ル・マンを闘ったフェラーリ512BB/LM、再びオークションに現る
クラシック/コレクターズカー・オークション業界最大手のRMサザビーズ欧州本社が2025年2月4〜5日に開催した「PARIS」オークションでは、レトロモビルに訪れる目の肥えたエンスージアストを対象とした、レアなクラシックカー/コレクターズカーたちが数多く出品されました。今回はフェラーリ「512BB」をベースとし、ル・マンにも出場したレーシングマシンのフェラーリ「512BB/LM」を紹介します。
フェラーリ512BB/LMのなかでも、もっとも個性的な1台
さきごろRMサザビーズの「PARIS 2025」オークションに出品されたフェラーリ512 BB/LMは、フェラーリの「アシステンツァ・クリエンティ」部門が製作した、わずか16台のサードシリーズ512BB/LMのうちの1台である。シャシーNo.は#35529で、1981年1月にローマ在住のミネラルウォーター王、ファブリツィオ・ヴィオラーティによって購入された。
ヴィオラーティとフェラーリとの関わりは、元ジョー・シュレッサーの「250GTO」を手に入れた1965年まで遡り、その後30年以上にわたって、間違いなく世界でもっとも素晴らしいストラダーレ・フェラーリとコンペティツィオーネ・フェラーリのコレクションを形成。またヴィオラーティはジェントルマン・レーサーとしても活躍していた。
北米IMSA「GTX」規約に従って製作されたシャシーNo.#35529は、ヴィオラーティが運営する「スクーデリア・スーパーカー・ベランカウト(Scuderia Supercar Bellancauto)」チームに引き渡されたのち、レースへのチーム体制はマセラティのワークスや「スクーデリア・チェントロ・スッド」、あるいは「スクーデリア・フェラーリ」でもエンジニアとしてのキャリアを重ねていたジュリオ・ボルサーリと、伝説的な航空エンジニアであるアルマンド・パランカに共同で委ねられることになる。
IMSA「GTX」クラス1位でフィニッシュ
1930年代には、伝説的な水上飛行機によるタイムトライアル大会「シュナイダー・トロフィー」に参加した経験も持つボルサーリは、ボディワークの空力効率を向上させることを命じられた。彼のデザインは、ほかのBB/LMよりも長いノーズと低いリアの「クリップ」を特徴とし、「512 BBB(Berlinetta Bialbero Bellancauto)」と呼ばれた。
かくして、赤一色のカラーリングに彩られたシャシーNO.#35529は、1981年の「モンツァ1000km」でレースデビューを果たし、アルファ ロメオの元ワークスドライバーのスパルタコ・ディーニ、マウリシオ・フランミーニ、そしてヴィオラーティ自身がドライブ。デレック・ベル、リカルド・パトレーゼ、エディ・チーバー、そしてガイ・エドワーズら当時のスポーツカー耐久レースの名手たちと対戦したトリオは、予選16位でクオリファイ。最終的には総合15位/IMSA「GTX」クラス1位でフィニッシュした。
このマシンが次に挑んだのは、スポーツカー最大の舞台として知られるル・マン24時間レース。1981年に開催されたこの世界的ビッグレースには、9台のIMSA-GTXクラス(うち4台が512 BBLM)が参加したが、ヴィオラーティ、フランミーニ、ドゥイリオ・トリュフォの3人は予選で総合34位となり、フェラーリ勢の2番手となる。しかし、その期待は失望に変わり、マシンは15時間後に電気系統のトラブルでリタイアを喫する。
それからわずか2週間後、シャシーNo.#35529はシチリアの「エンナ6時間レース」に参戦。ヴィオラーティ/トリュフォ組は、ライバルがさほど強くなかったことにも助けられ、総合5位/GTXクラス1位という好成績を収めた。
WEC公式戦で複数のクラスウィンを得た伝説のフェラーリとなる
「スクーデリア・ベランカウト」のフェラーリ512 BB/LM、シャシーNo.#35529が次に公式レースに姿を現したのは、エンナ6時間における活躍から1年以上が経過したあと。1982年9月に開催された「ムジェッロ1000km」レースでのことだった。
新生「FIA世界耐久選手権(WEC)」第6戦として開催されたこのレースには、パトレーゼやアレッサンドロ・ナニーニ、ミケーレ・アルボレートがワークス参戦した「ランチアLC1」が3台、アンリ・ペスカローロとボブ・ウォレックがワークス参戦した「ポルシェ936C」が1台エントリーしていた。このような強敵ぞろいにもかかわらず、ヴィオラーティ/トリュフォ組は奮闘の末、総合10位でフィニッシュ。再びGTXクラスウィンの栄誉を手にした。
