ピエール・ヴェイロンとブガッティの不朽の遺産
今なお熱く語り継がれるブガッティ「ヴェイロン16.4」。2000年代初頭に登場したこの名車は1001psの出力を誇るW16クワッドターボエンジンを搭載し、最高速度は400km/h超を実現しました。その技術と情熱を湛えた車名は、伝説的なレーシングドライバーの名前に由来します。その人物はピエール・ヴェイロンと言います。
1939年ル・マンの勝利が示した「安定性、戦略、信頼性」というブガッティの哲学
ピエール・ヴェイロンは1903年、フランスに生まれ、幼少期から分析的な思考と冒険心を併せ持つ人物だった。工学を学びながらモータースポーツの世界へと進んだ。彼の運命を大きく変えたのが、ブガッティ創業者エットーレ・ブガッティとの出会いである。
単なるレーサーとしてではなく、メカニカルな洞察力を高く評価されたヴェイロンは、1932年からテストドライバー兼開発エンジニアとしてブガッティに加わる。このようにして、彼はモルスハイムにあった開発現場とサーキットを結ぶ架け橋となったわけだ。
彼の競技歴は1920年代末に始まり、1930年のジュネーブ・グランプリ1500ccクラスでの勝利で一躍注目を浴びた。その後、タイプ51やタイプ57を駆り、1933年のベルリン・アヴスレネンでのクラス優勝、1936年のグランプリ・ド・ラ・ACFなど数々の栄誉を手にする。
なかでも1939年のル・マン24時間レースで、ジャン=ピエール・ウィミーユと共に駆ったタイプ57Cタンクでの勝利は、ブガッティにとって象徴的な瞬間だった。第二次世界大戦前最後のレースでもあり、安定性、戦略、信頼性を兼ね備えたその勝利は、ブランド哲学そのものを体現したものでもあった。
戦後はレースの第一線を退き家族とエンジニアリングに専念したが、彼の名はその後もブガッティの歴史に深く刻まれることとなる。
2000年代初頭、ブガッティが新たな時代に向けて送り出すハイパーカーにふさわしい名前を探すなかで、「ヴェイロン」が選ばれたのは必然だった。2005年に正式発売されたブガッティ「ヴェイロン 16.4」は、1001PSのW16クワッドターボエンジンを搭載し、最高速度は驚異の407km/hを記録。0-100km/h加速はわずか2.5秒という驚異的な性能を誇った。
このモデルには、数々の革新技術が投入された。ドライバーが状況に応じて車高を調整できるアクティブサスペンションや、空力性能を最大限に高めるための可変リアウイングなどは、当時の量産車としては画期的なものだった。また、高速走行時に発生する熱に対応するため、10基以上のラジエターを搭載するなど、妥協なき設計が施された。
内装もまた、ブガッティ伝統のクラフトマンシップが随所に散見でき、ラグジュアリーとパフォーマンスの両立を高次元で実現している。
ブガッティ・ヴェイロン 16.4は、単なるハイスペックカーではない。ピエール・ヴェイロンが体現した「忠誠」「革新」「精緻さ」といった精神を21世紀に受け継いだ象徴的な存在なのだ。
【AMWノミカタ】
ブガッティ「ヴェイロン 16.4」は2005年に発表され、約1億8000万円という価格は当時の人々を驚かせた。
ヴェイロンという名前も当時初めて聞く単語で少し風変わりな印象を持ったが、ブランドの立役者であるレーサー兼開発エンジニアのピエール・ヴェイロン氏から取られたものだと知ると、大いに納得がいった。後継モデルのシロンも1920~30年代に活躍したモナコ出身の名レーサーであるルイ・シロン氏から由来することからも、このブランドがレーシングヘリテージをとても大事にしているということがわかる。
その後も1920年代にブガッティで活躍したフランス人レーサーであるアルベルト・ディーヴォに由来した「ディーヴォ」や「弾丸」を意味する「ボライド」などもその流れを受け継ぐ。
最新の「トゥールビヨン」の名前は精密な機械式時計である「トゥールビヨン」から取られている。レーシングヘリテージを継承するという方向性からは離れたが、ブガッティの「美」と「完璧な技術力」の追求というブランド哲学の表現に変わりはない。
