日本へ帰国する前にメルボルンの街を散策
オーストラリア・ノーザンテリトリー州でトヨタ「ハイラックス」ベースのキャンピングカー、アポロ「キャンパーバン」をレンタルして、釣り人としてバラマンディの大物を狙う23日間の旅をレポート。仲間とフィッシングを満喫した後は国立公園を一人旅し、アリススプリングス空港で日本から来た妻と合流して、ウルル(旧称エアーズロック)を見学後、フライトでメルボルンへ移動して日本へ帰国します。最後はメルボルンの街を散策しました。
アリススプリングス空港でのんびり過ごす
昼過ぎにアリススプリング空港に到着。カフェでランチを食べることにした。
「日本人ですか?」
カフェのレジ係の若い男性が笑顔で話しかけてきた。
「そうです。日本語が上手ですね。どこで日本語を勉強しましたか?」
「私はネパール人です。ネパールで日本語を勉強しました。でも、オーストラリアに来ました」
笑顔。
「そうですか。私は日本語の先生です。今度、日本で会いましょう」
「はい、そうしましょう」
サムアップ!
こんな短い触れ合いも旅の楽しさだ。
空港のカフェは庭があって居心地がいい。ぼくはビールを買って、ベンチでのんびりとボーディングを待つことにした。フェンスの向こうは駐機場で、母親と子どもが飛行機に向かって手を振っている。ぼくはこういう小さな空港が大好きだ。
大都会メルボルンは気候も文化もこれまでと大違い
メルボルンまでのフライトは約3時間。アリススプリングスとは30分という微妙な時差がある。日本との時差は1時間で、メルボルンのほうが先行している。こんなことも知らなかった。
メルボルンに着いて、まずびっくりしたのは、その寒さ。最低気温は2℃で、最高気温は14℃というが、もっと寒く感じた。ダーウィンと比べたら20℃も違う。さすがにオーストラリアは広い!
メルボルンは人口500万人の大都会だ。すっかり自分の体に馴染んでいたカウボーイハットとサングラスは、まったく不釣り合い。こんな格好をしていたら、田舎っぺ丸出しだ。ホテルの部屋の隅にハットを放り出して、妻がわざわざ日本から持ってきてくれたスラックスを履いた。
ポートフィリップを中心にメルボルンが開拓されたのは、19世紀初頭。1851年のゴールドラッシュによって移民が押し寄せ、人口が一気に増えた。追って建築ブームとなり、ビクトリア州立図書館、王立展示館、メルボルン大学、聖パトリック大聖堂など、ビクトリア朝の美しい建造物が次々に建てられた。この繁栄は「マーベラス・メルボルン」と呼ばれて讃えられた。
すごいのは、これらの歴史的建造物の多くが現存していることだ。戦禍を免れたことが大きいだろう。メルボルンは、still marvelousだ。
メルボルンのカフェ巡りだけでも楽しそう!?
カフェ文化がすごい、と聞いていたが、街を歩いてすぐに納得した。日本にもカフェは多いが、ほとんどはチェーン店。メルボルンのカフェはほとんどが単独店で、スターバックスでさえ1軒しか見かけなかった。
それぞれの店頭にサンドイッチやラップ、タルト、デニッシュ、クロワッサンなど、おいしそうな食事をずらりと並べ、早朝から夕方までお客さんが休みなく入っている。カフェで消費される食事やコーヒーは、とんでもない量になるはずだ。
カフェばかりでなく、バーもすごい。夕方4時ともなれば、路上に出した客席がいっぱいになる。食事の前に飲むのか、すでにそれがディナーなのか? くわしくは分からないが、バーで消費されるワインの量もハンパじゃないだろう。
クルマで走る楽しさは、もしかしたらアメリカ以上かも
一方で、パキスタン人のタクシードライバーは、こうまくし立てた。
「物価が高すぎて生活ができない。とにかく家賃が高い。妻と息子はパキスタンに置いてきて、ひとりで生活しているんだ。小さなアパートだって高くて大変だ。とても家族一緒になんか住めない。野菜が高い、肉が高い、米が高い、ガソリンが高い。なんでもかんでも、ここ数年で高くなった。前はよかったが、今は本当に大変だ。え、ダーウィンは家賃が安い? あんな、クソ暑いところに住んでいられるか!」
たしかに、オーストラリアの物価は高かった。アウトバックを1000km走破した日の燃料代は3万円以上になった。しかし、2022年にアメリカを旅行したときに比べれば、物価高のショックは大きくなかった。もう、感覚が麻痺してしまったのかもしれない。
また、コアの観光地は人が多いが、それ以外のところはそうでもない。その日、宿泊する場所に困るようなストレスは、ほとんどなかった。クルマで走る楽しさも、もしかしたらアメリカ以上かもしれない。とにかく、空も大地もバカでかい。ぼくはこういうところが大好きだ。
みなさんも、次のドライブ旅行の候補にオーストラリアを考えてみてはいかがだろう。
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