イベントに登場する真正GT40は極めて稀少
映画『フォードvsフェラーリ』にも登場したフォード「GT40」は、1960年代のレースで常勝だったフェラーリを破るためにフォードが開発したレーシングカーです。限りなくホンモノに準じたレプリカも多いなか、今回紹介するモデルはファクトリーから送り出された稀少な1台でした。
GT40コンペティションシャシーは約100台ある
フォード「GT40」。クルマ好きなら1度は耳にしたことある1960年代のレーシングシーンを沸かせた名車である。フォードがスポーツプロトタイプを作るにあたり、フェラーリを買収しようとしたという話は有名であるが、ローラ GTをベースにフォードがこのクルマを完成させた1964年当時は、中々勝利を得ることができなかった。
しかし、熟成が進むにつれてその実力を発揮。大改造されて進化したMk IVを含めれば、1966年から1969年まで4年連続でル・マン24時間を制したサクセス・ストーリーを持つモデルである。
GT40の生産台数は改良型Jで始まるシャシーナンバーや、ロードカーとして生を受けたM3で始まるシャシーナンバーなどを含めると、総計133台がカウントされている。この中にはミラージュが作った軽量シャシーや、ガルフオイルが製作した軽量シャシーなども含まれる。
しかもこの中には一旦刻印されたシャシーナンバーから転用されて別のナンバーで作り直されたクルマなども含まれているため、実際には正確に何台が製造されたかその数を割り出すのは難しい。ただ、GT101から始まる最初の12台はプロトタイプであり、その後の4桁のP1000から始まるGT40が、正式なコンペティションカーとして市販もされたシャシーであり、そのナンバーを持つモデルは93台。まあ、100台弱と言ったところが正しいGT40コンペティションシャシーの数値のようである。
この真正GT40のシャシーナンバーを持つ、いわゆる本物のフォードGT40が、日本には少なくとも2台棲息する。このうちの1台、#1035が今回オートモビルカウンシルに姿を現した。
1980年代に日本に輸入された
このクルマは元々コンペティションモデルとして生産されたもので、シェル石油の広告キャンペーンに使われた後、個人オーナーに渡り、長くイギリス国内に存在していた。そしてこの時代のコンペティションカーからロードユースのモデルに仕様変更され、ボラーニのワイヤーホイールを履くなど、ロードバーションらしい出で立ちに変わっている。当時このクルマを所有していたのは、ナイジェル・ドースなる人物。この御仁、フォードGTのオーナーとしてよりも、フェラーリのコレクターとしての名声の方が大きいようだ。
その後このクルマは1度アメリカに渡り、そこから日本にやってきた。1980年代のことと推測される。このクルマにレース歴は確認されていない。日本にやってきた頃は比較的濃いめのブルー(濃紺)に塗られていたが、その後に現在のカラーリングとなり今に至っている。インテリアなどは全く手を入れられていないようで、通気口の付いたレーシングバケットはだいぶやれてはいるものの、それが余計にオリジナルを印象付けていた。また、ドアヒンジの下の部分にシャシー番号1035を確認することができた。
オートモビルカウンシルにはハリブランドのホイールを履かせて展示されていたが、オーナー曰く、元々履いていたボラーニのワイヤーホイールのレストアが間に合わずに、ハリブランドを履かせたとのことで、ちゃんとボラーニのワイヤーホイールもお持ちだとか。
日本国内ではイベントなどでも多くのGT40を見かけることがあるが、ほとんどはレプリカもしくはそれに準ずるモデルであって、このクルマのようにちゃんとシャシーナンバーが確認できる真正GT40は極めて稀少なのである。
