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「サイレント・スポーツカー」と呼ばれていた「ダービー時代」のベントレーとは? クルーで誕生90周年を祝うイベント開催

90周年を迎えたダービーベントレーが本社に集合

生産開始から90周年を迎えた60台の美しいダービーベントレーが本社クルーに戻ってきた。ベントレーの歴史の中であまり注目をあびることの少ないダービーベントレーとは、どのようなモデルなのであろうか。90周年を祝う記念行事とともに紹介しよう。

ダービーベントレーとは?

「ダービーベントレー」という言葉を聞いたことがあるだろうか? ベントレーは1919年に設立され、21年からロンドンのクリックルウッドで「3リッター」の生産を始める。世界大恐慌の後に経営が傾き、31年にロールスロイスの傘下に入るが、その工場があった場所が「ダービー」である。ベントレーの愛好家の中では1921年の3リッターから31年の「8リッター」までのモデルを「W.O」と呼び、33年から39年までの「3 1/2リッター」、もしくは「4 1/4リッター」モデルを「ダービーベントレー」または「サイレントスポーツカー」と呼ぶ。ダービーに工場があった7年間で2400台以上のダービーが生産された。

90周年を祝う本社でのイベント

今回のイベントはダービーベントレー専門のオーナーズクラブである「ザ・サイレントスポーツカークラブ」の主催により、クルーにあるベントレーのドリームファクトリーに車両が集まり、100名以上のゲストが工場見学や、新装されたベントレーのヘリテージコレクション、マリナーワークショップの見学を楽しんだ。

ベントレーが所有しているスラップ&メイベリーによってコーチワークが施された1934年式3 1/2リッターモデルも、戦前車8台とともに新しくオープンしたリニアージエリアに展示されゲストを迎えた。翌日は、ダービーの90周年を正式に祝うブラックタイディナーの主賓として、ベントレーの最も貴重なコレクションのひとつであり、最近再登録された世界に1台限りの1939年式「Mk V コーニッシュ」が、84年ぶりに公道に復帰したのだった。

チェシャーに集まったダービーベントレーは、1930年代にこのモデルのために特注のボディワークを提供した40以上の様々な独立系コーチビルダーを代表するコーチワークスタイルを披露することとなった。

サイレントスポーツカー

ダービーベントレーの6気筒3 1/2リッターエンジンはスムーズで洗練されており、当時としては十分な出力である約120馬力を発生していた。スタイリッシュで、速く、洗練され、エレガントなプロポーションを持ち、運転しやすいクルマであるがゆえに「サイレントスポーツカー」という名称で親しまれた。

また、ダービーモデルはクリックルウッドの先代モデルよりも洗練され、より俊敏でありながら、価格は400ポンドも安く、それまでのどのベントレーよりも幅広い顧客層に支持されたという。

3 1/2リッターベントレーは、生産中にシャシークロスメンバーをフロントに追加したり、ハーモニックスタビライザーバンパーを装着して乗り心地とハンドリングを向上させるなど、いくつかの開発を伴う改良が行われた。そして、オーナーは50ポンド追加することで、通常の3 1/2リッターに代わる大型エンジンを選択することができた。シリンダー・ボアを1/4インチ(6.35mm)拡大し、いくつかの外装部品を追加したこのモデルは4 1/4リッターと呼ばれ、1936年から39年までにこれまでの生産台数を上回る人気を獲得したのだった。

ベントレーにとっては不遇の時代にあった「ダービーベントレー」に再び光が当てられたこのようなイベントは、世界中のベントレーファンにとって歓迎されるものであったと想像できる。

AMWのミカタ

以前、ダービーベントレーの助手席に乗ってドライブしたことがある。W.Oモデルとは異なり静かで安定し、落ち着いたアイドリング音を奏でていたそのクルマも、一度走り始めると「もっと踏め!」と言わんばかりのベントレーらしい内に秘めた荒々しさを爆発させていた。W.O.ベントレーは「良いクルマ、速いクルマ、クラス最高のクルマを作る」という哲学を持っていたが、W.Oから手の離れたこのダービー時代のクルマにも、彼の哲学が生きていると知ってとても感動した記憶がある。ダービー時代のベントレーが再評価される日も近いのではないか。

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