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モナコの競売で約4338万円を記録! フォード「シエラRSコスワース」がグループA時代の興奮を蘇らせる

23万5750ユーロ(邦貨換算約4338万円)で落札されたフォード「シエラRS500コスワース」(C)Bonhams

かつての絶対王者がモナコ競売で復活! 激闘の歴史を刻んだウルフ・レーシングのDTM戦闘マシン

ここ数年、クラシックカーのオークションが世界的な盛り上がりを見せているの周知の通り。2026年4月にモナコで開催された競売では、グループA時代の絶対王者であるフォード「シエラRS500コスワース」のレーシングマシンが出品された。元DTMドライバーの名手たちがステアリングを握り、全損事故からの復活劇を遂げた劇的なヒストリーを持つ1989年式のレーシングカーそのものだ。今回はこの貴重な1台について、当時の波乱万丈な競技歴から約4338万円の高額で落札されるまでの経緯を追ってみたい。

グループAの絶対王者として君臨したエヴォリューションモデル

英国の公共放送であるBBCは、1980年代から「ブリティッシュ・ツーリングカー選手権(BTCC)」を全戦放映した。これにより、グループAサルーンカーレースの迫力が全国の家庭に届けられたのである。

1980年代後半には、スティーヴ・ライダーや高名な解説者であるマレー・ウォーカーといった司会者たちがシリーズの知名度を高めた。精度、迫力ともに一級品のレース展開に、ジョン・クレランドやスティーヴ・ソーパー、ティム・ハーヴェイら当時のドライバーたちは時代のスター的存在となった。

この時期までに、フォード シエラRS500コスワースはグループA時代の絶対王者としての地位を確立していた。欧州フォードのターボツーリングカー・プログラムは、「シエラRSコスワース」から始まった。その究極の進化形として開発されたのがRS500である。

まずはFIA(国際自動車連盟)のグループA規定に準拠するため、5000台のシエラRSコスワースを生産。その後、同じくグループAの「スポーツエヴォリューション(ES)」規定に基づいてさらなるチューニングの可能性を組み入れ、500台が限定生産されたエヴォリューション(進化版)モデルだ。

エンジンは、シエラRSコスワースの「コスワースYBD」をベースとしている。そこに燃料噴射装置のツインインジェクター化や、ターボチャージャーの大型化などのチューニングが施された。ホモロゲーション(独自の車両公認)用に500台が市販されたロードバージョンでも、最高出力はベース車の204psを大幅に上回る227psを発生する。駆動系が強化されたうえに、リアスポイラーをツイン(2段構え)としたことで、ダウンフォース(車体を路面に押し付ける力)も大幅に増加した。

圧倒的なストレートスピードと継続的な改良を兼ね備えたRS500。トップチームや熟練ドライバーの手にかかれば、事実上無敵の存在であることを証明したのだ。

第一線での競技キャリアを終えたあと、多くのRS500は引退した。コレクションとして保存されるか、あるいは一般公開されることとなり、ツーリングカー史におけるその重要性を反映した。その後、ごく一部の車両がヒストリックデモンストレーションやイベントのために再び姿を現している。たとえば英国の「グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピード」への出場を含め、過ぎ去った時代の光景とターボサウンドを現代に伝えている。

フォード シエラRS500コスワースは、同世代のグループAツーリングカーのなかでも、もっとも重要な1台として評価されている。とくに当時の出自、オリジナル性、あるいは記録に残る競技歴を強く保持している個体は歴史的にも重要視されている。

さらに、アルミン・ハーネのような往年の名ドライバーと関わりのある車両は特別な存在だ。グループA時代の終焉期のノスタルジーを誘う「本物の1台」を求めるコレクターにとって超レアであり、きわめて魅力的なヤングタイマーレーサーと認知されているのだ。

全損事故からの劇的な復活劇とチェコでの第二のレーシングキャリア

このほどボナムズ社の「MONACO」セールに出品された個体は、もともとグループA規定に即したレーシング仕様として製作されたものだ。ドイツのDTM選手権におけるフォードの公式レーシングチームのひとつ「ウルフ・レーシング」に供給された1台である。フォードおよびシエラコスワースが同選手権に参戦した最後のシーズンにあたる1989年当時、実際にDTMのレースを戦っていた。

