稀少な水陸両用車「アンフィカー770」が
体現する「あなたに必要な人生の余白」!?
2026年、クラシックカー界で注目を集める事業「ランデブー」を率いる浅岡亮太氏。彼が今、もっとも情熱を注ぐのが水陸両用車「アンフィカー770」です。ナチス時代の技術者が戦後に執念で完成させたこのモデルは、水上を7ノット、陸上を70マイルで駆け抜けます。なぜ今、この稀少なクルマが「人生の余白」に必要なのでしょうか。 歴史から特殊な構造、最新のオークション事情まで、その深い魅力を紐解きます。
共同所有サービス「ランデブー」は
埃まみれのポルシェ再生がスタート
いきなり話は横道にそれてしまうが、確か3年ほど前、今やクラシックカーの一大イベントに成長したオートモビルカウンシルに、1台の埃まみれのポルシェ930が展示されていた。なんでも、クルマを共同所有するという新サービスを始めた、浅岡亮太氏が展示したモデル。お話を聞いて「面白いサービスだなぁ……」程度にしか思っていなかったのだが、その反響はすさまじく、今や関東圏に3拠点を構え、さらに4拠点目が間もなく稼働するという。これ、事業を立ち上げてわずか1年少々でのことである。
浅岡氏自身は「自分は目利きではない」と謙遜するが、最初に射止めたポルシェ930ターボは、日本上陸第1号という希少性の高いモデルだったし、もちろんそれをレストアしようという話が事の発端だったようなので、どうしてどうして、大変な目利きでもあるわけで、その素地は、お母様が今も経営されているイタフラ車専門のショップで、よいもの(価値のあるもの)を見てきたからに他ならないと思う。
そもそもランデブーという事業は、今や高くてなかなか手が出せないような新旧の名車を、共同所有することで、そのハードルを低め、さらに何よりも人生の余白を楽しむためのものだという。「人生の余白」……うまいことを考えたなぁと思ったものだが、浅岡氏自身多趣味で、本来なら自動車にこだわる必要もなかったはずだが、そんな彼がころっと参ってしまったのが、アンフィカー770というかなり珍しいクルマである。このクルマは2026年のオートサロンに展示されて、それなりの反響を得たからご存じの読者も多いと思う。
アンフィカーで湖に浮かびながらのんびり
バスフィッシングする姿こそ「人生の余白」!?
民需用の水陸両用車としては世界初のモデル。1961年に生産が始まり、1968年までに3878台が生産されたとされる。このうち実に3046台はアメリカに渡ったから、市場的にはほぼアメリカということになる。
水上を走れるわけだから、浅岡さんはこのクルマの上でバスフィッシングをしたいそうだ。湖あたりにこの恰好のクルマが浮いていて、そこでバス釣りをしている人を見かけたら、周りは何と思うだろう? これが人生の余白だと、浅岡さんは言う。
そういえば、アメリカでは第36代大統領であったリンドン・ジョンソンがアンフィカーのオーナーで、知人を乗せて「ブレーキが利かない!」と言ってクルマを入水させて、同乗者を驚かせるのを楽しみにしていたそうだ。このイタズラこそが、多忙を極める大統領の「人生の余白」だったのかもしれない。
激動の歴史の中で翻弄されながら
執念が生んだ水陸両用車の開発
アンフィカーの開発者は、ドイツ人のハンス・トリッペル。第2次世界大戦前にはレーシングドライバーとしても活躍したそうだから、クルマ好きではあったのだろう。しかしそれ以前から彼が興味を示していたのがいわゆる水陸両用車で、1932年には最初の水陸両用車を完成させている。翌年には、初の水陸両用オフロード車も完成させたそうだ。
1930年からトリッペルは、当時のSA( Sturmabteilung/突撃隊)に所属し、1936年にはベルリンに招待され、総統官邸のなか庭で、アドルフ・ヒトラーに自ら製作した水陸両用車を見せている。ヒトラーはこれに対し、トリッペルに開発助成金として1万ライヒマルクを与えている。資金を得た彼は、最初に開発したSG6と呼ばれるモデルよりも大型の、16人乗り水陸両用車を20台国防軍に納入した。
第2次世界大戦開戦時から、トリッペルは水陸両用車の研究開発に没頭していた。そして1940年に彼はモルスアイムの元ブガッティの工場長に就任、1941年にはこの工場がトリッペル・ヴェルケとして設立され、およそ200台のトリッペル開発の水陸両用車がここで生産されたとされている。
戦後はナチスに加担した罪で投獄され、5年の刑を受けるものの、恩赦を受けて3年で解放された。彼の水陸両用車に対する情熱はまったく失われておらず、その後も複数のモデルを開発するものの、いずれも失敗に終わっている。転機となったのは1958年に彼が新たな会社ユーロカーGmbHを設立し、アリゲーターという名の水陸両用車を発表した際に、旧知だったハラルド・クヴァントと再会したことである。
ハラルド・クヴァントはもちろんBMW再興の原動力となった、クヴァント家の長男である。クヴァントはトリッペルに新たなモデルの開発を促し、クヴァント家が管理をしていた元軍需工場を使用して新たなモデル、アンフィカー770の生産を行うのである。
水上7ノットと陸上70マイルを両立
アンフィカーのユニークな特殊構造
生産は車体とシェルに分けて行われ、車体はベルリンで。シェルの方はリューベックで行われた。シェルがリューベックで行われた痕跡は、ステアリングのホーンに描かれたリューベック旧市街入り口に立つ、ホルステン門のエンブレムから知ることができる。
ボディはオールスティール製で、下部は1.5mm厚の板金で密閉されたタブとして形成されている。すべての部品は溶接され、落下や緩みのないよう対策されている。水上走行の場合、ドアは内側から通常のドアハンドルとは別の、第2のハンドルでさらにロックされ、ドアシールがより強く圧着されることにより、水の浸入を防ぐ。
アクスルシャフトから浸入する可能性のある水を汲み出すため、ビルジポンプがエンジンルームに標準装備されているのも特徴だろう。その排水のため、リアエンド右側には排水溝も装備されている。
エンジンはなぜかイギリスのトライアンフ・ヘラルド用1.2L・4気筒が使われ、トランスミッションは通常の4速と、水上走行用の2速を組み合わせたユニークなもので、イタリアのヘルメス(Hermes)というメーカーが作ったものだ。コントロールは別々で、フロアには二つのシフトレバーがある。大半がアメリカに渡ったアンフィカーだが、1961年にニューヨークショーで初出品され、大きな反響を呼んだ。販売も順調だったが、アメリカの環境基準が変更され、1968年以降アメリカでの販売ができなくなることを受けて、幕を閉じるのである。
ちなみにアンフィカー770という名称は、水上を7ノット(およそ時速13キロ)で航行し、陸上では70マイル(およそ時速112キロ)で走る能力を意味する名称である。
アンフィカー770の生産は実質的に1963年で終了。1965年までに2万5000台の販売を見込んで大量に生産したため、膨大な在庫を抱えたことも倒産の一因であった。売れ残ったパーツを使って最後の新車が組み立てられたのは、1965年。それでも残ったパーツは、すべてカリフォルニアのヒュー・ゴードンという人物に買い取られたという。
また、大半は左ハンドル仕様だが、イギリス向けに97台だけ右ハンドル車が生産され、2025年にはその希少な右ハンドル車両が、RMサザビーズのオークションに出品されている。その際の落札価格は9万3500ドル(2026年2月中旬のレート:1ドル153円換算/1432万円)だった。
