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メーカーが手がけた「隠れキャラ」的改造車! ちょっとマイナーなコンプリートカー5選

ワークスコンプリートカーたち

現在のワークスコンプリートよりもガチな仕様!

 現在はその裾野が広がり、当たり前の存在になりつつある自動車メーカー謹製のコンプリートカーだが、20年前は価格を含めて特別な存在であった。その走りといえるのが日産のファクトリーカスタムを手掛けるオーテック・ジャパンが製作したオーテックバージョンだろう。

 その後、1990年代~2000年代前半までは各メーカー系サブブランドが手掛ける特別なコンプリートカー、メーカーが特別な手法で仕上げたスペシャルマシンが続々登場した。今回はワークス系コンプリートカーが一般化する以前のメーカーチューンドの隠れキャラを紹介する。

M2 1001

 首都圏のブランドシェア強化のために、東京都世田谷区の環状8号線沿いに“マツダ2番目のブランド”として発足した「M2」。エンジニアとユーザーの交流から新たな価値を創造するという革新的な試みが行われていたが、バブル崩壊によるマツダの経営危機によってプロジェクトは終焉。ただ、約5年間の活動のなかで4台のコンプリートカーが商品化され、そのファーストモデルとして1991年末にリリースされたのが「M2 1001」だ。

 初代NAロードスターをベースに「本格的なライトウェイトスポーツ」を目標に開発された1001は当時のマツダの勢いそのままに内外装、メカニズムを含めて妥協なく手が加えられている。パワステ、パワーウインドウ、エアコン(オプション)などの快適装備を取っ払い、1.6Lエンジンはハイコンプピストン、ハイリフトカム、ポート研磨が施された。さらに吸排気はオリジナル品が奢られるなど、徹底的に手が入れられた(出力は120psから130ps、トルクは14.0㎏-mから15.1㎏-mに向上)。

 さらに機械式LSDが投入されるなど、初代ロータス・エランのような走る機能以外を捨て去ったストイック&スパルタンなマシンであった。この刺激的なコンセプトに共感するユーザーは多く、340万円という高額、M2本社で直接手続き、抽選のうえで納車という偏った販売方法であったにもかかわわらず、300台の割り当てに対して約800人が購入を希望した。その後に登場した1002、1028(いずれも初代ロードスターがベース)とともに、今なお人気が高く、中古車マーケットでは高値で取引されている。

マツダ・ロードスターターボ&クーペ

 歴代ロードスターでもっともバリエーションが豊富だった2代目NB型。1.6Lと1.8Lというふたつのエンジンが用意され、後期型の1.8Lは可変バルブタイミング機構を採用。ミッションも1.6Lが5速MT、1.8Lが6速MT(ほかに4速ATあり)と明確に異なる個性が与えられていたのも特徴だった。

 限定車も多かったが、なかでも極めつけはモデル末期の2003年に発表されたクーペとターボ。ともに歴代唯一の存在であり、開発は少量生産技術を得意とするマツダE&Tが担当した。とくにクーペはマツダのラインからプラットフォームを一度抜き取り、マツダE&Tに運ばれてルーフを含むボディパーツを溶接架装。完成後に車体工場へ戻され、塗装し組み立てと通常のラインを流すという複雑な工程だった。

 ルーフはほぼハンドメイドで製作されていたため月産数十台程度にもかかわらず、グレードは4種類設定。独自のエアロパーツが装着されたタイプAとタイプEがそれぞれ200台、150台限定、タイプSと標準車が受注生産となるなど、生産方法や販売方法を含めて、自動車メーカー生産とは思えないほど特殊だった。

 一方のターボモデルは最大のマーケットである北米市場における、パワー不足へのひとつの回答として投入された。闇雲に出力を狙うのではなくトルクを補うイメージ。パワーはわずか12psアップであったが、トルクは4㎏-mも増強(エンジンはS-VTレスのBP-ZE型)。ファイナルも3.9から4.1へとローギヤード化されていたことからもそれが見て取れた。

 さらにパフォーマンスの向上に合わせて駆動系&サスペンションを強化、タイヤも低偏平&ワイド化されるなどトータルバランスを磨きながら、価格はNB型の1.8Lモデルに対して、わずか15~20万円アップの257万円。内容を考えるとかなりのバーゲンプライスであった。350台限定で、現在は程度のいいものでは新車価格を上まわる相場で取引されている。

