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メルセデスの一員「AMGは小さなエンジンチューニングショップだった」

AMG

AMG Rennsport 300 SEL 6.8. basierend auf der Baureihe 109, 1971. AMG Rennsport 300 SEL 6.8. basierend auf der Baureihe 109, 1971.

『AMGメルセデス300 SEL 6.8』の勝利で
名チューナーとして世に名を馳せることに

今でこそメルセデスのサブブランドとして高性能モデルをリリースする「AMG(エー・エム・ジー)」は、1966年の設立間もない頃は二人の設立者が始めた小さなエンジニアリング会社であった。
その二人とは、「AMG」の社名にもある「Aufrecht(アウフレヒト=A)」と「Melcher(メルヒャー=M)」。両者の頭文字に地元である「Grosaspach(グローザスパッハ=G)」を用いたのが「AMG」の社名の起源である。

ハンス・ヴェルナー・アウフレヒトとエバハルト・メルヒャーは、ダイムラー・ベンツ社の開発部門でレース用エンジンの開発に取り組んでいた。
だが、同社は1955年のル・マン24時間レースでの事故をきっかけに、全てのモータースポーツ活動を中止。ちなみにダイムラー・ベンツ社とは、メルセデス・ベンツやメルセデスAMGを開発・販売する現在のダイムラー社の前身である。

企業としてのモータースポーツ参戦はできなかったものの、モータースポーツへの情熱を諦めきれなかった。二人は、プライベートの時間を利用しグローザスパッハにあるアウフレヒトの家(乗馬が行なえる広大な敷地にあった納屋)で独自にエンジン開発を行なっていたのだ。
ここで作られたエンジンを搭載したマシンは、ダイムラーの同僚であったマンフレッドがドライブし、ドイツ・ツーリングカー選手権に出場。プライベーターながら実に10度に渡り勝利を収めることになる。

こうした結果を元に、1966年、アウフレヒトはメルセデスを退社。メルヒャーとともにレーシングエンジンの開発のための設計と、テストを行なうグローザスパッハのエンジニアリング会社(Aufrecht Melcher Grosaspach Ingenieurburo, Konstruktion und Versuch zur Entwicklung von Rennmotoren)を設立。メルセデスのエンジンをチューニングする事業をスタートさせた。

これが今に続く「AMG」のルーツである。

1971年、今もなおアイコンとして有名な『300 SEL』に最高出力428psを誇る6.8リットルV8エンジンを搭載した『AMGメルセデス300 SEL 6.8』が誕生。
AMGはこのマシンでツーリングカーレースに参戦するが、フルサイズ(当時)の重量級高級セダンがレースに打って出るのは実に画期的な出来事だった。軽量なレーシングマシンが幅をきかせる中で大きなマシンは大方の予想を裏切り、1971年のスパ・フランコルシャン24時間レースでクラス優勝を果たし、総合成績でも2位を勝ち取る。
「AMG」のエンジンとボディチューンが世間の常識を覆した瞬間だった。これによって「AMG」の名前は一気に世界中へと広まっていくことになる。

その後、市販モデルの性能では満足できない世界中のリッチな顧客に対し、「AMG」はメルセデスをベースにした高性能モデルをリリース。チューンド・コンプリートカーという言葉を定着させ、多くのモデルをシリーズ化した。
中でも4つのバルブヘッド持つ5リッターV8をEクラスクーペ(C124/当時はミディアムクラスと呼ばれた)に搭載した「AMG 300CE 6.0-4Vハンマーワイドバージョン」は、AMGの存在と名声を不動のものとしたエポックメイキングなモデル。
これは、現在でもAMG象徴的なモデルとして歴史に残る傑作である。

いっぽうレースの世界では、メルセデスのオフィシャルレーシングパートナーとして協力関係を構築。「AMG」は1986年に「German Touring Car Championship (DTM)」に参戦し、1988年から現在に至るまで最も多くの優勝を果たしたマシンとして歴史に名を刻むほか、「AMG」としてコンストラクターズタイトルを14回も勝ち取っている(初年度の1984年から1990年まではコンストラクターズタイトルは未設定)。

いまでこそAMGは、メルセデスの高性能モデルシリーズとして認知されているが、そのルーツとなったのが、1993年に登場したメルセデスとの初の共同開発モデル『C36』である。
それまで独立したチューニングメーカーとして開発や販売などの活動を行なっていた「AMG」は、このモデルの登場によって全世界のメルセデスのネットワークを通じて販売されるようになった。日本の例でいえば、それまでインポーターだったヤナセの子会社のAMGジャパンから、メルセデス・ベンツ日本に輸入権が移管。ヤナセ系以外のメルセデス・ベンツ日本の正規ディーラーでも「C36」が販売されるようになった。

1999年に「AMG」は株式の過半数をダイムラー・クライスラーAG(当時)に譲渡。2005年には、株式の100%を取得して「AMG」は同社の完全子会社となった。
2014年からは、ダイムラー社の戦略に則り、「AMG」はメルセデスのサブブランドとして新たなスタートを切る。そして、正式名称は「メルセデスAMG」となったわけだ。

「メルセデス・ベンツ」が量販モデルを、後にサブブランド化された「メルセデス・マイバッハ」がラグジュアリーモデルをリリースするのに対して、「メルセデスAMG」はこれまでどおり高性能なスポーツモデルのみを開発。
ワンマン・ワンエンジン(ひとりの担当者が最後までひとつのエンジンの組み立てを担当する)のポリシーを掲げた65系、63系のエンジンを搭載するトップシリーズのほか、「AMG」のエントリーモデルともいえるハイブリッドシステムを組み合わせた53系や43系といった新たなラインナップを開発。
その甲斐もあってじわじわとファンを増やしているのである。

 

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