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今年のバレンタインは「マイアーニ」希望! どうしてキューブチョコがフィアットゆかりのお菓子になったの?【週刊チンクエチェントVol.28】

ゴブジ号ことターコイズブルーの1970年式フィアット500Lが手元にいない暮らしが続く

チンクエチェントはイタリアの文化そのもの

名古屋の「チンクエチェント博物館」が所有するターコイズブルーのフィアット「500L」(1970年式)を、自動車ライターの嶋田智之氏が日々のアシとして長期レポートする「週刊チンクエチェント」。第28回は「マイアーニとフィアット500」をお届けします。

空港にはヌォーヴァ・チンクエチェントが土産物の陳列台に!

ゴブジ号ことターコイズブルーの1970年式フィアット500Lが手元にいない暮らしは、まだ続く。その2カ月の間はほんのちょっとだけ寂しいような気持ちが自分にふんわりつきまとってるような気がしてたものだけど、同時にいなければいないでチンクエチェントにまつわる何らかの楽しみを見出そうと思えばたやすくできることも知った。

事実、この文をしたためてる現在(=2023年12月)もワケあってゴブジ号とは離れ離れなのだが、楽しむネタには事欠かない。さすがは誕生してから65年以上もの歴史を持ち、それから今の今まで延々と世界中で愛されてきたクルマだけある。今回もそういうクルマだからこそ、のお話だ。

前回はアバルト500eが日本カー・オブ・ザ・イヤーで予想を超える健闘をしたお話をしたわけだが、そこでも記しているとおり、僕は2023年5月に皆さんに先駈けて、それ以前にもお伝えしているとおり──ついでにいうなら現在発売中の“FIAT & ABARTH fan BOOK vol.8”でたっぷり書かせていただいたとおり──イタリアでステアリングを握らせてもらってる。

そのときの国際試乗会そのものはミラノとトリノの真ん中辺りのバロッコという村にあるステランティス・グループのテストコースとその周辺の一般道で行われたのだが、宿泊したのはミラノ・マルペンサ国際空港に隣接したホテルだった。

で、5月17日にマルペンサに到着したのは23時半過ぎだったから当然ながらクローズドだったんで気づいてなかったのだけど、20日に出国カウンターに向けてホテルを出発した朝の7時ちょい前くらいからオープンしていて、そこで気がついた。マルペンサ空港の施設の中にヌォーヴァ・チンクエチェントがいるのだ。ただし自動車としてではなく、お土産物の陳列台として。

日本ではクルマを陳列台にしてるのなんて、見かけたことがない。いろいろ大人の事情もあるのだろうけど、それより何より日本を代表する歴史的なクルマ、もっと突っ込むなら日本という国を象徴するようなクルマが存在しない、ということが大きいのかもしれない。

けれど、イタリアにはフィアット500がある。クルマにさほど詳しくない人であってもパッと見ただけでイタリアを連想するような、まさしく象徴的な存在。イタリアの商品を飾るのにこれほど相応しいクルマはないじゃないか。彼らのそんな声が聞こえてきそうだ。

半身にカットされ、フロントフードを開けたその中とルーフに菓子が並べられた、フィアット500F。フロントフードの下にはグロンドーナのクッキー、ルーフのソフトトップの上にはボニファンティのパネットーネ、だ。

へぇー、クリスマスの時期じゃなくて春先にパネットーネ推しをすることもあるんだなぁ……。ボケ〜ッとそんなことを思った瞬間、僕はあることに気がついて、軽くビックリした。

えっ? マイアーニじゃないじゃん……。

1911年にフィアットのためのチョコレートを作った

そう。そうなのだ。フィアットといえばマイアーニ。そうあるべきなのだ。イタリアの商工会議所から「イタリアの歴史を作った企業」として賞されたこともあるボローニャの菓子メーカーは、イタリアの近代史そのものを支えたといっていいトリノの自動車メーカーと、切っても切れない深い関係にあるのだから。

御存知の方もおられるだろう。マイアーニ(=Majani)はイタリアを代表する、チョコレートを主体とした菓子メーカーだ。その歴史はなかなか古くて、1796年にテレーザ・マイアーニがボローニャはサンペトロニオ教会の前に開いた小さな工房兼菓子店からはじまっている。長い歴史を持つだけに逸話はいろいろあるけれど、まぁひと言でいうならその菓子店が成長を重ねて現在の地位と名声を得るに至ったわけだ。そして特筆すべきは、1878年にイタリア王国の王室、サヴォイア家の公式サプライヤーになったということだろう。

そしてもうひとつの大きなトピックは、1911年にフィアットのためのチョコレートを作ったこと。フィアットが“ティーポ4”という新型車のプロモーションのために、マイアーニにノベルティ用のチョコレートを作らせたのだ。イタリア本国のマイアーニの公式サイトによれば、フィアットの創業者であるジョヴァンニ・アニェッリが開催したコンテストだかオーディションだかわからないけどそういう選考会で、ほかのショコラティエたちを抑えてマイアーニが優勝したらしい。

マイアーニが作ったチョコレートの名は「クレミーノ・フィアット」。クレミーノとはイタリアのキューブ型チョコレートの一種で、ジャンドゥイアチョコレートの間にナッツ系、コーヒー、ホワイト系など別のチョコレートを挟み込んだもの。多くは3層構造なのだけど、マイアーニのそれはほかと異なり、ティーポ4という車名に合わせて4層とされていた。その美しいルックスもさることながら、ヘーゼルナッツとアーモンドとカカオの味と香りの見事なハーモニーが、当時のハイソサエティな人たちや文化人たちの間で絶品であると賞賛されて市販化。今もマイアーニを代表するチョコレートとして不動の人気を誇っている。

のちにノワール、カフェ、ラッテ、エクストラ・ノワール、ピスタチオ、カラメル、ソルトといったフィアット・チョコレートが追加され、最初のレシピはクラシコと呼ばれるようになったが、そのクラシコこそが段トツ人気だったりもする。

 

現在わが国にはマイアーニの日本法人や販売代理店というのは存在しないようだけど、おそらくその都度の契約で正規輸入する食材会社や百貨店などは存在しているようで、実はチンクエチェントの小さなモデルカーと一緒に化粧箱に入って販売されたりすることが結構ある。特に2月のバレンタインデーが近づいたころに「マイアーニ フィアット ミニカー」みたいな感じで検索すると発見できることが多く、もちろん数量は限定だから、ファンとしては早めに検索して早めに手に入れるしかない。

ちなみに写真の赤い箱と赤いチンクエチェントのヤツは僕がとある美女からバレンタインデーに頂戴したモノで、義理もいいところであるのは明白だったけど、嬉しかったし美味しかった。クレミーノ・フィアットはペロッと食べちゃったものの、そのときの幸せな記憶は美しい化粧箱やミニチュアのチンクエチェントともに残るわけだ。

義理チョコだったことまで思い出しちゃって“俺に幸せな日々というのは来るのだろうか……?”なんて考えちゃったことは余計ではあるのだけど、今こうしてマルペンサ空港の土産物屋さんの写真だとか化粧箱やモデルカーだとかを眺めてると、やっぱりこのクルマはイタリアの文化そのものなのだよな、なんて思えてくる。

チンクエチェントとは、そういう存在なのだ。

◎マイアーニの本国サイト

https://www.majani.it

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