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世界初の「衝撃吸収式ボディ」はメルセデス・ベンツが採用! クルマの安全性を戦前から追求してきたパイオニアの歴史とは

1968年に行われたW111とW108の2台による横衝突テスト。1959年デビューのW111は、前後衝撃吸収式ボディ構造(フルモノコック)と頑丈な客室構造を持つ世界初のセーフティボディ搭載乗用車の量産車だった

メルセデス・ベンツが安全技術の研究を開始して86年

メルセデス・ベンツといえば安全なクルマ、というのは、日本に輸入され始めた時代から現代に至るまで、もはや共通認識といえるでしょう。かつて「頑丈であれば安全」というのが常識だった時代から、パッシブ・セーフティの概念をいち早く導入し、衝撃吸収式ボディの先駆けとなったメルセデス・ベンツの研究開発の歴史を振り返ります。

古い2つのフィルムに映された、2つの「安全性」

筆者は以前、2巻の古いフィルムを観たことがある。1巻は1930年代初頭のアメリカ某社の新型車のデモンストレーションフィルム。今からすれば典型的な箱形スタイルの新型車が、急な坂道を全速力で下り、その先で急ハンドルを切る。1回転、2回転、それから体勢を立て直して、凹んだボンネットをうならせながら再び走り出す。間を置かず、満場の観客席に向かって、叫ぶような声でアナウンスが流れる。

「わが社の新型車はかくも頑丈。この通りまだ走る!」

強固なフレームと鋼板で固められた車体。しかし、それが必ずしも安全ではないということは周知の通りである。固いプラスチックの箱に卵を入れて滑らせ、壁にぶつけるシーンを想像してみても明らかだ。卵はひとたまりもない。仮に何かの方法で卵を固定しても、結果は同じである。いうまでもなく箱はクルマ、卵は人間である。

もう1巻のフィルムは、ドイツのダイムラー・ベンツ社時代、1959年のものである。アメリカの某会社のフィルムとは全く違っていた。メルセデス・ベンツ2台が正面衝突テスト、横からの衝突テスト、大型バスに衝突するテストシーンなどであった。メルセデス・ベンツの前後は衝撃で潰れたが、客室は頑丈で衝突テスト後でもドアが外から開いたことに、当時の筆者はただ驚くばかりであった。

60年代前半までは「より頑丈なクルマが安全」だった!?

この2巻のフィルムを比較して言えることは、ただ頑丈なだけのボディでは、乗員や衝突した相手に大きな被害が及んでしまうことである。むしろ自動車がうまく壊れて衝撃を吸収すれば、被害を軽くできる。当時の常識とは全く逆の発想から生まれたメルセデス・ベンツの衝撃吸収式構造ボディ。つまり、事故の際、メルセデス・ベンツの前後は潰れやすい衝撃吸収式構造で、客室は逆に頑丈に造り、しかも事故後でもドアを外から開いて乗員を素早く救出できるわけである。

戦後、世界の自動車産業は急速に成長した。よく走り、よく止まり、よく曲がるという基本性能に基づいた安全性も向上した。しかし、事故が起きた時に、より頑丈なクルマが安全であるという考え方は1950年代を通じ、1960年代前半に至るまであまり変わっていなかった。しかも、それに対して理論だった研究、対策を試み、力を注いだメーカーはというと、ほとんどと言ってよいほど無かった。

理由は簡単。安全の研究、とくに衝突安全性に関する研究は、金額がかかるわりに見返りが少ないと言われたからである。とくに1950年代から1960年代のアメリカ車は、その点が象徴的であった。V型8気筒の大排気量、大出力&オールパワーシステムで豪華な装備を満載した大型高級車は、1台で大きな利益を生むからである。アメリカはもちろんのこと、ほとんど世界中の自動車メーカーがこのような状態であった頃、当時のドイツの高級自動車メーカー、ダイムラー・ベンツ社はどうしていたのであろうか。

