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ニキ・ラウダも乗った! Mカラーをまとった最初のBMWがオークションに登場!「3.0CSLバットモービル」は1億円を超えることができたのか?

50万ユーロ~65万ユーロ(邦貨換算約8050万円〜1億465万円)で現在も販売中のBMW「3.0CSL バッドモービル」(C)Courtesy of RM Sotheby's

ついに“真打ち”登場! レース歴のあるBMW3.0CSLバットモービル

AMWオークションレビューでは常連中の常連といえるBMW「3.0CSL」ですが、これまで取り上げてきたのはすべてFIAホモロゲート獲得のための市販バージョン。現役時代にレースカーとして製作された個体はなかったはずです。しかし、クラシック/コレクターズカー・オークション業界最大手のRMサザビーズ欧州本社がクラシックカー・トレードショーの世界最高峰「レトロモビル」に付随するかたちで、2025年2月4〜5日に開催した「PARIS」オークションでは、国際マーケットにおいてもめったにお目にかかることのない、当時からレース仕様に仕立てられた3.0CSLが出品されました。

欧州ツーリングカー選手権の覇権を目指して生み出されたバットモービル

まずは(旧)西ドイツ国内向けモデルとして1971年に登場し、1972年モデルからは欧州各国でも発売されたBMW 3.0CSL(Coupé Sport Leicht)は、当時のFIAホモロゲーション車両の最高峰ともいうべきモデルだった。

欧州ツーリングカー選手権(ETC)の戦果が乗用車の売り上げにも直結していたこの時代、マーケティング部門の要求に対するBMWのエンジニアたちの解決策は、「グループ2」レーシングクラスの厳格なレギュレーションの枠組みを満たすために、限定生産の「ホモロゲーションスペシャル」を開発することだった。

その目的のため「3.0CS」をベースに開発された3.0CSLではインテリアトリムを簡略化し、メインのボディシェルに薄いスチールパネル、ドアやボンネット、トランクリッドにはアルミニウム合金、サイドウィンドウにパースペックス樹脂を使用することで、仕向け地によっては200kg近い軽量化を実現していたという。

一部の仕向け地を除き「バットモービル」エアロはオプションだった

その直列6気筒SOHCユニットは、当初3.0CSと共通となるツインキャブレターつき2985cc・180psとされていたが、デビュー2年目の1972年には、3リッター超級クラスへの参戦を可能にするべく、わずかにボアアップされた3003ccエンジンでホモロゲーションを取得。公道走行用には206ps、レース仕様車は300psを超えるパワーを発揮した。

1973年にはエンジンのストロークが延長され、排気量を3153cc(公称3.2L)へと拡大。また、シーズン中盤以降のレース用CSLには、フロントのチンスポイラーに大型リアウイングなど様々なデバイスからなる、いわゆる「バットモービル」エアロダイナミクス・パッケージが開発され、一部の仕向け地をのぞいてオプションとして選択可能とされた。

こうしてETC選手権へと投入された3.0CSLは、トイネ・ヘゼマンスがステアリングを握ってBMWワークスチームにシリーズタイトルをもたらすとともに、同年のル・マンではディーター・クエスターとの共同ドライブで、クラス優勝を果たした。そして「バットモービル」仕様の3.0CSLは、ETCの製造者部門5連覇という前代未聞の快挙を成し遂げたのだ。

ニキ・ラウダもテスト走行した個体ながら…

このほどRMサザビーズ「PARIS 2025」オークションに出品されたBMW 3.0CSLは、このモデルとしてはもっとも初期に製作された1台だったと目されている。

当時、欧州ツーリングカー選手権(ETC)制覇を目指していたBMWは、イギリスのレースチームとエンジニアリング会社である「ブロードスピード(Broadspeed)」と委託契約を結び、FIAグループ2スペックの新型3.0CSを開発することにした。ブロードスピードに課せられた条件は、ETC選手権における最強のライバルと言われたフォード「カプリRS2600」よりも2パーセント速く周回することだったといわれている。

1971年9月、ブロードスピード社に2台のE9のプロトタイプが納入される。しかし、真のCSL仕様に生まれ変わったのは、このシャシーNo.2211343の1台だけだった。

ブロードスピードは、同じく英国の「クーパー・カー・カンパニー(Cooper Car Company)」の協力のもと車体の剛性を高めるとともに、より軽量なアルミニウム製のドア、ボンネット、トランクリッドを装着し、ガス封入式のビルシュタイン製ダンパーを装備。

仏ポール・リカール・サーキットでの冬季テストに備えたが、元フォード・ドライバーのジョン・フィッツパトリック(1966年英国サルーンカー・チャンピオン)とBMWワークス・レーサーであるディーター・クエスターのラップタイムが、ともにフォード・カプリには及ばなかったため、契約は急遽終了となってしまう。

しかし、ブロードスピードはこのプロジェクトを自主的に継続し、のちに3度のF1世界チャンピオンに輝くニキ・ラウダが、シルバーストーンでテスト走行を行った。1972年7月号の「Motor Sport Magazine」誌によると、ラウダは自身が所有していた当時のF2マシンを引き合いに出しつつ、ブロードスピード製の3.0CSLを高く評価している。

BMWモータースポーツの象徴となったカラーリングの第1号車だった?

ブロードスピードは1972年4月、雪のザルツブルグリンクで開催されたヨーロッパ・ツーリングカー選手権に、シャシーNo.2211343を初投入。その後ミュンヘンのファクトリーに戻され、ブルー/パープル/レッドのストライプでリペイントされることになった。今やBMWモータースポーツの象徴となったカラーリングに仕上げられたのは、この車両が最初だったと考えられている。

1973年6月、カリフォルニア州ハーモサ・ビーチの「ヴァセック・ポラック(Vasek Polak)チーム」に売却され、BMWサービスアドバイザーのブルース・ポンダーのドライブにより、複数のツーリングカーレースに参加した。いわゆる「バットモービル」スタイルに改装されたのは、このアメリカ時代のことと思われる。

その後、この3.0CSLの足どりはいったん途絶えることになるが、1999年にスウェーデンのマルモエに移されたことで、再び表舞台に現れる。そして、FIAのクラシック公認証を取得して2002年の「ル・マン・クラシック」に出場したのち、2008年にドイツを拠点とする現在のオーナーに譲渡された。

RMサザビーズ欧州本社は

「すべてのレーシングCSLの父であるシャシーNo.2211343は、BMWモータースポーツの歴史において非常に重要なピースであり、それゆえに説得力のあるバックストーリーを誇っている」

というアピール文で称えるとともに、50万ユーロ~65万ユーロ(邦貨換算約8050万円〜1億465万円)という、当時モノのレーシング3.0CSLとしては比較的控えめなエスティメート(推定落札価格)を設定した。

ところが迎えた2月4日の競売では、締め切り段階に至ってもリザーヴ(最低落札価格)に届くことなく、残念ながら流札に終わってしまった。

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