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優勝歴を持つアバルト「500R3T」の本格ラリーマシン!引退後「チンクエチェント博物館」が所蔵していたがもっとも相応しいオーナーの元へ

アバルト500 R3T:4灯のライトポットは標準で付属する

全日本ラリー選手権で優勝歴を持つアバルト500R3T

2007年に復活を遂げたアバルト。これまでのスピリットを受け継ぎ、2008年にはワンメイクレース用車両の「500アセットコルセ」を製作しました。その勢いは止まらず、かつて参戦していたラリーにも挑みます。今回は、日本でのコンペティションヒストリーを持つ稀有な1台、アバルト「500R3T」と、オーナーの“ケンケンさん”を紹介します。

スーパー耐久レースや全日本ラリーに参戦

アバルト500R3Tは、「アバルト500」およびワンメイクレース仕様の「アバルト500アセットコルセ」をベースに、FIA「R3T」レギュレーション対応の専用チューンを施したメーカー純正のラリーマシン。「R」規定の「R3T」は当時における事実上の2WDラリー車のトップカテゴリーにあたり、6速シーケンシャル式トランスミッションや専用の足まわりなどを装備。一見したところでは量産型アバルト500/595/695と大差ないように見えるが、その実は真のラリー専用車だった。

エンジンは、500アセットコルセに近い1368cc直列4気筒DOHC16Vターボで、180psの最高出力をマーク。2010年にFIAのホモロゲーションを取得し、主に「IRC(現ERC=ヨーロッパラリー選手権)」やイタリア国内選手権に参戦してきた。

そして2014年シーズンからは、愛知県名古屋市で古き良きフィアット500を中心にコレクションするプライベート博物館「チンクエチェント博物館(Museo Cinquecento)」が興したレーシングチーム「mCrt(Museo Cinquecento Racing Team)」によって、JAF全日本ラリー選手権に参戦が決定。当時の日本ではR規定が承認されていなかったため、全日本ラリーへの参加はオープンクラスでのエントリーとはなったものの、それでも眞貝知志(しんかいともゆき)選手とともに複数のクラス優勝を収める成功を見せた。

現オーナーはチームを支えた縁の下の力持ち

2025年3月20日に富士スピードウェイで開催された「グランプレミオ・スコルピオニッシマ」に500R3Tを持ち込んだオーナーは、かなりお堅い職業についておられるため、顔出し/本名ともNG。でも、日本のアバルト界では、彼の本名を知らずとも「ケンケン」というニックネームはとても有名である。

mCrtが2013年シーズン開幕から「スーパー耐久選手権」にアバルト「500アセットコルセ」および「695アセットコルセ」で正式参戦を図ると、ケンケンさんは完全無償でチームに参画。まさしく「スーパーボランティア」として縦横無尽の活躍を見せた。

その後、全日本ラリー選手権に500R3Tで正式参戦した際には、ここでもボランティアながら「GM(ゼネラルマネージャー)」に就任。極めて優秀な「縁の下の力持ち」として日本各地の全日本ラリーに帯同した。車両・資材の搬送からホスピタリティまで統括し、スポット参戦ながら複数の優勝を獲得する。

当時mCrtの広報担当だった筆者は、全日本ラリーに同行することはなかったが、スーパー耐久は丸々2シーズン完全帯同した。ケンケンさんとはボランティアの同僚として働いたが、準備段階からレース中、あるいはレース後の撤収に至るまでかいがいしく、しかも的確に働く彼は、間違いなくmCrtの要だった。とくにラリーの現場では必要不可欠な存在となり、眞貝選手からの信頼も厚かった。

500R3Tは全日本ラリー選手権から退役したのち、しばらくは「チンクエチェント博物館」が所蔵していたが、ケンケンさんは引き取ることを決意。まさにもっとも相応しいオーナーのもとで、後半生を過ごすことになったのである。

このクルマとの今後について聞いてみたところ、ケンケンさんから返ってきた答えは「現状維持」。でも、あらゆるメインテナンスやリペアも自らの手で行う彼のことだから、きっと将来にわたって「JAF公式戦で優勝歴のある唯一のアバルト」が、これからも大切に維持されてゆくことだろう。

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