世界初の直噴エンジンをミッドマウント
第二次世界大戦後、レースから遠ざかっていたメルセデス・ベンツは、1954年のF1に挑戦することを決めました。エンジンの開発コードナンバーW196。このユニットは通称「300SLR」と呼ばれるスポーツカー選手権用のマシンW196Sにも搭載されました。それと同時に1955年のモータースポーツシーズン用の高速レーシングカー・トランスポーターをワンオフで製造したのです。その名前は「ブルーワンダー」。じつはこの高速レーシングカー・トランスポーターには、初めてガルウィングドアを採用した300SL(W198型)と同じ3L直6エンジンが搭載されていたのです。
GPレース復活のために考案された速い積載車開発
1952年、ダイムラー・ベンツ取締役会は2年後の1954年にGPレースに復帰すると決定した。1952年にすでに大成功を納めた同社のレーシング部門は社内でW196と命名されたGPカーの計画に着手。これと並行して、サーキットで整備や修理を行うためのワークショップを装備し、レーシングカーを高速輸送するためのトラックを製造することが不可欠となった。
レース監督であるアルフレッド・ノイバウアーは、レーシングカーの高速輸送車のアイデアをテスト部門の熟練エンジニアであるHägele(ヘーゲレ)に託し、最後に励ましの言葉は「何か良いものを作れ!」であった。
高速レーシングカー・トランスポーターに要求されたことは「GPカーや300SLR/W196Sを積載した場合でも非常に速く走る」と明快であった。そのためには十分なパワーと同等の強力なブレーキが必要であった。エンジニアのヘーゲレは最終的に、高級2ドア300S(W188型)のX字型チューブラーフレーム、300SLガルウィング(W198型)の高性能エンジン、そして「ポントン」こと180(W120型)のボディパーツを組み合わせることを開発部長のルドルフ・ウーレンハウトに提案。ゴーサインが出されテスト部門で製作作業に着手する。
職人技とマシン搭載への追求から作られた未来的なデザイン
高速レーシングカー・トランスポーターの開発者たちは外観と技術的な完璧さの両面において、じつにユニークなクルマを生み出した。
フロントアクスルの前方にキャブは配置し、道路を覆い被さるように突き出していた。従来の商用車のような運転席と荷台の間には仕切りがなく、トランスポーターの本体は単一の金型から鋳造された。高級2ドア300S/W188のX字型チューブラーフレームは前後に延長され、メルセデス・ベンツのレーシングカーを搭載できる十分なスペースを確保。300SLガルウィング(W198型)のエンジンはフロントアクスルのすぐ上に、つまり運転席後部に搭載された。
エンジンは300SLガルウィング(W198)の直噴3L直列6気筒であったが、過酷な移動作業を考慮してオリジナルの215ps/5800rpmから192ps/5500rpmに抑えられ、25.8kgf/4700rpmの高トルクにより、160~170kmの最高速度を容易に達成した。リアフェンダーには誇らしげに「最高速度105m.p.h.(約170km/h)」とペイント。当時としてはかなりハイスピードだったといえる。
ボディパーツの多くは「ポントン」こと180(W120型)から流用。フロントエンドは急角度なデザインだが丸みを帯びており、中央にメルセデス・ベンツのスターが付いたラジエータグリルは当時の市販スポーツカーSLを彷彿とさせている。特筆すべきはキャビン後方の2層に湾曲したリアウインドウ。ガラス職人の誇り高き功績を物語っている。この形状が実現できたため、300SLR(W196S型)およびF1マシン(W196R型)のフロントノーズが、まるで手袋に指を差し入れるようにぴったりと納まった。リアエンドのデザインは、300SLR(W196S型)をイメージさせる(リアライトと方向指示器)。ちなみにドアにはRennabteilung(レース部門)とペイントされている。
高級車レベルの内装などトラックとは一線を画した積載車
1955年当時、メルセデス・ベンツのモータースポーツファンたちは、この高速レーシングカー・トランスポーターに歓喜した。従来のトラックをベースにしたレーシングカー・トランスポーターとは対照的に、このワンオフの高速レーシングカー・トランスポーターは、そのユニークな外観、エレガンス、スピードで群を抜いていた。そしてメルセデス・ベンツのサービス車両の典型的なブルーの塗装と相まって、すぐに「ブルーワンダー」というニックネームが付けられた。
インテリアは長距離の快適さを考慮して設計されている。当時のレーシングカーやスポーツカーに使われていたブルーチェック模様の生地がシートや背もたれ、ドアパネルに採用された。ダッシュボードはレザーでトリミングされ、センタートンネルはファブリックで縁取られている。大型のステアリングホイールの後ろには、レブカウンターとスピードメーターが配置されている。スピードメーターの最高速度は140km/hと刻まれていた。
機能性を重視した作り込みとデザイン性が融合
フロントフェンダーとリアフェンダーは後方に向かって優雅に伸び、空気力学的に効率がよい方法でホイールを包みこんでいる。フロントフェンダーとリアフェンダーは、荷台に流れ込む内側に湾曲したパネルで連結。アクスル間の窪みには、両側にスペアホイールが1本ずつ収納され、斜めに固定されているため素早く取り出すことが可能。非常に巧妙なアイデアとして、スペアホイールのハブキャップに固定用の三脚でしっかりと取りつけられていた。