「ミスター・セーフティ」と呼ばれたベラ・バレニー

オーストリア・ハンガリー帝国生まれのベラ・バレニー(Béla Barényi/1907年~1997年)は、祖父が所有していた貴重な自動車がきっかけで、8歳頃から自動車に強い興味を抱いていた。そして1920年代、ウィーン工科大学在学中に国民車(後年のフォルクスワーゲンと同じ概念)、スポーツカー、ツーリングカーといった独自のコンセプトを考案した。彼の急進的なアイデアは、しばしば教授たちを困らせるほどだったと言われている。

その発想は自動車の将来にとって、優れた先見であった。類まれな才能に注目した当時のダイムラー・ベンツ社の社長、ヴィルヘルム・ハスペル博士はまだ若い彼を主任設計者として迎え入れた。彼は1939年、ダイムラー・ベンツ社に32歳の若さで入社すると同時に、世の中にまだ概念すらなかった「自動車の安全性の研究」に着手した。

自動車が人間を傷つけることなど耐えがたく、絶えず「エンジンよりも先に人間」をモットーに新しい解決策を考え、数々の安全技術を開発し、現在、世界中の自動車が基本とする安全構造のほとんどを考案した。「人間」を中心に新しい解決策を考え、優れた才能だけでなく、そんな自動車への人一倍熱い思いが、彼を「ミスター・セーフティ」と呼ばれる自動車安全性の第一人者に押し上げていった。

メルセデス・ベンツが、自動車の安全性がルールとして確立されるずっと以前より安全性に取り組んでいることはすでに周知の通りである。時は1939年、メルセデス・ベンツの安全技術が本格的なスタートを切った。開発部門内にパッシブ・セーフティ(受動的安全性)の専門部を創設し、当時はその発想すらなかった自動車の衝突安全性の研究に着手した。

「ミスター・セーフティ」であるベラ・バレニーが主任設計者として、当時のダイムラー・ベンツ社に入社し、ジンデルフィンゲン工場の一画で自動車の安全性の研究に着手し、数々の安全技術を開発した。彼がダイムラー・ベンツ社に在籍した34年間に取得した特許は2500件にも及ぶ。そして、彼は当時のことを次のように語っている。

「自動車が少ない当時でも、交通事故は起きていました。ボディは大丈夫か? エンジンは? と人々は高価な車体に心を奪われがちでした。しかし、私が気がかりだったのは何よりも乗員の安否だったのです。また、安全性はセールス・ポイントにはなりませんでした。自動車を買おうとする人たちは、高価な自動車が壊れる話など聞きたがらなかったのです!」

「丈夫な客室を前後の衝撃吸収式ボディ構造で守る」仕組みを導入

先述の通り、1960年代前半に至るまで自動車に対する安全性の理論だった研究・対策の試みはなかったが、すでに1951年にメルセデス・ベンツの技術陣は自動車の安全性理論、すなわち衝撃吸収式前後構造と頑丈なパッセンジャーセル構造の特許を取得した。そして、この構造が今日の全自動車の安全ボディの基本となっている。

1953年には、この世界初の前後衝撃吸収式ボディ構造を採用した量産乗用車「180」を発表(セミモノコック)。その6年後、1959年8月に生産を開始した「W111/220Sb」(通称:羽根ベン)で、前後衝撃吸収式ボディ構造を完成し(フルモノコック)、乗用車のボディ構造に大きな改革をもたらした。

しかも室内はステアリングホイール、インストゥルメントパネル、ドアライニング、アームレスト、サンバイザー等に衝撃吸収材を使用し、埋め込み式ドアハンドル、脱落式ルームミラーをすでに採用。セーフティセルと呼ばれるこの安全車体構造は、乗員が乗る客室の剛性を上げ、その前後構造に衝撃吸収能力を持たせている。

この特許を申請したフルモノコックの元祖といえる「安全ボディ」は頑丈な客室の前後に衝撃吸収構造を持ち、じつはすでに1940年代に試作車を造り、「頑丈だから安全」の一辺倒から「丈夫な客室を前後の衝撃吸収式ボディ構造で守る」仕組みに変えたのである。

