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暴走族対策で選ばれた4ドアのオヤジ車!スポーツカーを日本初ターボ車にできなかった理由とは【Key’s note】

日産 セドリックターボ

日本車史に残る日産が仕掛けたターボ導入の奇策

レーシングドライバーであり自動車評論家でもある木下隆之氏が、いま気になる「key word」から徒然なるままに語る「Key’s note」。今回のお題は「日本のターボ技術」。1970年代末、日本に「ターボ」という技術が上陸しました。当初は暴走族のパワーアップ装置と誤解され、日産スカイラインへの搭載は見送られます。しかし日産はターボ搭載車に官公庁車やタクシーでおなじみのセドリック/グロリアを採用したことで、規制を巧みに突破しました。この一歩が日本車のターボ時代を切り開いたのです。

厳しい排ガス規制で落ちたパワーをターボで補う

1970年代末、日本の自動車業界にひとつの“風雲急”が迫っていました。オイルショックによる燃費規制、排ガス規制、そして自動車文化に対する社会の視線の変化です。そのなかで「ターボ」という技術が日本に上陸しようとしていました。

当時若かった僕らにとって、ターボチャージャーという言葉には憧れの響きがありました。自動車先進国のドイツではBMW「2002ターボ」やポルシェ「911ターボ」が販売されており、高性能エンジンの証だったのです。パワーアップのための魔法のパーツに痺れました。そんなターボ車が日本車に採用される──そう思うと浮き足立ったものです。

本来、ターボチャージャーは排気ガスのエネルギーを再利用し、エンジンの燃焼効率と出力を高める合理的な仕組みです。当時の厳しい排ガス規制はエンジンパワーにとって大きな足かせとなっていて、日本の自動車メーカーはそれをターボで補おうと考えました。

しかし役所はこう考えたようです。

「ターボ=暴走族のパワーアップ装置」

燃費改善技術どころか、”治安悪化”装置扱いです。暴走族と技術文化への誤解は、いつだってこうして始まるものです。

じつは日産は、走りのクルマとして人気があったスカイラインにターボを組み込むことを検討していました。しかし、暴走族が喜ぶターボをスカイラインに搭載することには、役所が難色を示したとされています。
「いや、それはアカン。スカイラインは走り屋のクルマやろ? ターボなんて付けたら若者が夜の高速で競争して事故が増える!」

当時の役所の発想は、まさにこうしたものでした。こうして最有力候補だったスカイラインGTターボ計画は、行政的なブレーキが踏まれることになったのです。

スポーツ性を控えめにしてターボを認可させる

しかし日産も黙ってはいませんでした。規制があるなら、その“解釈の余地”を突くことで知恵を絞ったのです。そこで白羽の矢が立ったのが、当時のセドリック/グロリア、通称セドグロでした。大型セダンで、街中では官公庁車両やタクシーとしても多く使われる、真面目で落ち着いた印象のクルマです。
「ほら、この車にターボを付けても暴走族が欲しがるわけないじゃないですか。お父さんが通勤に使うクルマですよ」

日産の商品企画担当者の心の声は、きっとそんなところだったのでしょう。案の定、役所もこの提案には断る理由が薄く、1979年、日産は日本初の市販ターボ車「セドリック/グロリア2000ターボ」を誕生させました。

この時、日産は2Lクラスの直列6気筒エンジンにターボを組み合わせました。大排気量エンジンを積む代わりに、小排気量に過給で力を与える──今で言う“ダウンサイジングターボ”の発想です。当時は燃費や排ガス面でも有利で、現代の環境規制時代にも通じる先見性があったと言えます。とはいえ、結果的にこのターボ付きセドグロは、豪華セダンの穏やかな顔と裏腹に力強い加速を見せる、不思議な立ち位置のクルマとなりました。

もちろん、これは単なる“セドグロの珍しい仕様”で終わる話ではありません。セドグロにターボを載せるという回り道は、日産にとって時間稼ぎだったのです。役所や世間が「ターボ=危険」という先入観を薄めた頃、スカイラインにもついにターボが搭載されました。C210型スカイライン2000ターボGTの登場です。

セドグロ・ターボはスポーツセダンの先駆け!?

この余勢をかり、日本の自動車市場はターボ時代に突入していきました。トヨタ、三菱、マツダも参戦し、「ターボ=燃費向上&高性能」という認識が広がっていきます。

このエピソードは単なる車種開発の裏話ではありません。技術が社会に受け入れられるまでのプロセス、そしてその間に起きる駆け引きを象徴しているのです。ターボは役所の机上では“危険物”だったかもしれません。しかし現場の技術者や商品企画マンにとっては、時代の要請に応える切り札でした。だからこそ、彼らは直接対立するのではなく、あくまで合法の範囲で目的を達成する方法を探しました。それが「セドグロ・ターボ」という、日本車史に残る奇策だったのです。

最終的に、勝者は誰だったのでしょうか。役所はターボ車の普及を一時的に遅らせたものの、日産は狙いどおりスカイラインへのターボ搭載を実現し、マーケットもターボを受け入れました。そしてユーザーは、豪華セダンでありながら高速道路を軽やかに追い越していくセドグロの背中を、驚きと羨望の入り混じった目で見送ったのです。

つまり、この話の真の勝者は──高速道路で微笑んだセドグロの運転手たちだったのかもしれません。彼らは知らず知らずのうちに、日本の自動車史のターニングポイントに座っていたのですから。

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