1984年、スクーデリア・ベランカウトはこのフェラーリ512 BB/LMとともに、再びル・マンに登場。この年の布陣はマウリツィオ・ミカンジェーリ、ロベルト・マラッツィ、ドミニク・ラコーの3人だった。ヴィオラーティが所有するミネラルウォーターブランド「フェラレッレ(Ferrarelle)」のスポンサーシップを受け、マシンは現代的でファニーなカラーリバリーとなったものの、レースはスタート後わずか6時間でトランスミッションの故障により、残念ながらリタイヤに終わってしまう。
1984年9月16日、マルコ・ミカンジェーリとマウリツィオ・ミカンジェーリ、そして 「ジェロ(Gero)」の3人は、#35529を駆って「イモラ1000km」に出場する。そのシーズンのWEC選手権ヨーロッパ最終戦として開催されたこのレースには、「ポルシェ956C」が10台、「ランチアLC2」が4台体制でエントリーしており、フェラーリ512BB/LMの旧態化を浮き彫りにしていた。
それでも予選では23番手と健闘したものの、91周目まで走ったところでエンジントラブルによりリタイヤ。それがシャシーNo.#35529にとって、最後の公式レース参戦となってしまう。
そして現役時代のレーシングキャリアを終えたのち、シャシーNo.#35529はファブリツィオ・ヴィオラーティが2010年に亡くなるまで彼のもとに保管され、最終的には2014年に彼の遺族から放出されることになったのである。
華々しいレース歴は、必ずしもオークションでの評価には直結しない…?
スクーデリア・ベランカウトのフェラーリ512BB/LMは、「365P2/3」「330P」「250 MM」、そして伝説の250GTOを含む約40台のフェラーリとともに、サン・マリノ共和国ほど近いリミニ近郊にある素晴らしい「マラネロ・ロッソ・コレクション(Maranello Rosso Collection)」にて長らく一般公開されたのち、次のオーナーに引き渡された。
そして2021年には、後述するオークションにおいて、今回の出品者でもある現オーナーが入手。そののち2022年から2024年にかけて、ドイツのルトライン=ヴェストファーレン州ウンナにあるヒストリックレース参戦サポートのスペシャリスト「ブリテック・モータースポーツ(Britec Motorsports)」社によって、15万ユーロを超える費用をかけて、大規模かつ入念な再ミッションが施された。
このとき行われた作業には、シャシーのフルストリップダウンと再組み立て、ボディワークと電気系統の修理、エンジンの完全オーバーホール、ギアボックスのリビルドなどが含まれる。さらにクラッチや燃料ポンプ、燃料パイプの交換、ブレーキキャリパーおよびマスターシリンダー、ダンパー、ホイールベアリングのオーバーホール、サスペンションとステアリングコンポーネントの徹底的なクラックテストが行われ、レーストラックへの復帰に向けて準備万端のコンディションに仕立てられているという。
フェラーリとしては少々アクの強すぎるルックスが影響?
ところでじつはこの個体、同じくRMサザビーズ欧州本社がフランスのポールリカール・サーキットを会場として2021年11月に開催した「The Guikas Collection(ギカス・コレクション)」オークションにも出品。現オーナーが入手したのはその時なのだが、当時は225万ユーロ~300万ユーロというエスティメートに対して、197万3750ユーロという予想外の安値で落札することができた。
そして今回、現オーナーとRMサザビーズ欧州本社は200万ユーロ~250万ユーロ(邦貨換算約3億2200万円〜約4億250万円)という、前回に比べるとかなり低めのエスティメート(推定落札価格)を設定したのだが、2月5日に迎えた競売では売り手側が希望した「リザーヴ(最低落札価格)」には届かず、流札に終わってしまう。
つまり「ル・マン・クラシック」「モントレー・モータースポーツ・リユニオン」、あるいはピーター・オート主催の「CERシリーズ」など、数々の注目度の高いヒストリックレーシングイベントにエリジブル(出場権がある)であるにもかかわらず、今回もまた残念なオークション結果となってしまったわけだが、やはりフェラーリとしては少々アクの強すぎるルックスが影響しているのかもしれない……? とも思えてならないのだ。
