市販されたルーチェ1500とはまるで別物
1960年代、日本のカーデザインにはイタリアのカロッツェリアの力を借りることが多くありました。今回紹介するマツダ「S8P」もその1台です。ベルトーネ時代のジョルジェット・ジウジアーロが手掛け、のちに「ルーチェ1500」となって市販されたモデルを見ていきます。
息をのむほどに美しい面構成
今回のオートモビルカウンシルにおいて、大きな注目を集めたのがマツダが出展したS8Pと呼ばれるコンセプトカーである。マツダは1962年に、ベルトーネ社に乗用車デザインに関する技術援助契約を締結する。ベルトーネから送られてきたデザインのモデルを、1963年の全日本自動車ショーに市販予定車として出品したものの、量産化には至らなかった。
その後、あらためてベルトーネ社から届いた実寸大の模型は、地を這うように低く、息をのむほどに美しい面構成を備えていたと、マツダ100年史には記されている。じつはこのモデルこそがS8Pと呼ばれる今回の出展車であると思われる。
マツダは社内の若手デザイナーが独自の味わいを加味し、量産デザインを完成させ、1966年8月にルーチェ1500として発売することになる。
確かにデザイン的にはそのとおりだろう。しかし、S8Pを見て驚いたのは、市販されたルーチェ1500とはまるで別物であったことだ。もちろんマツダ社内が「息をのむほどに美しい面構成」と評したそのスタイルもだが、メカニズムそのものが根本的に異なっていたのである。
そもそもこのクルマ、1度だけ広島で展示された後は、長くマツダの倉庫で眠っていたそうである。当時デザインしたジウジアーロが日本にやってくるということで、その縁からこのクルマを引っ張り出したようだ。だから展示するにあたり、それなりにマツダも手を入れたようだが、当時マツダの首脳陣やデザイン陣が感じた通り、60年以上経った今でも、その美しさには息をのむ。
駆動方式にFRではなくFFを採用した理由は……?
そして何が異なっていたかと言うと、市販されたルーチェは、直4ガソリンエンジンを搭載。リアを駆動するいわゆるFRの駆動方式を持っていたのに対し、S8Pは、ロータリーエンジンをフロントにオーバーハングして前輪を駆動するFWDだったことである。つまりプラットフォームからしてまったくの別物であったということだ。
ご存じのとおり、ロータリーエンジンは直4エンジンと比べると非常にコンパクトでエンジン高が低い。それによって低いボンネットフードが実現され、ウェストラインも低くできた。何故、FWDにしたか、会場に居合わせた現シニア・フェローの前田育夫氏に質問をぶつけてみると……
「とくにこれといった理由はなく、当時は何でもやってみようということだったんですよ
ちょっと眉唾だが、結果このFWDとロータリーエンジンの組み合わせは、のちにルーチェ・ロータリークーペとして実を結ぶことになる。ただし、そのとき搭載されたロータリーエンジン(13A)と、S8Pが搭載していたロータリーエンジンは異なり、S8Pはあくまでもモックアップエンジン(木製だというがプラグコードは存在した)が積まれていた。現実に搭載予定だったエンジンは400ccx2ローターで、名前を付けるとしたら8Aとでも呼ぶべきエンジンであったという。
FWDであるのでプロペラシャフトは存在しない、室内を覗いても剛性確保の若干の盛り上がりはあるものの、フロアはほぼフラットである。エンジンの低さを物語るのは、サイドを通るプレスライン。ホイールアーチを貫通してリアまでそのラインが伸びているのがわかる。しかし、量産型ルーチェではこのラインがフロントホイールアーチのはるか上を通り、その分ボンネットがかさ上げされたことを物語っていた。エンブレムはすべてロータリーをイメージさせる、おむすび型にm(東洋工業当時のコーポレートマーク)の文字をあしらったもの。そしてボディサイドにはdisegno di Bertone(ベルトーネデザイン)のプレートが付いている。
1960年代中盤は多くの日本車メーカーが、イタリアンデザインを採用した。その中でジウジアーロ氏が与えた影響は極めて大きい。今回のカウンシルにもこのクルマを含め4台のジウジアーロ・デザインのモデルが展示されていた。