日産プリメーラ・オーテックバージョン

 日産自動車の特装車部門として1986年に設立されたオーテックジャパン。現在は独自のコンプリートカー以外にNISMOロードカーの企画・開発を行うなど、日産カスタマイズの最前線基地としての役割を果たしている。

 ただ、通常の量産車では飽き足らないニーズを満たすというコンセプトは同じながら、創業当時は今の日産のラインを使った量産性の高いモデルではなかった。開発から生産までオーテックジャパンが請け負い、エンジンから足まわり、ボディに至るまでスカイラインの父である櫻井眞一郎氏を軸とした、開発陣のこだわりが投入された本当に特別なモデルであった。

 1988年のR31スカイラインを皮切りに数多くのコンプリートカーが発売された。そして櫻井氏在籍時代の最後を飾ったモデルが、1994年11月にJTCC(全日本ツーリング選手権)参戦記念モデルとして発売された初代プリメーラ・オーテックバージョンだ。

 エクステリアは専用フロントスポイラーと大型リヤスポイラー、専用グリル(欧州仕様用)を装着して差別化。エンジンはファインチューンされ、専用エキマニを組み合わせることで150psから180psにアップ。クロスミッション化(T4用)、専用サスペンションなどを採用。そのほかタイヤを15インチへと大径化、リヤシート後方に補強プレートを追加する(トランクスルー廃止)など、P10型プリメーラのパフォーマンスを底上げしていた。

 限定400台で、FFセダンとして名車中の名車と誉れ高いプリメーラ・オーテックバージョンなのだが、雑誌で取り上げることが少なくレアキャラなのはなぜだろうか?

日産マーチ12SR

 3代目マーチに設定されたスポーツグレード。開発はオーテックジャパンが担当し、2000年代の同社の最高傑作と呼ばれるほど高濃度なカスタマイズが施されたピリ辛マシンだ。

 ショートストロークエンジンである1.2Lをベースに専用ピストン/カム/バルブスプリング/コンピュータが投入され、排気系の高効率化。加えて20mmローダウンする専用サスペンション、パフォーマンスに伴うボディ補強などトータルで気持ちいい走りを磨き上げている。さらに2005年の中期以降のモデルはエキマニ、ポート研磨が加えられ、スタビ径の見直しやフロントブレーキの大径化、ボディ補強が追加など、「走・攻・守」の性能が引き上げられている。

 前期型は高回転でパンチがあり、中期型以降は低中速トルク重視で扱いやすさを加味。速さとトータル性能でいえば後期のほうが上だが、回して気持ちいいのは前期(前期は108ps、後期は110ps)。また、ホットハッチらしいスタイルの3ドアは前期しか選べないため、選択は悩ましいところだ。速さを軸としたスポーツ性ではなく、使い切る楽しさに特化したマーチ12SR。メカチューンならではの高回転まで弾けるような官能フィールと人車一体感ある走りは今こそ味わっておきたい。

スバル・レガシィRS-RA

 スバリストから絶対神と崇められるスバル最強のコンプリートカー「STI Sシリーズ」。その元祖といえるモデルが初代レガシィに設定されたモータースポーツ競技用車両であるRS-RA。RAは「RECORD ATTEMPT(記録への挑戦)」の意味で、これはスバルがレガシィで挑んだ「10万km世界速度記録」に由来するものだ。このマシンメイクは創立したばかりのSTIが担当した(ボディサイドにSTIのステッカーが貼られるのがRAの証)。

 エクステリアは標準車と同じだが装備は簡素化。エンジンは鍛造ピストンや高耐圧コンロッドメタルを組み込んで高出力化に対応。さらに匠の手により、回転部のバランス取りや吸気ポートの研磨&段付き修正などが施され、高耐久でありながら高回転まで力強くシャープに吹き上がるようにファインチューンが施されている。スペックはRSと変わらない(220ps/27.5㎏-m)が、乗り比べるとフィールの違いは歴然だった。

 そのほかサスペンションは強化、パワーステアリングのレシオを15:1から13:1へとクイック化するなど、ラリーやダートラで戦えるアイテムが盛り込まれていた。1989年の発売当初は月産20台の受注生産モデルとしてスタートしたが、一定の人気を集めたため翌年からはカタログモデルに昇華。初代の生産終了まで生産し続けられたRS-RAは、STIの実力を競技ユーザーに知らしめたエポックメイキングなクルマでもあった。

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