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『ワイスピ』で有名なヴェイルサイドもきっかけは「R32 GT-R」だった! 0-300km/h加速で日本一を獲得した横幕代表の半生とは

ヴェイルサイドのR32

横幕代表が手掛けたR32GT-R

チューナーの心に残る厳選の1台を語る【ヴェイルサイド 横幕宏尚代表】

エアロを纏い派手なイメージの強いヴェイルサイドだが、横幕宏尚代表は自ら走り、クルマを作っていた。骨の髄までチューニングの世界に身を置いた人物。そんな男のターニングポイントは、R32が引き寄せたのだ。

(初出:GT-R Magazine159号)

バイクのタイヤ交換がきっかけでカー用品店へ就職

『ヴェイルサイド』の横幕宏尚代表が生まれ育った東京・葛飾区金町。当時は下町特有の活気のある土地柄でとにかく威勢がよかった。母ひとり・子ひとりなので小さいころから何かと自分でやらなければならず、不自由も少なくない。しかし弱音を吐いたらすぐにつけ込まれる。常に胸を張って堂々と立ち振る舞うために、喧嘩は日常茶飯事。そうやって分かち合い、仲間が増えた。高校に進学するも、入学式の朝から登校中に派手な取っ組み合いをやらかしてそれっきりだ。

「16歳でフレンチレストランに就職しました。初めは金町のスナックで軽食を作っていたんです。お客さんにプロの料理人がいて、わたしの作る焼きそばをえらく気に入ってくれていろいろ教えてくれました。それこそ包丁の研ぎ方から仕込みの手順まで。最終的にはフレンチの名店まで紹介してくれて……」

しかし1年も続かなかった。修行は辛くなかったが、先輩のコックと喧嘩して居場所がなくなってしまう。目標を失いバイクで走り回ることでエネルギーを発散させていた。

そんなとき、バイクのタイヤ交換をお願いしにショップを訪れた。モノはあるがバイクのタイヤは交換できないと言われ、横幕代表は「だったら自分でやるから場所を貸してくれ」と言って作業を始める。レストランで働いていたときにも終電で帰ってきてはバイクイジりに明け暮れていたので、作業はお手の物。その手際の良さを見込まれてメカニックにスカウトされた。

そこが『東京マッハセブン』。主にカー用品を扱うショップで、特にトラックパーツに力を入れていた。しかし横幕代表が入ってからはクルマのチューニングもやり始めた。それを聞きつけてやってきた多くの後輩たちの依頼で、店は盛り上がった。

病的なほど神経質な性格がチューニングに向いていた

得意なエンジンはL型で、当時はまだキャブのNAチューニングが主流。ストリートゼロヨンに夢中になり、まずは地元の葛飾で一番を取り、関東を制し、関西に速いクルマがいると聞けば遠征した。一番になるための努力は惜しまない。負けん気が炸裂していた10代だった。

「20歳のころにHKSでターボの講習を受けたら、参加者は自分ひとりでした。講師は初代社長の長谷川浩之さんで、まさに個人指導です」

そのころからターボを意識するようになった。22歳で独立して起ち上げた『横幕レーシング』。時代はターボエンジン全盛期。当時、最大級の風量を誇ったTD08を我先にと使ってみたり、トリプルターボにも挑戦した。

「病的なほど細かくて神経質。そんな性格が料理やチューニングに向いていたと思います。疑問が出たら徹底的に答えを追求。必ず正解を得てから次に進みます」

そうしないと落ち着かない。納得いくまで試行錯誤を繰り返していた。

ドラッグレース参戦をきっかけにコンピュータチューンを極めていく

RRC(ロードランナーレーシングクラブ)のドラックレースには3.1LのS30型フェアレディZで参戦。19歳のデビュー戦はNAだったがすぐにターボに変更した。ストリートゼロヨンではまずまずの戦歴で天狗になっていたが、全国から名だたるプロショップが集結するRRCでは通用しない。あっけなく鼻をへし折られた。

「エンジンチューニングには自信があったのですが、そのパワーを生かしきれずゴールできないことが多々ありました。クラッチやトランスミッションまで頭が回らなかった。そんななか、上位の常連ショップは悔しいほどに安定している。特に『柿本レーシング』は別格でした。柿本由行代表とは何度か顔を合わせたぐらいの関係ですが、独特な存在感がありました。口数は少ないのに、そのひと言ひと言に重みがある。初めて目上の人に憧れを抱きました」

エンジン以外にも気を配る余裕が生まれたのは26歳ぐらいで、コンピュータチューンに果敢に挑んでいたころだ。数字やアルファベットが無数に羅列するデータに対してマップトレーサーを使ってコンピュータがどこを読んでいるかを確認していく。

