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プジョー「205」がおよそ5000万円! グループB時代の怪物「ターボ16」は走行8700キロ未満の極上車でした

プジョー205ターボ16(C)Courtesy of RM Sotheby's

グループBの傑作! その評価はいかに?

毎年8月の「モントレー・カーウィーク」では、欧米を代表する複数のオークションハウスが、カルフォルニア州モントレー半島の各地でクラシックカー/コレクターズカーの大規模オークションを開催している。
この2023年、もっとも大きな話題を呼んだのが、RMサザビーズ北米本社の「Monterey」オークションの目玉、いわゆる「バーンファインド(納屋で発見)」された、20台のフェラーリだったことは記憶に新しいが、RMサザビーズではもうひとつ注目すべきオークションを開催していた。それが「The World Rally Classics Collection」。狂瀾のグループB時代を闘ったマシンたちの量産モデルが、オークションの舞台に続々と登場したのだ。

グループB時代を代表する名作、プジョー205ターボ16とは?

1983年シーズンからWRC(世界ラリー選手権)の最上級カテゴリーにすえられた「FIAグループB」規約は、当時の自動車メーカーにとっては大胆な新技術を開発・導入するためのプラットフォームとなった。そして、それまではオフロードカー用の技術だった4輪駆動のコンセプトをラリーのスペシャルステージに適用することで、ラリーというモータースポーツのありかたをドラスティックに変容させるとともに、その時代を彩ったマシンたちは、ホモロゲート車両として最少200台が生産された市販ロードバージョンであっても、現在では極上のコレクターズアイテムとなっている。

なかでも、ミッドシップ+4WDという現在では市販スーパーカーでも一般的となったテクノロジーを、ラリーカーとして世界で初めて導入した「プジョー205ターボ16」は、極めてアイコニックな存在といえるだろう。のちにル・マン24時間レースを制覇するグループCカー「プジョー905」を手がけたほか、トヨタF1チームでも辣腕を振るったアンドレ・デ・コルタンツ技師が設計した205ターボ16は、キャビンを含むセンターセクションとフロントセクションを堅牢なモノコック構造とし、後部は鋼管パイプフレームとモノコック構造とを組み合わせる構成。フロントとリアのカウルは、ケブラー樹脂製とされたという。

レーシングカースタイルのクラムシェル型カウルの下、リアミッドに搭載された1775ccの直列4気筒DOHC 16Vターボエンジンは、複雑なビスカスカップリング式システムとともに4輪を駆動する。

ストリートバージョンの出力は約200psに抑えられ、WRC用コンペティションモデルの半分にすぎなかったが、それでも0-60マイル発進加速(ほぼ0-100km/h加速に相当)は7秒以下で達成するハイパフォーマンスカーとなっていた。

FIAグループB規約の求める200台を生産し、ホモロゲーションを取得したプジョー205ターボ16は、1984年シーズンの第5戦「ツール・ド・コルス」にデビュー。アウディやランチアなどの強力なライバルが立ちはだかっていたにもかかわらず、グループB時代最速といわれた1985~86年の2シーズンにおいて、ドライバーズ/マニュファクチャラーズの両タイトルを決して譲ることなく制し続けたことから、現在ではグループB最強のラリーカーと見なされている。

1986年末にグループBレギュレーションが廃止されたことで、プジョー・スポールの躍進は停止を余儀なくされたものの、その後は「パリ-ダカール・ラリー」などのラリーレイド競技に戦いの舞台を移して大活躍。また現代のエンスージアストにとっても、極上のコレクターズアイテムとなっているのだ。

希少なブラックの個体は、約4840万円で落札!

WRCでライバルとなっていたほかのメーカーと同様、グループBの技術的自由度と比較的ゆるめなホモロゲーション要件を利用して、プジョーはFIAが規定した200台の公道仕様205ターボ16を生産した。

今回「The World Rally Classics Collection」の1台としてオークションにかけられたのは、177番目に製造された公道仕様車といわれている。このモデルとしては少数派に属するブラックで仕上げられ、ロンドンに在住していたカタールの王族メンバー、シェイク・アブドゥッラー・ビン・ハリーファ・アル・ターニーに新車として納車された。

シェイク・アル・ターニーのもとで首都ロンドンの路上で定期的に使用されていたこの個体は、彼の所有期間中にはロンドン西郊チズウィックのプジョー代理店「ワーウィック・ライト」社によって整備されていたという。

シェイクは2007年7月までこの205ターボ16を所有し、その時点での走行距離はわずか8062km。2013年1月に英国グロスターシャー州ストラウドのトム・カービー氏に売却した時点で、走行距離は28kmしか増えていなかった。

ただしカービー氏は、所有中に英国内のコンクール・イベントのために入念なメンテナンスを施し、ブレナム宮殿で開催された権威あるコンクール・デレガンス「サロン・プリヴェ」にて賞賛を受けることになった。

2022年1月、ノーザンプトンシャー州ブラックリーの有名なラリーカー・スペシャリスト「BGM Sport」社によって、約1万4000ドルを投じたフル・メンテナンスが行われた。これには、タイミングベルトやフィルター、フルード類の交換に加え、新品クラッチとブレーキマスターシリンダーの取り付け、4つのホイールの改修、プロフェッショナルなディテールアップが含まれていた。

この整備によって充分にリフレッシュされたこの205ターボ16は、2022年ラリーカーの専門業者に引き取られたばかり。公式オークションカタログ掲載時の走行距離は、依然としてわずか8696kmに過ぎない。

しかも、非の打ちどころのない来歴と、それに見合った完全なヒストリーファイルを持つこの個体は、おそらく公道走行可能なグループB車両の中でももっとも完成度が高いとともに、見事なまでに純正のオリジナリティを保った1台であり続けている。

だから、今なお「狂瀾のグループB」として語られる怪物マシンたちがしのぎを削った伝説の時代の素晴らしき語り部といえるだろう。

この伝説的な1台に、RMサザビーズ北米本社は、35万ドル〜45万ドルというエスティメート(推定落札価格)を設定した。ところが、実際の競売が始まってみるとなかなかビッド(入札)が進まなかったのか、32万9500ドル、つまり邦貨換算約4840万円で落札されることになった。

この落札価格は、じつは量産仕様のプジョー205ターボ16の販売実績から見ると比較的高めのものではあるのだが、たとえばランチア「037ラリー」や「デルタS4」の量産バージョンのマーケット相場に比べると、かなりリーズナブルともいえる。

それゆえ今回の落札価格であっても、あくまで私見ながら良い買い物だった……? と感じられてしまうのである。

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