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逆走も信号無視も日常。それでも事故が少ないハノイを歩く【Key’s note】

こんなに混沌としているのに、事故があまり起きない

日本では考えられない光景に潜む人の温かさと柔軟性

レーシングドライバーであり自動車評論家でもある木下隆之氏が、いま気になる「key word」から徒然なるままに語る「Key’s note」。今回のキーワードは「ベトナムの道路事情」。慣れ親しんだ整然とした日本の交通の流れとは打って変わって、ベトナムの道路事情には少しばかり腰が抜けそうになりました。

信号無視は日常茶飯事

ベトナムの首都ハノイに足を踏み入れてから、もう1週間が過ぎました。はじめの数日、私はひどく驚き、戸惑いました。混沌とした交通事情に圧倒されたのです。クルマやバイク、自転車、そして歩行者の絶え間ない流れは決して秩序立ったものではなく、むしろ自由自在で、ときに無秩序そのものに見えました。

ハノイはベトナムの北部に位置し、歴史や政治の中心地として名高い街です。対して南のホーチミンは商業の中心地であり、気候も異なると言われています。

北と南では、確かに雰囲気に大きな違いが感じられます。私は今回、ハノイに滞在していますが、そちらの方が穏やかな雰囲気が漂うと言われることもあります。

交通事情についても、ホーチミンほど混沌としていないと耳にしていました。しかし、いざハノイに足を踏み入れ、目にした交通の風景には、その予想を超えるものがありました。

日本で慣れ親しんだ整然とした交通に慣れてしまっていると、ベトナムの道路事情には少しばかり腰が抜けそうになります。

道を走るクルマ、バイク、自転車が激しく入り混じり、そのなかを歩行者が縫うようにして進んでいきます。信号無視は日常茶飯事で、逆走しているバイクも頻繁に見かけます。それでも不思議なことに、そこには交通の「流れ」があるように感じるのです。たとえその流れが日本の交通と比べると、あまりにも自由で無秩序に見えても。

混沌としているのに事故があまり起きない?

ヘルメットの着用義務が2007年に施行されたそうですが、実際にはその法律もあまり守られていないようです。バイクに乗る人々のなかには、ヘルメットを被らずに走る者も少なくなく、1台のバイクに何人もの人が乗っているのを目にします。とくに驚いたのは、バイクの「4人乗り」です。日本では考えられないような光景ですが、ここでは日常的な風景として普通に目にすることができます。それでも、警察がその取り締まりをしているところは、ほとんど見かけませんでした。

街の交通において、車線はあるものの、それを守る様子はほとんどありません。隙間があれば、誰もがそこに割り込んでいくのです。クルマの流れを強引に遮り、自らの進路をこじ開ける感覚。そこにはルールも何もないように思えます。

クラクションが鳴り響く街。かつて私は、その音に耳を塞ぎたくなるほどの疲れを覚えましたが、今ではそれが音楽のように感じられることもあります。これがハノイの交通というものだと、ある種の感覚が自然に身についてきたのでしょうか。

それでも、ひとつ気になることがあります。それは、こんなに混沌としているのに、事故があまり起きないことです。確かに、こうした交通環境は一歩間違えれば大きな事故を招く可能性があるわけですが、不思議なことに、ハノイの街では大きな衝突事故を目にすることが少ないのです。

ハノイの街はどこかゆっくりとしたペースで流れている

この無秩序な環境で、道路を渡るのもひと苦労に思えますが、これもまた不思議なことに、慣れてしまうのです。初めて道を渡ろうとしたときは、その一歩を踏み出す勇気が持てなかったのですが、しばらくして、道を横切るのがあまりにも自然になった自分に気づきました。道の真ん中に立ち、周囲を見渡しても、誰もが適度に避けて通ってくれるのです。日本では考えられないような光景ですが、この「流れ」を信じることができるようになった瞬間、自分もこの混沌に溶け込んだのだという気がしました。

なぜ、ハノイの道を渡ることがこんなにも自然に感じられるのでしょうか。

その理由のひとつは、流れの速度が比較的ゆっくりとしたものであるからだと思います。日本では、道路の整備が行き届いているため、クルマやバイクのスピードが速く、そうしたなかを横断するのは緊張感を伴います。しかし、ハノイの街では、どこかゆっくりとしたペースで流れており、そのなかに身を任せることができるように感じるのです。

また、ここには「路上の阿吽(あうん)」が存在しているように感じます。

日本の道路事情はどこか安全ボケしている

ベトナムでは、逆走や信号無視、無秩序な割り込みがあるのが前提として成り立っており、そのなかで自分もまたその一部として息を合わせていくような感覚があります。

これに対して、日本では交通の秩序が守られていることが当たり前で、逆走車が登場するとすぐに事故が発生します。日本の交通事情では、あらかじめ逆走車が存在することなど考えられませんから、その突然の出来事に反応できず、事故が起きてしまうのです。

日本では、逆走車が事故を引き起こすたびに、その責任を問う声が上がります。しかし、ベトナムの交通においては、逆走車や暴走車の存在が最初から「あるもの」として認識されているため、事故が少ないのかもしれません。むしろ、運転者も歩行者もその混沌に適応していると言えます。これが「慣れ」の力なのでしょうか。

ベトナムの交通から学べることがあるのだろうか、最初はそんなことを考えていました。しかし、こうした混沌とした状況で、交通の「流れ」をうまく受け入れ、日常生活を送ることができているベトナムの人々を見ていると、日本の交通にも何か足りないものがあるのではないか、という気がしてきます。

事故が減らない日本の道路事情は、どこか安全ボケしているのではないかという気さえします。日本では、交通ルールを守ることが当然とされていますが、それだけでは解決しない問題もあるのではないでしょうか。少しばかり余裕を持ち、流れを読む力を養うことも、交通の安全に寄与するのではないかと感じたのです。

結局、私はハノイの混沌とした交通事情に「慣れて」しまいました。驚き、戸惑い、ときには恐怖すら感じたあの日々も、今では懐かしい思い出となりつつあります。ベトナムの交通事情は、決して優れているとは言えませんが、そこには何か人間的な温かさや柔軟さが感じられるような気がします。それが、私にとっては何よりも新鮮で、学びの多い体験でした。

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