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マツダ「サバンナRX−3」を寺田陽次郎ワークス仕様で再現! 打倒「ハコスカGT-R」に燃えるゼブラカラーがカッコよすぎ

1971年富士マスターズ250km仕様の寺田陽次郎車を再現したレプリカ

ヨーロッパ遠征から国内参戦にかじを切ったロータリー

マツダはまだ前身の東洋工業時代の1960年代後半から海外レース、特にヨーロッパの耐久レースにファミリア ロータリークーペやファミリアプレスト ロータリークーペで参戦してきました。それはヨーロッパの耐久レースで活躍することが、NSUが基本特許を持っていたものの、マツダが世界で唯一商品化させたロータリー・エンジン(RE。海外ではヴァンケル・エンジンの名が一般的)の高速耐久性をアピールすることになる、との想いからでした。

打倒GT-Rを目指してサバンナを導入

そして実際に、1968年にはRE搭載車として初レースとなったマラソン・デ・ラ・ルート84時間レースでコスモスポーツが総合4位を獲得。1969年はファミリア・ロータリークーペに車両を変更してスパ-フランコルシャン24時間レースで総合5位、マラソン・デ・ラ・ルート84時間レースで総合5位でした。

1970年にはファミリアプレスト・ロータリークーペに変更しRACツーリスト・トロフィで総合8位、西ドイツ・ツーリングカー・グランプリで総合4位、スパ-フランコルシャン24時間レースで総合5位と上位入賞を重ねてきました。

そして1971年からマツダは、活躍の場を国内に移してレース活動を続けることを決断しています。そのテストケースというか、1969年11月に開催された全日本鈴鹿自動車レースにRE搭載車として国内デビューし、グランドカップレースで総合1位を獲得。

マツダがRE車両で国内に本格参戦を始めた1971年、国内のツーリングカーレースでは排気量によって1300cc上下の2クラスに分けられるのが一般的で、1301cc以上の上位クラスでは日産のスカイラインGT-Rが王座に君臨していました。ファミリアプレスト ロータリークーペが搭載しているREは、982cc(491cc×2ローター)の10Aユニットでしたが、レース界ではロータリー係数として2を掛けた1964ccとして扱われるために、GT-Rと全く同じクラスとなります。

また1970年の5月にはファミリアプレスト・ロータリークーペの兄貴分にとされるカペラ ロータリークーペが登場。こちらは1146cc(573cc×2ローター)の12Aユニットを搭載し、レースでは2292ccとして扱われますが、2000cc以下と2001cc以上が同じクラスとして扱われることも多く、RE陣営の打倒GT-Rへの期待は高まっていきました。

マツダでは1970年の末に鈴鹿サーキットや富士スピードウェイにファミリアプレスト ロータリークーペやカペラ ロータリークーペをレース仕様に仕立て上げたテスト車両を持ち込み、精力的にテストを重ねていきました。1971年の9月にはファミリアプレストとカペラの中間に位置するサバンナが登場しますが、ファミリアを少しだけサイズアップしたボディにファミリアと同じ10Aエンジンを搭載していて、こちらがカペラと共に打倒GT-Rの尖兵としてレースに参戦する準備が着々と進めているのでした。

サバンナのスポーツキットはマツダが早々に用意

サバンナ(のレース仕様テスト車両)が初めてサーキットに持ち込まれたのはベースモデルが登場してから間もない1971年の9月半ば。やはり鈴鹿と富士にスポーツキットを組み込んだテスト車両がもちこまれていました。まだ本格的なチューニングが施される前で、スポーツキットを組み込んだだけでしたから、エンジンの最高出力は180ps前後(ベースモデルは105ps)でしたが、何よりも新車の登場から間もないタイミングでスポーツキットを揃えた辺りにマツダの“ヤル気”が感じられます。

またサバンナはベース車両で見た場合、ファミリア/ファミリアプレストに比べてホイールベースが50mm伸びて2310mmに、トレッドも前後でそれぞれ100mmずつ拡がって1300mm/1290mmとなったことで、随分と扱い易い性格になっていたようです。タイム的にはこの初テストでは鈴鹿で2分29秒台をマークしていますが、これはテストの少し前、8月のレースで長谷見昌弘選手がハードトップのGT-Rでマークした2分27秒4の約2秒落ち。

富士でもワークスGT-Rの1~2秒落ちで走っていましたが、その好タイムがマークできた要因としてテストを担当した片山義美選手は、エンジンパワーはワークスでチューンしていたファミリア/ファミリアプレストに比べると少し物足りないけれど、操縦性がよくなった分、早く走ることができたのでは、と分析していました。いずれにしてもサバンナの、初テストとしては上々の結果となっていました。

そんなサバンナの実戦デビューは1971年の10月に富士で開催された富士グラン・チャンピオン(GC)レースのシリーズ最終戦、富士マスターズ250kmのサポートレース、排気量が1300ccを超えるツーリングカーによるTC-Bレースで、1600cc以下がクラス I、1601cc以上は全てクラス IIとされていたからサバンナだけでなくカペラ ロータリークーペも、スカイライン ハードトップGT-Rと同じクラスとなっていました。

ロータリー軍団は片山義美、従野孝司、岡本安弘の3選手がカペラ ロータリークーペを、サバンナは寺田陽次郎と増田健基の両選手が、それぞれドライブし、プライベーターのファミリアプレスト ロータリークーペがサポートを受け持つ体制でした。主戦マシンは明らかにカペラだったのですが、ゼブラカラーにペイントされたサバンナの印象が強く、アピール度ではこちらの方が主役級となっていました。

一方、これを迎え撃つ日産ワークスは高橋国光、北野元、黒沢元治の3選手がスカイライン ハードトップGT-Rで参戦し、同じGT-Rで久保田洋史、杉崎直司らの有力プライベーターがこれを援護する格好で、まさに王者の日産と挑戦者のマツダが、“がっぷり四つ”の様相を呈していました。

レースは雨混じりの難しいコンディションとなり、車両の熟成が進んだGT-Rに有利な展開となっていきました。結果としては黒沢選手と高橋選手がランデブーの1-2フィニッシュ。ロータリー勢は片山選手がトップから1分近く遅れた3位で、さらに約30秒近く遅れてサバンナの寺田選手が4位でチェッカー。内容的にはGT-Rが圧勝となりましたが、これはまだまだプロローグ。

王者GT-Rに対するロータリー勢は着々と進化を遂げていき、この後一層厳しい戦いが繰り広げられ、やがては王座が逆転するのですが、このレースが先ずはその第1幕でした。今回登場したゼブラカラーのゼッケン12号車は、1973年式のサバンナをベースに、1971年のデビューレースで寺田選手がドライブ、4位入賞を果たしたモデルのサバンナGS IIを忠実に再現していました。

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