最初は何がなんだかわからない。そのうちにアクセルを急激に踏み込んだときに読む場所や高負荷のときに読む場所、さらにはリミッターが入ったときに読む場所などを把握して、燃料や点火、さらにはリミッターのマップだと仮定。そして憶測で数字を変えてみる。すると予想どおりだったり、ハズれたり。試しながら自分で少しずつ確信を得る。コンピュータはそうやって学んでいった。

制御を自在に行えると、ターボの特性も引き出しやすい。パワーはどんどん上がっていき、駆動・伝達系を疎かにしたら対応できない領域へと突入していった。RRCで勝てるようになったのもこの頃だ。

大御所に混ざり参加した真剣勝負が人生の転機に

「チューニングに対する確かな手応えを実感して、さらなるステップアップを試みます。それが『ヴェイルサイド』の展開です。平成2(1990)年、28歳でした。バラックで作業していた横幕レーシングでは、どうしてもチューニングが後ろめたいものに感じてしまう。そこで華やかな店舗を設けて、美しくて夢のあるクルマ作りを目指したんです」

すでにBNR32がデビューしていて、全体的にチューニングのレベルが上っていったころだ。もちろん横幕代表もR32を入手してチューニングに没頭。ブーストアップからタービン交換、そしてエンジン内部のモディファイと一歩ずつ確実にチューニングを究めていく。

「それまで苦労して身に付けたノウハウが面白いように当てはまりました。特にコンピュータは取り組んでおいて本当に良かった。制御の仕組みがわかっているとチューニングに柔軟性が出ます」

まだオープンして間もないのにヴェイルサイドは順調だった。狙いどおりに客層の幅も広がった。そんな横幕代表がひと息つきかけたときに電話が入った。雑誌社主催の企画への誘いだ。谷田部のテストコースを使って静止状態から300km/hまでのタイムを競う真剣勝負。

もちろん受けて立ったが思いは複雑だ。「出ることに意義がある」は横幕代表には通じない。1番でないと意味がないからだ。しかし錚々たるメンバーが集まってくる。不覚なタイムだとユーザーは離れてしまう。せっかく順風満帆なときにマイナスイメージは付けたくない。その日から横幕代表の徹夜作業が始まった。

R32をベースにエンジンは2750ccにスケールアップした。ヘッドまわりに独自のノウハウを注ぎ込み、カムはIN/EX共に288度。ターボはTD06S-20Gでエキゾーストハウジングが8cm2のものを2機掛けし、インタークーラーはトラスト製で、インジェクターは1000ccだ。エアフロを加工してメインコンピュータで制御し、ブースト1.7kgでパワーは約800ps。取材前日までセッティングを煮詰めていく。

「これでもかってほど攻めていったら、あろうことか1気筒が棚落ち寸前の状態に陥りました。あと数時間で取材開始という状況だからエンジンはバラせない。祈るような気持ちで現場に向かいました」

12月の早朝、谷田部はまだ真っ暗だ。メインストレートのほぼ中央に小屋があってそこが待機所になっている。だが走行の順番を待っているショップ関係者は誰ひとりとして小屋の中にはいない。大御所たちは寒くても暗い外に出て仁王立ちで各ショップの記録を確認している。

「20代の若造なんて自分だけで、あとは貫禄ある名の知れた有名チューナーばかり。久々にビビりました」

タイムは大体のクルマが40秒台だと確認した矢先、順番が回ってきた。走り切りたかったので、まずはブーストを抑えて走ってもらう。クルマが暗闇に消えていくと、どこからともなく「横幕って生意気らしいな」とか「随分と粋がってるみたいだぜ」と声が聞こえてくる。その不気味さは今でも鮮明に覚えている。

裏のストレートでも排気音が途切れなかったので、まずはひと安心。走り終えたクルマに横幕代表が近づいていくと、降りてきたドライバーが「噂どおりに速いな」と言ってくれた。肩の荷が降りた瞬間だ。記録は35秒37。この時点で文句なしの日本一。しかしドライバーには「これで日本中のチューナーを敵に回したことになる」とも鋭く指摘された。

その翌月に開催された東京オートサロンではベストチューナーのグランプリに輝いた。この受賞でヴェイルサイドはさらなる勢いをつける。

「今だから話せますがホントは20秒台は楽勝だろうと思っていました。セッティングの段階でそれぐらいの手応えがあったし、秘策も施しましたから。谷田部はバンクがネックで、オイルが偏って吸い込めなくなる。それで進入速度やバンク角を緻密に計算して、偏りを防ぐためにオイルパンの形状や内部のバッフルなどを加工したんです。これが勝因だと思います。この作業はメカニックにも教えずに密かに行いました」

やはり最終的には細かくて神経質な性格が功を奏す。こうしてR32の成果で横幕代表が率いるヴェイルサイドの本格的な快進撃が始まったのだ。

(この記事は2021年6月1日発売のGT-R Magazine 159号に掲載した記事を元に再編集しています)

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