ファントム誕生から100周年を迎える
ロールス・ロイス・モーターカーズは、2025年に最上位モデル「ファントム」誕生から100周年を迎えます。ファントムは現在8代目まで続き、一切妥協することのない比類なきドライビング体験は最新モデルまで継承されています。そこで、AMWでは記念すべきファントムの歴史を3回に分けて紹介します。まずは、誕生にまつわるエピソードをお届けします。
シルバーゴーストに続いてファントムが誕生
ロールス・ロイスが「世界最高のクルマ」という賛辞を初めて得たのは、1906年に発売された「40/50 H.P.」、通称「シルバーゴースト」がきっかけだ。伝説的な評判の鍵となったのは、ヘンリー・ロイスの「基本設計の絶え間ない改良」という原則をもとに、シャシーごとに細かな改良が施されていたからだ。ロイスは1921年までにシルバーゴーストがこれ以上改良を加えることが不可能な段階に達していることに気づき、その代替となるモデルの開発に着手した。
「ロールス・ロイス社は長期間にわたるテストの結果、新型の40/50 H.P.シャシーのデモを発表し、受注を開始することをここにお知らせいたします。これまで当社が製造してきた40/50 H.P.用シャシーは、従来通り販売いたします。混乱を避けるため、これまでのシャシーはシルバーゴーストとして販売し、新しいシャシーはニュー・ファントムとして販売いたします」
これは1925年5月2日付けの『タイムズ』紙に掲載されたオリジナル広告の文章である。この広告は歴史的なものとなり、ロールス・ロイスが新型モデルを愛称ではではなく「シルバーゴースト」と呼び、さらに「ファントム」という名称が初めて記録に残された。
ファントムにダイヤモンドを収納する装備をオーダーする顧客も
ファントムという名称は、同社の営業部長であったクロード・ジョンソンによって考案されたと考えられている。ジョンソンは、自社の製品に名前をつけることが販売促進につながることを認識していた。また、1907年に、それまでは平凡な名称であった40/50 H.P.にシルバーゴーストという愛称をつけたのも、彼の豊かな想像力によるものだった。同年、彼は別の40/50 H.P.に「グリーンファントム」と名付けた後、1909年に2台の車に「シルバーファントム」という愛称を付けた。ジョンソンは、ファントム、レイス、ゴーストといった名前が、製品が持つ静けさと幽玄な優雅さを伝える力を明確に理解していたのだ。
当時、同社はシャシーのみを提供しており、自動車のフォルム、スタイリング、内装は独立したコーチビルダーに委ねていた。コーチビルダーは、オーナーの希望に沿った特注のボディワークを製作していた。同社は、フォーマルなサルーンやリムジンに適したロングホイールベースのファントムと、よりスポーティなコーチワークを備えたオーナードリブンに最適なショートホイールベースのファントムを供給した。
ファントムのゆったりとしたプロポーションにより、顧客はほぼあらゆるディテールや贅沢な追加装備を指定することが可能であった。ロングホイールベースのリムジンには、収納可能なライティングデスクや回転式のシートを求める顧客もいた。ほかにも金庫やゴルフクラブを収納する専用スペース、さらにはダイヤモンドを収納する秘密のコンパートメントをリクエストする顧客もいた。
1925年5月8日、『オートカー』誌は新型モデルの試乗記を掲載し、「自動車製造に携わる企業の中で、ロースル・ロイス社ほど高い評価を得ている企業はない」と、熱狂的に伝えた。このような賞賛は嬉しいものだったが、ヘンリー・ロイスは気を取られることはなかった。初代ファントムのデザインは、その前身であるシルバーゴーストのデザインに非常に近いもので、一部の現代の愛好家は「スーパーゴースト」と呼んでいた。その後4年間、ロイスはデザインの改良を続け、1929年にはタイムズ紙に「ファントムII」の登場を告げる新たな広告を掲載した。
ファントムに満足しなかったロイス
皮肉にもファントムに満足しなかったのはロイス自身であり、彼はホイールベースの短いファントムIIでさえ、個人的な用途には大きすぎるとして頑に主張した。そのため、彼はデザインチームに自身がコート・ダジュールにある別荘「ル・カナデル」まで運転して行くのに、よりコンパクトでスポーティなファントムIIの派生モデルを開発するよう指示した。
デザイナーたちはファントムIIの短いシャシーを改良し、「26EX」を開発した。「EX」は「実験的」を意味する。記録によると、ロースル・ロイスの販売部門も工場も、このコンセプトには当初あまり乗り気ではなかった。実際、これがロイス個人の移動手段として企画されていなかったら、製造されることはなかったかもしれない。
しかし、大陸横断セールスツアーの大成功により、ヨーロッパのなめらかでまっすぐな道路を高速で長距離走行できるクルマの需要があることが証明された。同社は「ファントムII コンチネンタル」でこの需要に応えた。おそらくグッドウッド以前のファントムの派生モデルの中で、重量、空気抵抗、その他の性能関連要因と乗客の快適性を同等に考慮した唯一のモデルである。
AMWノミカタ
ここまで、ロイスが存命中のファントムの変遷を紹介した。その歴史は40/50 H.P.のエンジンに新しいシャシーを与えたことからはじまる。1925年5月2日の新聞広告によって、このクルマを正式に「ファントム」と認めている点も面白い。ロイス自身がこのモデルを気に入っていなかったという記述を見ると、これほどまで長く継承されるモデルになるとは当時誰も想像せず記録も残さなかったのであろう。
ファントムIIは排気量が7670ccまで拡大され、最高速度は92mph(約148km/h)を誇り、1929年から1935年までで1675台が販売された人気モデルとなる。シリンダーをクロスフロー化し、混合気の流れをなめらかにしよりパワフルになるとともに、エンジンとトランスミッションが一体化され剛性を高めたのも、このモデルからである。ロイスによる飽くなき改良が施されたのもこのモデルまでで、ロールス・ロイスを取り巻く自動車業界はパワー競争の時代へと突入してゆく。次回は、ロイスが亡くなった後の時代を追っていきたい。