また、リフトのような機械的な補助装置がない代わりに、このブルーワンダーのホイールのガイドの間に4本の軽量アクセスレールを収納している。地面に降ろす2本のレールを荷台の2本に連結することで、レーシングカーは地上から荷台へのアクセスを可能とする。荷台に固定されたU字型レールによって、レーシングカーは輸送中でもしっかりと固定できるようになっている。
ちなみにホイールベースは3050mm、全長6750mm✕全幅2000mm、全高はわずか1750mmと、ダイナミックなスタイルは「突き進む」魅力を持ち、停車中でも速そうに見える車両であった。
退職したスタッフは次の様に語っている。「私達レーシング部門にとって、この車両は正に恵でした。レーシングカーのセットアップや最後の変更をより慎重に、より少ないプレシャーで完了するために、数時間多く過ごすことができました。同様に損傷した車両や欠陥のある車両はより早く工場に返却し、慎重に多くの時間をかけることができました。レースの後は毎回、車両は分解され、点検され、欠陥部品は交換、修理、または改造され、それぞれのドライバーに合わせて調整されました」と、サーキットから工場までの移動時間が駿足ブルーワンダーによって短縮され、その分、マシンのメンテナンス時間の余裕ができたことを歓迎したわけだ。
ベンツ博物館で展示保管されるはずがまさかの廃車
このブルーワンダーは1954年半ばから、ダイムラー・ベンツが再びレースから撤退した1955年秋まで、ヨーロッパの道路や高速道路でも注目の的だった。パドックでもスターとなり、レーシングカーよりも多くの観客を集めることが多かった。300SLR/W196Sとこのブルーワンダーは大西洋を越えて輸送され、すべての展示会で大きな感動を巻き起こした。
1957年後半、このブルーワンダーが故郷に戻ってきたとき人々は驚いた。少し傷んでいたものの、全体的には良好な状態だったのだ。そして魅力的なブルーワンダーは300SLR(W196S型)とともに、メルセデス・ベンツ博物館が最後の安息地となるはずだった。ところが、この2台の組み合わせは老巧化している古い博物館の床には重すぎて、展示することができなくなってしまったのである。こうして誇り高きブルーワンダーは修理不能になるまでテスト部門で使用され、最終的に1967年12月にルドルフ・ウーレンハウト(当時は技術顧問)の承認で廃車され、世界に1台の高速レーシングカー・トランスポーターはその姿を消すことになった。
図面や資料はなくても情熱と努力でブルーワンダーレプリカを製作
その後、レプリカとしてブルーワンダーを復活させる計画がメルセデス・ベンツ社内で立ち上がる。ところがメルセデス・ベンツのモータースポーツ史の証人であるこのブルーワンダーに関する図面や文書は、ワンオフゆえほとんど存在しなかったのだ。それゆえこのレプリカ計画は、かつてのブルーワンダーを産み出す以上の労力と時間が必要となったのである。レプリカ製作作業は、徹底的な社内調査を行い、わずかな手がかりをひとつずつ綿密かつ詳細にまとめていくことになった。
このようにしてダイムラー・ベンツ社の復元プロジェクトは、7年間を費やして2001年に無事に完了。メルセデス・ベンツ・クラシック・アーカイブとして貴重でユニークなブルーワンダーが蘇った。
ただ安全性の理由から、オリジナルから小さな変更が承認されている。たとえばプロペラシャフトとデファレンシャルの間のディスクブレーキは廃されている、また前輪のドラムブレーキは、1989年式SLのディスクブレーキシステムに変更されている。しかし、エンジン出力、アクスル構成、トランスミッション間隔、外寸法、布張りバケットシート、タコメーターの位置、アクセスレールの寸法など、その他の技術データと特徴はすべてオリジナルを正確に再現された。
レプリカが披露されたとき、オリジナルの車両を知る人物は「これが戻ってきて本当に素晴らしい」といった。彼らの声からは、長い間恋しかったものが再び帰ってきたことを嬉しく思っていることがひしひしと伝わってきたという。現メルセデス・ベンツミージアムのコレクションルームのギャラリーで、再び「ブルーワンダー」と出会うことができる。
オリジナルブルーワンダー・テクニカルデーター
<パワーユニット>
水冷直列6気筒 直噴エンジン
排気量:2998cc
ボアxストロ-ク:85x88mm
最大出力:192ps/5500rpm
最大トルク:25.8mkg/4700rpm
圧縮比:8.3:1
電気システム:12V
燃費:25L/100km
<パワートレイン>
クラッチ:ダイムラー・ベンツ製単板乾式
ミッション:インボリュートプロファイル付きフルシンクロナイズド4速トランスミッション(変速比:1速3.44、2速2.29、3速1.53、4速1.0、後進4.69)
駆動方式:ハイポイドギア付きリアアクスル・後輪駆動<足まわり>
フロントアクスル:ウィッシュボーンとコイルスプリング
リアアクスル:キャリア用の低く独立したピボットポイントを備えたリアスイングアクスル
トーションバースタビライザー
ブレーキブースター付き4ドラムブレーキ
プロペラシャフトディスクブレーキ
ホイール:5.5K✕15
タイヤサイズ:7.60×15<ボディサイズほか>
ボディサイズ:全長6750mm✕全幅2000mm✕全高1750mm
ホイールベース:3050mm
フロントトレッド:1.480mm
リアトレッド:1.525mm
車重:1865kg(乾燥重量)/総重量2100kg(走行準備完了時)
燃料タンク容量:160L
最高速度:約170km/h