1989年のシーズン終了後、レギュレーションの変更によりRS500の輝かしいレースキャリアは事実上閉ざされた。その多くは日本の「全日本ツーリングカー選手権(JTC)」やオーストラリアの選手権などに活躍の場を移していく。しかし、今回ご紹介するRS500は例外だった。

この時代、RS500をトップカテゴリーで駆ったドライバーの1人に、アルミン・ハーネがいた。彼はツーリングカーと耐久レースの両方で国際的な活躍を見せたドイツ人ドライバーである。「スパ・フランコルシャン24時間レース(ベルギー)」で1982年と1983年に2連覇を達成し、日本のJTCや全日本GT選手権(現スーパーGT)にもスポット参戦歴がある。

また、実兄であるフーベルト・ハーネと同様、BMWとの長きにわたる蜜月関係でもよく知られている。だがこの時期には強豪シエラRS500コスワースを含むさまざまなグループAマシンとともに参戦し、その卓越した適応力をいかんなく発揮していた。

このRS500は、1989年4月にニュルブルクリンクで重大な事故に遭うまで、アルミン・ハーネのドライブに委ねられていた。クラウス・ルートヴィヒのメルセデス・ベンツ「190E2.5-16」が高速コーナーでスピン、ブラインドコーナー先で反対方向を向いていたベンツと正面衝突したこのアクシデントで車両は全損し、ハーネも重傷を負ってしまう。

しかしこのマシンは、ライバルチームである「エッゲンベルガー(1987年富士インターTECは全日本ツーリングカーレース最終戦と世界ツーリングカー選手権の最終戦を共同で開催。その時、黒いTEXACOカラーをまとっていたのがシエラRS500コスワースで、圧倒的スピードで予選・決勝ともに圧勝)」からウルフ・レーシングが購入した新品のボディシェルを用いて、コンポーネントが組み替えられた。精度高く組み直されたマシンは、アラン・フェルテをドライバーに据え、シーズン終了まで走り続けたのである。アルミン・ハーネがこのマシンを再びドライブしたのは、1989年秋のニュルブルクリンクでの最終戦のみに終わった。

DTMの檜舞台から退役したのち、このシエラRS500は1991年にチェコ共和国の「シャロウズ・チーム」へと売却された。ヨゼフ・ミヒルやヨゼフ・ヴェンツをはじめとする国内外のドライバーがステアリングを握り、「ヨーロッパ・ヒルクライム選手権」にて2シーズンにわたって活躍する。

その後、プラハ近郊の町ラーニにある「シャロウズ・レーシングカー・ミュージアム」に長らく展示されたあと、英国へ売却された。そして2015年からは、DTM時代のカラーリバリー(カラーリング)に戻され、今回のオークション出品者でもある現オーナーのコレクションの一部として所蔵されている。

「シエラRS500コスワース」が魅せた圧倒的速さに度肝を抜かれた日産チーム

ボナムズ社はこのシエラRS500コスワースDTMについて、現オーナーと協議を実施。22万5000ユーロ〜27万5000ユーロ(邦貨換算約4140万円〜5060万円)というエスティメート(推定落札価格)を設定した。

オテル・フェアモントでの白熱したオークションでは、次々と価格が高騰しついには23万5750ユーロで落札された。2026年6月8日現在の為替レートで日本円に換算すれば約4338万円というなかなかの高価格で、競売人のハンマーが力強く鳴らされたのである。

1987年に開催されたグループAレース最終戦、富士インターTECでTEXACOカラーのシエラRS500が叩き出したポールポジションタイムは1分36秒981という驚異的タイムだった。この時、デビューレースとなった日産スカイラインGTS-Rを駆った星野一義のタイムが1分38秒069(予選5番手)。この世界との1秒以上あるタイム差に愕然とした日産が、「R32GT-Rの開発に邁進」したのはいうまでもない。このシエラRS500コスワースがなければ、第二世代の「GT-R神話」も恐らくなかったのである。

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