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日産のモータースポーツの聖地「追浜工場」が幕を閉じる…私が見たワークスの風景【Key’s note】

日産 アリア ニスモ

“日産ワークスの舞台”だった追浜工場

レーシングドライバーであり自動車評論家でもある木下隆之氏が、いま気になる「key word」から徒然なるままに語る「Key’s note」。今回のお題は「日産の追浜工場」。テストコースも備える日産の主力工場だったが、経営再建のために閉鎖が決定。かつて村山工場の閉鎖を彷彿とさせる発表でした。

日産再建のために静かに幕を下ろす「聖地」

経営的に苦境に陥っている日産に関するネガティブなニュースが、日々報道されていますね。

2024年度の業績は、売上高が12.6兆円、営業利益が698億円、純損失が6709億円となり、前年の純利益4266億円から大幅に悪化しました。グローバル販売台数は334万8687台で、前年比0.8%の減少となっています。とくに中国市場の落ち込みが激しく、販売台数は12.2%減の69万7000台でした。

そんななか、新たにCEOに就任したイヴァン・エスピノサ氏は、2026年度の黒字化を目指し、さまざまな改革策を打ち出しています。9000人の人員削減や生産拠点の統廃合などを含む、大規模な再建計画「Re:Nissan(リ・ニッサン)」を発表しました。

そのなかで、個人的に衝撃的だったのが、追浜工場での生産が終了するというニュースです。

日産自動車の国内工場は、2022年度時点で8拠点が稼働しており、それぞれが特定の役割を担ってきました。

2022年時点のデータでは、栃木工場には約5400人、九州工場には約4400人が勤務しています。また、追浜と同様に閉鎖が発表された日産車体・湘南工場では約1800人、そして追浜工場には約3800人が働いていました。追浜工場は、日産の主力生産拠点のひとつだったのです。そこが閉鎖される……。

モータースポーツの聖地でもあった

私は神奈川県に住んでいることもあり、どうしても他人事には思えませんでした。しかも追浜には「日産グランドライブ」と呼ばれるテストコースがあり、私たちマスコミ向けの試乗会なども開催されていて、とても身近な存在なのです。

さらに言うならば、かつて追浜工場内にはスポーツ車輌開発部があり、モータースポーツ用のマシンを開発していました。じつは私も、かつて日産の契約ドライバーだったことがあり、この追浜工場には何度も通って、マシン開発に取り組んだ記憶が鮮明に残っています。

まさに“ワークスの舞台”でした。世界を制したスカイラインGT-Rや、WRCに挑戦したパルサーGTi-Rなどの開発にも携わりました。ル・マン24時間で日の丸を掲げたグループCカーの開発もこの地で行われていたのです。追浜は生産拠点であると同時に、モータースポーツの聖地でもあったのです。

追浜は神奈川の一隅、横須賀市の海に面した場所にあり、潮の香りが漂っていました。スポーツ車輌開発部隊はテストコースに面した建物にあり、新しいパーツが組み込まれるやいなや、すぐにテストコースへとマシンが飛び出していきました。走っては改良し、改良しては走る。そんなテスト走行が、何度も何度も繰り返されていたのです。

現在、スポーツ車輌開発部はこの地から姿を消していますが、テストコースは「日産グランドライブ」と名称を変え、当時の面影を今に伝えています。

もちろん、追浜工場での車両生産は終了すると発表されましたが、土地そのものがすぐになくなるわけではなさそうです。売却される可能性も否定できませんが、あくまでも噂の域を出ておらず、日産グランドライブなどの施設は残されるのではないかとも言われています。

追浜工場の敷地内には研究所もあります。生産は終わっても、開発業務は今後も続けられるのでしょう。かつてのように、モータースポーツに直結する華やかなマシン開発が行われることはないかもしれませんが、研究所が存在するかぎり、テストコースの必要性も残るのではないでしょうか。

追浜の海が、変わらずそこに在り続けるように、ここで生まれたクルマたちも、きっとどこかで走り続けていることでしょう。私たちが道を歩くとき、その道端で「追浜」という名前を見かけたら、この場所のことを少しでも思い出していただけたら嬉しいです。

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