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1960年代の金型とシャシーで完全復刻! MSOが手がけたマクラーレン初の幻の公道モデル「M6GT」とグッドウッドの深い関係

マクラーレン M6GT:ワイドなリアタイヤとディヘドラルドアの組み合わせが放つ圧倒的なスーパーカーのオーラ

当時のレーシングシャシーを復元! マクラーレン初の公道モデルが56年ぶりに蘇る

2026年7月6日、マクラーレンの特別部門であるMSO(マクラーレン・スペシャル・オペレーションズ)が、マクラーレン初の公道モデル構想「M6GT」のワンオフ復刻車両を発表した。7月にイギリスで開催されるグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピード(FOS)でワールドプレミアを飾る。創業者ブルース・マクラーレンが愛用したプロトタイプを、本物のレーシングシャシーを活用して現代に蘇らせた個体だ。当時の製法を忠実に再現した究極の復元プロジェクトの内容とそのディテールを調査した。

創業者ブルース・マクラーレンが愛用した初の公道モデルの成り立ちを振り返る

「M6GT」は、もともと「M6A」レーシングプログラムから派生した、マクラーレン初の公道向けモデル構想だ。ブルース・マクラーレン自身が最初のプロトタイプを日常の足として愛用していた。

マクラーレンM6AがCan-Am(カンナム)シリーズでワークスカー(メーカー直系チーム)として圧倒的な大活躍をみせたのは、1967年だこの年はモータースポーツの歴史において、伝説的な「マクラーレン黄金時代」の幕開けとなった年となった。全6戦で闘われたシリーズで、なんとマクラーレンが5勝を挙げて圧倒的な速さを見せた。しかも創設者であるブルース・マクラーレンが2勝、もう一台に乗るデニス・ハルムが3勝を挙げたもののチャンピオンは、僅差でブルース・マクラーレンが獲得した。

彼はル・マン24時間レースでの勝利を見据え、グループ4規定を満たすためにこのM6GTの市販化を企画していた。しかし、グループ4ホモロゲーション(FIA公認)の度重なる変更(年間生産台数は1969年に50台から25台に、70年にはクラス再定義となり25台から一気に500台へ移行)に翻弄されただけでなく、1970年の彼の早すぎる死により、プロジェクトはわずか数台の生産で頓挫してしまう。それゆえに熱狂的なマニアの間では「未完の公道モデル」として語り継がれてきた。彼の「レースカーを公道へ」という野心的な夢が、後年の名車「マクラーレンF1」として完全に結実するまでには、ここからさらに25年もの歳月を要している。

今回MSOが手がけたモデルは、単なる外観を似せたレプリカではない。ベースとなるシャシーには、当時の膨大な資料と照合された本物のM6Aレーシングカーの骨格がそのまま使用されている。レース界を席巻したオリジナルのDNAを色濃く受け継ぐ、正真正銘の復元プロジェクトなのだ。

最新のデジタル技術と当時の金型を用いてワンオフで完璧に復元するM6GT

製作にあたり、MSOのチームは現代の最新デジタル技術と、当時のアナログな製法を見事に融合させた。ボディワークの成型には当時の金型をそのまま用いており、美しくも空力的な流線型のフォルムを寸分違わず再現している。

エクステリアを彩るのは、初期のF1マシンである「M2B」を彷彿とさせるコルンブルック・ホワイトのボディカラーだ。「M2B」マシンの車体中央を貫く鮮やかなグリーンのストライプは、内装部分で表現されている。シートのカスタムビニールレザーやステッチなどに温かみあるグリーンがあしらわれており、当時のM2Bの「白い車体にグリーンストライプ」のイメージは、今回のM6GTでは「外装と内装のコントラスト」という形で再解釈している。

特筆すべきは、シャシーの組み立て工程である。作業には航空宇宙産業で活躍する熟練の職人が特別に招集された。彼らが手作業で丹念に打ち込んだアルミニウム製リベットの数々が、当時のレーシングカーが放っていた武骨なオーラと圧倒的な剛性感を現代の路上へ呼び戻している。

新型Can-Amカーのテスト中にグッドウッドで事故死したブルース因縁の地で、M6GTお披露目の粋な理由とは……

ミッドシップに搭載されるパワーユニットは、ラクダのコブのような形状を持つ「キャメルハンプ仕様」のシリンダーヘッドを備えた、スモールブロックのV型8気筒エンジンである。当時のスペックに厳密に準じた吸排気レイアウトが採用されており、背後から轟くメカニカルなサウンドがドライバーの五感をダイレクトに刺激する。

インテリアの仕立てにも一切の妥協はない。シートやダッシュボードには深みのあるグリーンステッチが手作業で施され、手のひらにしっとりと馴染む特注のウォールナット製シフトノブが、スパルタンなコックピットに温かみを与えている。プロジェクトを担当したマクラーレンのMSO部門は言う。

「我々は過去の遺産をただ静かに展示するのではなく、実際に走る芸術品として再構築したかったのです」

最新のハイパーカーがどれほど驚異的な空力性能やラップタイムを叩き出そうとも、この時代にしか生み出せなかった剥き出しの熱気とオーラは決して色褪せることはない。当時の製法と本物のシャシーを用いて生み出されたこのワンオフモデルは、自動車史の貴重な1ページを未来へ残すタイムカプセルかもしれない。

とはいえ、このプロジェクトは「単なるグッドウッドのヒルクライムコースを全開で駆け抜ける」発表の場だけではないことも知っておきたい。実はブルース・マクラーレンが32歳という若さで、新型Can-Amマシンのテスト中に不慮の事故で命を落としたのが、1970年6月2日の「グッドウッド・サーキット」だったのだ。それから56年という時を経た2026年7月、彼が愛し、量産を夢見ながらも彼の死によって凍結された「M6GT」が、まさにその目と鼻の先で開催される「グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピード」で世界初公開されるのだ。

ブルースが旅立ったその場所へ、彼がやり残した「最後の夢の結晶」を完璧な形にして持ち帰る。これはマクラーレンというブランドから、偉大な創設者への時を超えた「約束の履行」である。創業者が蒔いた「公道を走るレーシングカー」という種が、半世紀後にどれほど巨大な大樹(ハイパーカーメーカー)に育ったのかを証明するような、自動車史に残る劇的なお披露目となる。だからこそ実際に「M6GT」が丘を駆け上がる姿は、集まった多くの愛好家と関係者の脳裏に深く焼き付くはずである。

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