンピオン、とのお膳立てができ上がっていました。

予選ではポルシェが先制します。トップ3までをワークスの「908」が独占したのです。これで初の総合優勝に近づいたかに思われたポルシェでしたが、決勝ではトラブルがワークス・ポルシェを襲います。結局24時間レースではJWチームのフォードGT40が優勝してタイトルも獲得。ポルシェのル・マン24時間制覇は翌年以降にお預けとなってしまいました。

またしてもレギュレーションが変更され、ル・マン制覇に真打たる917が登場

予選で速さを見せたものの、決勝ではトラブルに足をすくわれたポルシェでしたが、1969年シーズンを前にまたしてもレギュレーションが変更されることになりました。今度はエンジン排気量が3L以下に制限されたスポーツ・プロトタイプに対して、エンジン排気量が5Lまで許されたスポーツカーの生産台数が連続する12カ月間に25台以上、と半減されたのです。

これでポルシェは、前年に引き続いて国際メーカー選手権を3Lのフラット8を搭載した908で戦いながら、ル・マン24時間レースに向けては5Lエンジンを搭載したスポーツカーの917を製作することになりました。その戦績を振り返る前に、まずは917のメカニズムについて紹介しておきましょう。

ポルシェのレーシングカーとしては伝統となってきた鋼管スペースフレームにグラスファイバー(FRP)で成形された、40kgにも満たない軽量なカウルをまとっていました。搭載されたエンジンの排気量は規定一杯の5Lではなく、一見中途半端に思える4.5Lでしたが、これは908に搭載されていたフラット8をベースに4気筒を追加して誕生させたフラット12だったからです。

6気筒ずつを対向させたフラット12とするとクランクシャフトが長くなりたわむことが懸念されることから、フラット6を前後2基連結させる格好で間に挟んだフライホイールの下方に出力シャフトを置くレイアウトを採用。軽く仕上がると同時に、完成後はいきなり542psを発揮する……本番用では580psをあっさりと捻り出すほどパフォーマンスも優れていました。

デビュー2シーズン目で見事な活躍を披露

デビュー戦に予定されていたスパ1000kmに持ち込まれた917ですが、この時点では熟成不足が明らかで、決勝レースではTカーの908を使用することに。その翌戦、ニュルブルクリンク1000kmが917のデビュー戦となりました。しかしここでも熟成不足は隠し切れません。

908がトップ5を独占してポルシェは見事タイトルを手に入れることになりましたが、肝心の917は8位でチェッカーを受けるのがやっとでした。しかし彼らが目標としていたル・マンでは見事な速さを見せつけます。公式予選ではロルフ・シュトムレンが、前年のポールタイムを12秒以上も短縮する驚異的なタイムをマーク。もう1台のワークス917がこれに続きました。

しかし信頼性を確保するにはまだまだ準備不足だったようで、シュトムレンの917はスタートから1時間経過したところでクラッチトラブルにより後退。残り4時間まで快走を続けていたヴィック・エルフォード組の917もギアボックス/クラッチ系のトラブルで息を止めることになりました。そしてシリーズ最終戦となったオステルライヒリンク1000kmでようやく本領発揮し、シフェール組が嬉しい初優勝を飾ることになったのです。

デビュー2シーズン目となった1970年の917は、もう見事としか言いようのない活躍を見せつけています。シリーズ第2戦のセブリング12時間でフェラーリに先んじられてクラス2位に終わったものの、それ以外は開幕戦のデイトナ24時間から最終戦(第10戦)のオステルライヒリンク1000kmまで10戦9勝。

第5戦のタルガフローリオと第7戦のニュルブルクリンクの2戦は、こうしたコースではより競争力が高くなる908/03に任せて欠場していますが、いずれも顔を見せたレースでは横綱相撲。悲願だったル・マン初制覇も果たしています。そして翌1971年のル・マン24時間でも連覇を果たし、917は伝説の王者となっていったのです。

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