とくに、1959年のW111/220Sbは1958年7月2日に登録された特許である2重の安全ドアロックを標準装備。つまり、ドア側のウェッジピンとボディ側のテーパー付きの穴で、ウェッジピンをがっちりと受け止め、ドアを確実に2重ロックし乗員保護をした(1949年には最初のバージョンのウェッジピンドアロックの特許を取得している)。

独自の安全技術を開発して特許は独占せず公開

また、1959年には現在にも通じる本格的な衝突実験を開始した。テストカーは最初、ケーブルプルシステムによって駆動された。その後、温水ロケットが使用された。1969年には人間や車両の被害状況を調査し、事故原因を分析・研究する「事故調査活動」を始めた。そして、現在までに5000件以上の調査を行い、貴重なデータを蓄積している。

1967年に標準装備された衝撃吸収式セーフティステアリングシステム。1974年から採用したオフセット衝突に対応する衝撃吸収式ボディ、ABS(アンチロック・ブレーキ・システム)、シートベルトテンショナーとSRSエアバッグも、事故調査による結果から導き出された独自の安全技術である。しかも、メルセデス・ベンツがこれらの特許を独占せずに公開してきたのは、メルセデス・ベンツのクルマだけでなく、「世界中のクルマの安全性向上」を願ったからである。

ベラ・バレニーの名言である、

「これで完璧。などというものは存在しないのではないかと私は考えている。なぜなら、絶えず新しいやり方、新しい解決方法を模索しているからだ!」

という言葉は、今も引き継がれ開発されている。彼は安全性向上の多大な功績によって1994年に自動車業界で最高の栄誉であるアメリカの「自動車の殿堂」入りを果たした(1997年に90歳で永眠)。ダイムラー・ベンツ社にとっては、創始者であるゴットリーブ・ダイムラー、カール・ベンツに次いで3人目である。

メルセデス・ベンツの安全性の基本理論

すでに1951年、メルセデス・ベンツの技術陣は自動車の安全性理論、すなわち衝撃吸収式前後構造と頑丈なパッセンジャーセル構造の特許を取得していた。

その理論は事故発生時点を「0(ゼロ)」時点として、事故を未然に防ぐ安全性(アクティブ・セーフティ)と、事故が起こった後の被害を最小限に止める安全性(パッシブ・セーフティ)、この両面をカバーする処置を施さなければならないとしている。

このメルセデス・ベンツの安全理論は下記の通りである。1980年代の日本製カタログでは、必ずこの安全理論を図式にしていた(当時の輸入元のウエスタン自動車製作カタログより)。

【1】事故を起こさないための安全性/予測乗員保護=能動的安全性/アクティブ・セーフティ

・走行安全性=運転上の事故を起こさない安全性
・環境安全性=楽で疲労を予防する安全性
・操作安全性=簡単で分かりやすい操作性
・知覚安全性=十分な視界、視認性

【2】事故の被害を最小に止めるための安全性=受動的安全性/パッシブ・セーフティ

・外的安全性=対人・対物に安全な設計
・内的安全性=乗員を守る設計

メルセデス・ベンツの安全思想を樹木にたとえると、能動的安全性と受動的安全性という2つの枝がクルマの安全度を高めるという図式になる。

メルセデス・ベンツの開発ポリシーは、「安全性とは、たんなる自動車技術ではない。クルマと、それを操縦する人間、道路条件の総合的な研究なのである」としている。交通事故の原因を分析した結果、次のような相互関係が明らかになる。

・自動車=自動車側の対策として「能動的安全性・受動的安全性」
・人間=運転者側の対策として「規則を守る・注意深くする」
・道路=行政による対策として「道路計画・道路整備・交通形態」

つまり、「自動車」、「人間」、「道路」など、ひとつひとつの要素が互いにバランスがとれてこそ初めて交通の安全対策が確立されるのである。

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