ニューオリンズからミネアポリスまで北上する旅もついに終焉
2024年の8月末から、アメリカをミシシッピ川沿いに南北縦断して音楽の歴史をたどる旅に出ることにした筆者。ブルースの故郷である「ミシシッピ・デルタ」を仲間と4人で巡った後は、ひとり旅。ニューオリンズのハーツレンタカーで借りたキア「スポーテージ」を“キムさん”と名づけて相棒とし、各地を巡って北上してきました。ミネソタ州ヒビングでボブ・ディランの育った家を見学し、いよいよ旅の終わりは、ミシシッピ川の源流を訪れることにしました。
ミシシッピ川の源流、イタスカ州立公園へ
ミネソタ州ヒビングのAirbnbをチェックアウトし、“キムさん”ことキア「スポーテージ」の運転席に座った。空気はキンと冷たい。エンジンは、今日も快調に始動。朝の光の中、ぼくと“キムさん”は最後の目的地へ向かって出発した。目指すはミシシッピ川の源流だ。
アメリカの多くの川はロッキー山脈に源流を持つ。連なるロッキーの頂の西に降った雨は太平洋に流れ、東に降った雨は大西洋に注ぐ。この偉大な山の連なりは大分水嶺と呼ばれる。
しかし、ミシシッピ川は例外だ。この大河の源流はミネソタ州北部のイタスカ湖に発する。平野にある湖と、遙か4000km離れた河口の高度差はたったの450mしかない。したがって、この大河の流れは、とてもゆるやかなのだ。
ミネソタ州は「数千の湖の州」との異名を持つが、実際には1万2000も湖があるそうだ。その名のとおり、道路の左右には次々と湖が現れる。湖と川、そして森の中を走ること3時間、ぼくはイタスカ州立公園に到着した。
幅3メートルの小川から長さ4000キロ以上の大河となる
ビジターセンターに行くと、バックパックの装備をした人たちがいる。園内の地図を見ると、イタスカ湖以外にも大小の湖が点在していて、ハイキングトレイルも整備されている。つい寄り道をしたくなるが、残念ながらぼくには時間がない。
ミシシッピ川の源流がどこか尋ねると、最寄りの駐車場までクルマでほんの10分ですよ、と教えてくれた。係の人が地図につけたマーカーは、T字を反時計回りに90度傾けた形のイタスカ湖のちょうど一番上にあたる。さっそく“キムさん”とその地点に向かった。
ミシシッピ川の源流は幅3mほどの小川だった。記念撮影用に飛び石が置かれている。そして、サインによると「メキシコ湾まで2552マイル(4106km)」。大河の水も一滴から、とはよく言ったものだ。そして、ついに最終目的地に辿り着いた達成感がじわっと沸いてきた。
しばらく源流を眺めながら過ごしていると、どんよりした雲の間から弱い陽射しが漏れてきた。シャッターチャンスだ。フレームに人が入らない瞬間を狙ってシャッターを切った。「ミネソタ」が、ダコタ族の言葉で「曇り空のような水」という意味だと知ったのは、数日経ってからだった。
モーテルのパキスタン人は荒川区で働いていた経験あり
すべてが終わった。あとはミネアポリス空港のハーツ・レンタカーのオフィスにクルマを返し、町をぶらつくだけだ。明後日、ぼくはデルタ航空機の直行便で日本に帰る。文字通り燃え尽きたような気持ちだった。
今日の宿はどこにしようか、と思っていたら、ロードサイドに古いBBQレストランの看板が現れた。これは夕食によさそうだ。通りがかりの小さい町である。すると、今度は都合よくモーテルの看板が……。まだ時間は早いが、ここに泊まることにした。
モーテルの受け付けにいたのはインド系の女性(後でパキスタン人と判明)だった。ぼくが日本人とわかると、彼女の夫が以前、日本で働いていた、とまくし立てた。
「主人があなたと話をしたがると思う。きっと、喜ぶわ」
目の手術を受けたばかりで右目を大きな眼帯で覆った主人は、東京都荒川区にある工務店で働いていたときの思い出をしゃべりまくった。そして、当時、親切にしてくれた社長の娘と連絡を取りたい、と熱心に訴えるのだった。しかし、30年以上前の話である。工務店を検索しても該当する会社はない。当時20代だった娘も、もう60歳くらいなっているだろう。
「日本に帰って何かわかったら連絡しますよ」というと、「頼むよ。きっとだよ」と、ぼくの手を握った。
3週間、旅を支えてくれた相棒“キムさん”との別れ
翌日、ミネアポリス空港近くのホテルに向かった。ミネソタのモノトーンの景色の中を走っていると、なんとも言えない寂しさが込み上げてきた。何だろう、この寂しさは? そのとき、ぼくは“キムさん”に恋をしていることに気がついた。献身的に旅を支えてくれた“キムさん”は、最高の相棒であり恋人だった。明日の朝、ぼくたちは別れる。どちらが悪いわけでもない。でも、それが運命だ……。
翌朝、”キムさん”をハーツ・レンタカーのオフィスに返却した。
ぼくはそのまま電車でミネアポリスの町に出た。ミネアポリスはグレートプレーリーで収穫した小麦の集積地として栄えた町だ。今でも小麦粉関連の看板が誇らしげにそびえている。
ぼくは、半日、散歩を楽しんだ。町の真ん中にはミシシッピ川が静かに流れている。天気がいいので、うっかり薄着で来てしまったが、空気はひんやりと冷たい。その夜はホテルにあるステーキ・レストランで、ひとりで祝杯をあげることにした。無事に旅が終わったことに感謝、そして、また次の旅ができるように祈りを込めて。
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このミシシッピの旅で筆者が取材した内容を1冊にまとめた本が2025年3月13日に発売となった。アメリカンミュージックのレジェンドたちの逸話とともに各地を紹介しているフォトエッセイ、興味のある方はぜひチェックを。
>>>『アメリカ・ミシシッピリバー 音楽の源流を辿る旅』(産業編集センター)
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