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「世界一有名なクルマ」が60周年! 「ボンドカー」でなくとも60年代を代表するスポーツカーだったアストンマーティン「DB5」を見直そう

1963年7月にデビューしたアストンマーティンDB5

英国スーパーカーの名門アストンマーティンの歴史的アイコン

2023年は自動車史上に冠たる名作、あるいはエンスージアストの記憶に残るクルマたちが、記念すべき節目の年を迎えることになる。近年では、とくに長い歴史を誇るブランドでは「〇〇周年」のアニバーサリーイヤーをメーカーや愛好家グループによって大々的に祝賀する事例が多くなっているようだが、AMWでも偉大な名車たちに想いを馳せつつ、それぞれのモデルヒストリーを辿ることにした。

今回は、今を去ることちょうど60年前、1963年にデビューした歴史的名作アストンマーティン「DB5」をご紹介させていただくことにしよう。

アストンマーティンの偉大な3部作、その最高傑作とは

アストンマーティンは21世紀に突入して以来の大躍進によって、今やブリティッシュ・スーパーカーの雄として君臨している。そして、100年を超えるその歴史において数多くの傑作が作られてきたが、なかでも特別な存在として敬愛されてきたのが「DB5」。デーヴィッド・ブラウン時代のアストンマーティンを代表する偉大な3部作「DB4‐5‐6」のなかでも、DB5は総合的なバランスや完成度の圧倒的な高さから、識者の間でも最高傑作と称されているのだ。

その起源となったのは、1958年に発表された「DB4」だ。完全なハンドメイドによる壮麗なアルミ製ボディに、タデック・マレク技師の設計した、こちらも総アルミ軽合金の直列6気筒DOHC・3670ccユニットを搭載。1960年代初頭における世界最速車のひとつとなったモデルである。

そして5年後の1963年7月、満を持して登場したDB5は、一見したところDB4のレーシングモデル「DB4GT」と同じ流線型に成形されたフロントフェンダーと、透明カバーを取り付けた「カウルド・ヘッドライト」を選択したDB4の最終型、シリーズ5のヴァンテージ仕様と見分けがつかない。

しかし、後席のヘッドルームを稼ぐためにルーフラインを少しだけ高めるとともに、そのルーフラインから繋がるトランクフードの造形も、DB4時代とは異なるDB5独自のものとされていた。

また、インテリアについても細かい仕様変更は多岐にわたり、パワーウインドウが選択できるようになったほか、チョークレバーなどのレバー/スイッチ類のレイアウトも変更。わずかながら豪華さも増していたが、これら装備類の充実からか車重は116kgアップの1470kgとなった。

4リッター直6 DOHCエンジンに3連装SUキャブ

しかし、DB4時代からもっとも顕著に進化したのはパワートレインというべきだろう。直6 DOHCエンジンは排気量を3995ccまで拡大するとともに、トランスミッションも最初期生産分のみはDB4譲りのデーヴィッド・ブラウン自社製4速が組み合わされたが、ほどなく独ZF社製5速に載せ替え。さらにシリーズ途上で、ボルグ・ワーナー社製3速ATも選択可能となった。

またDB4時代には、ツインSUキャブレターがスタンダードで、トリプルキャブレターは高性能版「ヴァンテージ」の特権とされていた。だが、DB5からは標準モデルにも3連装のSUキャブレターが与えられ、DB4ヴァンテージから16psアップの282psを発揮。車両重量が増えた分は充分にカバーされた。

またDB4GT以来の3連装ウェーバーキャブレターと、専用のシリンダーヘッドで314psまでパワーアップされた高性能バージョン「DB5ヴァンテージ」も設定されたものの、こちらはわずか65台の生産に終わっている。

壮麗なボディはカロッツェリア・トゥーリング譲り

アストンマーティンDB5のボディは、基本デザインをイタリア・ミラノの名門、カロッツェリア・トゥーリングの社主兼チーフ・スタイリストであるカルロ・フェリーチェ・ビアンキ・アンデルローニが手がけたものとされている。

またその架装工法も、ほぼボディ形状を成した極細鋼管製の骨格に、電蝕を防ぐためのフェルトを巻いてアルミパネルを張りつけるという、トゥーリング特許の軽量工法「スーペルレッジェーラ」のライセンス供与を受けながらも、コーチワークそのものはニューポート・パグネルの旧アストンマーティン本社ファクトリーで行われていた。

バリエーションは伝統的に「サルーン」と呼ばれる2+2クーペ、そして「ドロップヘッドクーペ(コンバーティブル)」の2本立てとされたが、そのほかにも英国の老舗コーチビルダー、ハロルド・ラドフォードの架装による極めて贅沢なエステートワゴン、「シューティングブレーク」も12台だけ製作されている。

ボンドカーにならずとも、世界一有名なクルマとなる素養は充分

ところで、DB5に代表されるデーヴィッド・ブラウン時代のアストンマーティンは、フェラーリに対する対抗意識を明らかにしていた。ブラウンのアストン買収とフェラーリの創業は時期的にもごく近いうえに、どちらもそれぞれの国を代表する高級グラントゥリズモであり、しかもル・マンなどの長距離レースでしのぎを削っていたことからも、お互いライバル視するのは、むしろ当然のことだったのだろう。

DB5が販売されていたのと同じ時期、フェラーリの主力機種は250GTE2+2だったが、この両車の比較では動力性能、シャシー性能(とくにブレーキ)、そして商品クオリティに至るまで、若干ながらアストンがリードしていたとされている。

筆者はかつて、DB5を主力商材とするクラシックカー専門店で働いていたことがあり、このモデルはかなりの台数を実際に走らせる機会を得たのだが、その骨太な走りと細部にわたるクオリティの高さに、乗るたびごとに新鮮な驚きを感じていた。

このDB5こそ、アストンマーティンにとっては忘れえぬ「マイルストーン」あるいは「アイコン」と言うべき名作。さらに言うなら、単にアストンに留まらず1960年代のスーパースポーツを代表すべきモデルのひとつとなった。

「The Most Famous Car in the World(世界一有名なクルマ)」と呼ばれるに至った要因は、ボンドカーだったから、だけではないのである。

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